第91話 ダガールの夜は更けていく


 月夜のダガールをセティアと散歩した。

 濃紺の夜空に浮かぶ月は砂丘に銀色の光を投げかけている。

 緊張しているのか、さっきからセティアは何も話してくれない。

 ただ、僕の人差し指を挟んだ指には力がこもっていて熱かった。

 たまにはこんな夜の散歩も悪くない。

 僕はセティアの歩幅に合わせてゆっくりと歩いた。


「つ、疲れていませんか? ムーンガルドでもずっとお仕事だったのでしょう?」

「そんなことないよ」


 実はちょっと疲れている。

 それは工務店の仕事のせいではなく、エルニアさんのせいだ。

 狭い空間で手錠につながれたまま、ずーーーっと見つめられていたからね。

 とてつもないプレッシャーを感じたよ。

 そのせいか、外はよけいに解放感を感じるな。

 今夜は風が穏やかだ。


「セティア、寒くない?」

「む、むしろ、緊張で体が熱いです」

「まだ慣れてくれないの? そんなに緊張しなくてもいいのに」

「そ、そういうことではなくてですね……」


 セティアは顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。

 僕らはぶらぶらと池の方までやってきた。

 昼間は人やラクーダでごった返しているこの場所も、この時間ではひっそりとしている。

 水面に映る月を眺めながら僕らは歩いた。


「あ、花が咲いているよ」


 池のほとりの低木に小さな赤い花がたくさん咲いていた。

 僕の言葉にずっとうつむいていたセティアが顔を上げる。

 セティアは薬師なので、魔法薬の素材となる植物や鉱物が大好きなのだ。


「あれは!」


 つないでいた指を放してセティアは花へ駆け寄った。

 そして、興奮した様子で花を調べている。


「貴重な花なの?」

「これはマンデルーカです。私も初めて見ました」


 マンデルーカは乾燥地帯にしかない花で、夜にしか咲かないそうだ。


「これも魔法薬の材料になるのかな?」

「そうです。ほとんど知られていませんが、これは、っ!」


 セティアが言いよどんでいる。


「どうしたの? なにか言いにくいことでもあった?」

「そ、そ、そ、その、こ、これは、強力な……」

「強力な?」

「さ、さ、さ、催淫剤になるのです!」


 さ、催淫剤ですか……。


「ひょっとして、この花の匂いを嗅いだだけでエッチな気分になるとか?」

「か、加工しなければ効果はありません」


 だったら嗅いでも平気かな。

 うん、青臭いキュウリみたいな匂いしかしないや。

 誰かが摘んだ痕跡もない。

 きっと、住民もこの花の利用価値を知らないのだろう。


「これが催淫剤ねえ……」

「ムーンガルドでは抽出液を使うみたいです。かなり強い苦みがありますので甘みの強い飲み物やお菓子に混ぜることが多いと聞いたことがあります」

「ローザリアでは?」

「お香にします。ヨモガという植物と合わせて使うことが多いのです。乾燥したヨモガは応用範囲の広い植物です。私のカバンにも多めに入っています」


 そんなことを言いながらセティアはマンデルーカの花を摘みだした。


「え、催淫剤を作るの?」

「あ、あ、こ、こ、こ、好奇心には勝てませんので……」


 恥ずかしさに顔を真っ赤にしながらもセティアの手は止まらない。

 これが薬師の性というものか?

 ただ突っ立って見ているのも何なので、僕も採集を手伝った。


「たくさん採れたね」

「はい……。さ、さっそく作ってみようと思います……」


 僕は気になることを聞いてみた。


「作ってどうするの?」

「そ、それは……、いちおう試してみます」

「試すって、自分で?」

「…………」


 セティアは泣きそうな顔で僕を見つめている。

 これ以上は突っ込まない方がよさそうだ。


「そ、素材がたくさん集まってよかったね。そろそろ帰ろうか」

「は……い……」


 セティアはまたうつむいてしまった。


「ほら、いくよ」


 僕はセティアの手をしっかりと握りしめる。

 砂漠の冷気に充てられて、その手は凍えていた。


「こうすると温かいでしょう?」

「は、は、はい!」


 セティアは身を固くしてプルプルしている。


「あの……」

「どうしたの?」

「少し急いでいただいてもよろしいですか?」

「いいけど、用事?」

「そ、その、感動でおしっこが……。ごめんなさい。だいなしにしてごめんなさいっ!」


 久しぶりだったけど、やっぱりセティアはセティアだった。



 夜の散歩で体が冷えてしまった。

 寝る前に熱いシャワーを浴びて一日の汚れをとるとしよう。

 僕は一人でシャワールームに入っていった。

 当然だけどここには誰もいない。

 鼻歌交じりに蛇口をひねると、温かいお湯が勢いよく流れだした。

 ありがたいものだ。

 やっぱり就寝前には体を清潔に保ちたいからね。

 シャンプーを泡立てて髪の毛をよく洗っていく。

 すると入り口の方で扉が開く音がした。


「ヴィオ?」


 だが返事はない。

 ここにはヴィオしかいないはずだけど……。

 もう一度声をかけようとしたらカーテンが開き、誰かが個室に入り込んできて、ぴたりと僕の背中にくっついてきた。


「……アイネ」

「うふふ、胸の感触でわかりましたか?」


 わかるに決まっている。

 こんなことをするのはアイネだけだからだ。


「なに入って来てんの? ここは男性ようだよ」

「お待ちどうさまでしたぁ♡」

「いや、待ってないから!」


と、また扉の開く音がした。

もう一人誰か来たのか?


「兄貴ぃ、いるのかぁ?」


 今度は本当にヴィオが来た!

 すかさず僕の後ろでカーテンが閉まる音がする。

 見られないようにアイネが閉めたな……。


「兄貴ぃ、いないのかぁ?」

「お、おう。ここにいるよ」

「お、やっぱりいた。返事がないからお湯を出しっぱなしでどこかへ行ったのかと思ったぜ」

「そ、そんなことあるかよ」

「だよな」


 ヴィオが蛇口をひねる音が聞こえ、続いて勢いよくシャワーの出る音が響きだした。


(アイネ、ちょっと離れて)

(ダメですよ、きちんときれいにしなければ)


 アイネは僕の言うことを聞かずにボディーソープを泡立てる。

 そして、背中をやさしくこすりだした。


「ふぃー、仕事の後のシャワーは気持ちいいなあ。なあ、兄貴!」

「そ、そうだな。うひゃっ」

「どうしたんだ、変な声を出して」


 アイネがわき腹をこするから……。


「その、ボディーシャンプーがちょっとな」

「ああ、足を滑らせたのか。俺もやったよ。あとシャンプーが目に入ったことがある。あれ、ものすごく痛いんだな」

「お、おひゃっ!」

「ん?」

「な、なんでもない! 気をつけろよ、って言いたかっただけ」

「あっそ」


 今やアイネはやりたい放題である。

 裸の体をぴったりと僕にくっつけて、僕の太ももの付け根に手を這わせている状態だ。

 これ以上はもう限……。


「しかし、今日の兄貴は珍しく長湯だな。いつもは俺より早いのに」

「ちょ、ちょっと丁寧に洗おうかとおもってさぁーん!」

「……大丈夫か、兄貴?」

「お、おう……っふ」

「召喚者もいろいろ大変なんだな。俺は先に出るけど、あんまり長湯すんなよ」


 ヴィオはシャワー室から出ていった。

 扉が閉まるのと同時に僕は身をよじってアイネから離れる。


「はい、きれいになりましたよ♡」


 そのとおり。

 僕の前身はピカピカに磨かれていた。



 シャワー室から自室に戻ってきた。

 エルニアさんとの密室、セティアとの薬草摘み、アイネとのお風呂、いろいろあってもうクタクタだった。

 こんな日はさっさと寝るに限る。

 そう思ってベッドに入ろうとしたら、カランさんがやってきた。


「どうしたのですか、こんな時間に?」

「そろそろ私の番だと思いまして」

「私の番?」

「順番にデートをしたでしょう? 最後は私ですよ」

「でも、カランさんとは最初に……」

「あれは単なる仕事です。プライベートはここからですから」


 言われてみればもっともだ。

 カランさんだけをのけ者にするわけにはいかない。

 僕はカランさんを自室に招き入れた。


「ローザリアのコンビニで買ってきました」


 そう言ってカランさんはシャンパンとグラスを二つ取り出した。

 今夜はここで酒盛りか。

 少しくらいなら僕も飲んでみようかな。


「では、どうぞおかけください」


 そう言ってソファーに腰かけたのだが、なんとその膝にカランさんが乗ってきた。


「えーと……」

「カラン、ここがいいの。お酒を注いで」


 いきなり甘えっ子モード?


「まだ酔っていないのにどうしたのですか?」

「どうせすぐに酔いますよ。同じことです……」


 今夜のカランさんは最初から全開だった。

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