第92話 目を空に解き放て

 朝からいい匂いがしていた。

 起きたての鼻をくすぐるのはアイネが焼くパンの香りだ。

 香りに釣られて食堂までやってくると、もうみんな揃っていた。


「おはようございます」


 カランさん、エリエッタ将軍、アイネ、セティア、エルニアさん、ヴィオ、が出迎えてくれる。

 ようやくいつもの仲間がそろって日常が取り戻された気がする。

 うん、僕が求めていたのはこういう何気ない幸せだ。

 大切な仲間とともに食べる朝食。

 こここそが僕の居場所だと実感できた。


「兄貴、おなかが減ったよ。料理が冷める前に早く食べようぜ!」


 ヴィオに急かされて席に着くと、すぐにセティアがザクロジュースを注いでくれた。


「ど、どうぞ。ザクロは健康にいいのですよ」

「ありがとう。それじゃあいただこうか」


 和やかな雰囲気で朝食は始まった。

 焼きたてのパン、フルーツ、卵料理、そのどれもが美味しい。


「やっぱり、アイネの料理は最高だね」


 素直に褒めただけなのにアイネは身をよじらせて喜んでいる。


「もう、お世辞を言ったって、一生甘やかすくらいしかいたしませんよ♡」


 いや、じゅうぶん過ぎない?

 コーヒーカップを置いたカランさんが聞いてきた。


「本日のご予定を確認しておきましょう。いかがなさいますか?」

「今日からシェルターのトンネルを掘り始めるよ。これは緊急の脱出口ね。予定では海岸方面まで伸ばすつもりだから」

「となると三キロメートルくらいありますね」

「うん、正確には二・七キロだよ。これはかなりきつい工事なると思う。工期は十日間を予定しているけど、もしかしたら――」


 突如、食堂のドアが勢いよく開き、僕の言葉は途中で止まってしまった。

 大汗を掻きながら入ってきたのは神官さんだ。

 神官さんは大きく肩を上下させて喘いでいる。

 よほど急いでやってきたのだろう。


「……なにかあったのですか?」

「ハア、ハア、ハア、きのした……伯爵、ハア、ハア、ハア、お告げが……。神の声が……」

「あ、シンボルの調整ですか?」


 魔道具に関してはしょせん素人だ。

 もう不具合が出てしまったのかもしれない。


「そ、そうではありません。神の声が聞こえました。ハア……ハア……。すぐに目を空に解き放てと……」

「目を空に?」

「兄貴、ひょっとしてドローンのことじゃないか?」


 ヴィオが気づいて教えてくれた。


「ドローンを飛ばせば何か見えるってことかな?」

「お急ぎください……」


 まだ食事中だったけど、神官さんの慌てようは尋常じゃない。

 僕らにはわからないけど、神さまの声にただならぬ緊急性を感じ取ったのだろう。


「気になるね……。ちょっと行ってくるよ」


 残ったパンの欠片を口に放り込むと僕は席を立った。


 表に出るとすぐにドローンを召喚した。

 すこし風があるのでいちばん大きなものを選んだ。

 このドローンは高度三五〇〇メートルまで上昇することが可能だ。

 三七七六メートルある富士山にはちょっと及ばないけど、二〇〇キロ先くらいまでは見ることができるだろう。

 高解像カメラもついている。

 みんなはぞろぞろとやってきて僕のやることに注目している。


「ヴィオが操縦してよ。僕はカメラの調整をするから」

「任せとけ!」


 ドローンは低いプロペラ音を建てながら上空に舞い上がった。


「とりあえず、高度一〇〇〇まであげて」

「あいよ!」


 画面の映像はガダールの城壁を飛び越えてどんどん上空へと切り替わっていく。

 本日も雲一つなく、赤茶けた砂の大地が地平線の向こうまで広がっていた。

 この高度からだと、かなり遠くまで見渡せる。

 ダガールの北に点在する小さなオアシスの様子もわかるぞ。


「いいよ、ヴィオ。そしたら、ホバリングしつつ、ゆっくり一周してみて」


 ヴィオは慣れた手つきで操作を続け、リクエスト通りに機体を回転させてくれた。

 カメラからの映像は北から南へとゆっくり反転していく。


「ストップ!」


 画面の向こうに気になるものを見つけて僕は叫んだ。

 砂丘の間の影の中にロープのようなものが見えている。

 あれは……ラクーダの列だ。


「そのままできる限り機体を安定させて」

「やってみる」


 上空は風があったけどヴィオは頑張ってくれた。

 カメラの倍率を上げていくと一緒に画面をのぞき込んでいたエリエッタ将軍が叫んだ。


「あれはローザリアの軍装だぞ!」


 四十騎ほどのラクーダに複数の兵士が乗っていた。

 みんな力なくうつぶせになって、ラクーダに抱き着くように乗っている。

 けがをしているのだろうか?


「タケル、もう少しよく見えんのか?」


 倍率を上げると、ちょっとした動きでも対象がレンズからそれてしまう。


「ヴィオ、どうかな?」

「今なら風も少ない。やってみて」


 僕は被写体を逃さないように倍率を上げた。


「グランテ!」


 モニターに映ったのは将軍の副官であるグランテさんだ。

 顔中が砂まみれで、ところどころが黒い。

 あれは血の痕だ!


「タケル、あそこまではどれくらいの距離だ?」

「およそ三〇キロというところでしょうか」

「誰か、ラクーダを用意しろ!」


 将軍は叫んだ。


「待ってください。僕のトラックで行きましょう。それならけが人を回収できます。将軍は治癒師を集めてください」

「わかった!」


 エリエッタ将軍は走り去った。


「カランさんも来てくださいね」

「承知しました。私の治癒魔法で事足りればよいのですが」

「セティアもお願い。ありったけの医薬品を持ってきて」

「しょ、しょ、しょ、承知しましたぁ!」


 モニターに映る兵士たちは重傷の者が多そうだ。

 今にも倒れてしまいそうだぞ。

 トラックに水や物資を積み込んで、僕らはすぐに出発した。

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