第93話 迫るゴブリン


 砂漠にいたローザリア軍はひどい状態だった。

 誰も彼もが満身創痍まんしんそういで血を流している。

 僕らがトラックでそばまで乗り付けても驚く元気すらない。

 虚ろな視線を上げて、ぼんやりと僕らを見るのが精いっぱいのようだった。

 トラックが停止すると、エリエッタ将軍が真っ先に飛び降りて、副官のグランテさんのところへ駆け寄った。


「グランテ! 何があったのだ⁉」


 グランテさんはラクーダに縋りつくように乗っていたけど、エリエッタ将軍をみとめてふらつきながら体を起こした。


「負けました……」

「負けた……。おい、しっかりしろ、グランテ!」


 力の入らないグランデさんは今にもラクーダから落ちそうになる。

 僕もグランテさんに駆け寄り将軍と協力してラクーダからゆっくりと降ろした。


「カランさん、治癒魔法を! 出血がひどい」


 カランさんの治癒魔法はたいしたものではない。

 それでも、ダガールに残っていた治癒師に比べればまだましだった。

 優秀な治癒師はぜんいんが戦場に行ってしまっていたのだ。


「この状態ですと、私には止血が精いっぱいです」

「それでもいいからやってあげて。セティアは気つけ薬を」


 治癒魔法と薬のおかげでグランテさんは意識を取り戻した。


「グランテ、何があったか説明してくれ」

「将軍、申し訳ございません。将軍からお預かりした三千の将兵のうち、生き残ったのはわずかに三百……」


 グランテさんは悔しさに涙をにじませている。


「どういうことだ? ローザリア軍だけが最前線に立たされたのか?」

「そうではありません。連合軍はゴブリンの軍勢に大敗を喫したのです」

「大敗とはどういうことだ? 数の上では互角であったはずだろう?」

「互角ではなかったのです……」


 聞いていた話と違うぞ。

 ムーンガルド連合軍は十万の兵を集めたんじゃなかったのか?


「敵は二十万の兵で我々を取り囲んだのです」

「二十万!」

「それだけではありません。ゴブリンたちは征服した街の住人を……、強制的にゴブリンを生まされた婦女子たちを最前列に立たせて盾としたのです」

「なっ……」


 誰もが二の句を継げなかった。

 それほどまで悲惨な戦場を僕は知らない。


「連合軍は七割の戦死者を出し敗退しました。将軍、お逃げください。ゴブリンの掃討部隊が迫っています!」

「なんだと?」

「奴らはすべてのオアシスを占領下に置き、新たな兵士を補充するつもりです。ガダールも狙われているのです」

「追手が迫っているのか?」

「それほど遠くはないでしょう」


 エリエッタ将軍は僕を見つめた。


「ドローンですぐに確認します。将軍は負傷者たちをトラックの荷台に誘導してください。トラックはもう一台出します」


 恐れていた事態が勃発してしまったという印象だった。

 いや、想定していたよりずっと悪い。

 ここまでの大敗は予想外だったのだ。

 ドローンを飛ばして周囲を確認したが、敵を見つけるのに苦労はなかった。


「なんてこった……」


 ここから四〇キロほどのところにゴブリンの大部隊が迫っていた。

 徒歩で二日ないくらいの距離だ。

 モニターを覗き込むエリエッタ将軍がつぶやいた。


「数は一万といったところか……」


 

 ゴブリンは部隊を分散させて、敗走する人間の兵士を掃討しているようだ。

 分散させた分だけ数は減っているけど、それでも一万という軍勢は脅威でしかない。

 ダガールに残っている兵士の数は五十人弱。

 しかも、全員が女性だ。


 僕は倍率を高めて詳細に部隊をチェックしていく。


「あれ、なんだか大きなゴブリンがいるな」

「大きなゴブリン?」


 横になっていたグランテさんが無理に体を起こして、僕の方へはいつくばってきた。


「グランテさん、無理をしないで」


 だけど、グランテさんは僕の言葉を聞いていなかった。


「伯爵、映像を私に見せてください」


 モニターを覗き込んだグランテさんが驚愕した。

 血の気を失った顔が引きつり、今は土気色になって震えている。


「ゴブリン将軍アグニダだ……。何ということだ、我々を追う部隊はアグニダ直属の部隊だったのか」


 これは非常にまずいことになったぞ。

 敵将が率いる本体ということなら、その強さは他の部隊の比ではないだろう。


「すぐにガダールへ戻って住人を逃しましょう」

「…………」

「将軍?」

「距離が近すぎる。女や子どもは必ず追いつかれる。けが人は動かすことさえ無理だろう」

「では……」

籠城戦ろうじょうせんしかないだろう」


 それが絶望的な選択であることは、将軍の顔を見ればわかった。

 運が良ければ数日はもつかもしれない。

 シェルターにこもればもっと長く耐えられるだろう。

 だが、援軍は来るのか?

 籠城戦というのは援軍があってこそできるのだ。

 シェルター内の食料だって一週間と持たないはずだ。


「タケル、帰ったら私を抱いてくれるか?」


 唐突にエリエッタ将軍が聞いてきた。


「何を言っているのですか?」

「どうせ死ぬのなら男を知ってから死にたい。タケルなら私も安心なのだ」


 将軍は冗談を言っているのではなかった。

 ゴブリンに凌辱される前に、名誉ある死を選ぶ前に、その前に僕に自分を抱けと真剣に言っているのだ。

 だけど、そんなの……。


「僕に考えがあります。うまくいくかはわかりません。たいへん危険な賭けになると思います。ですが、うまくすれば敵を一網打尽にできるかもしれません。協力してもらえませんか?」


 エリエッタ将軍はじっと僕の目を見た。

 先ほどまであった絶望感が将軍の目から消えていた。


「それの準備があるから私を抱く時間はないのだな?」

「そうです」

「ならば仕方がない。タケルにこの命を預けよう!」


 将軍は僕を信じてくれたのだ。

 僕も期待に応えなければ。


「応急手当てをすませ次第けが人の搬入を急いで! ヴィオは二号車の運転を頼む。カランさんとセティアはそれぞれ違うトラックに分乗して!」


 指示を出しながら、工程表を頭の中で組み立てた。

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