第90話 小刻みなデート
長い一日が終わった。
砂漠の夕焼けが地平線を赤く染め上げている。
だけど、疲れはあまりない。
だって、今夜は久しぶりにみんな集まってシェルターの食堂で夕食会だからだ。
アイネの手料理を食べるのも久しぶりだな。
今夜は大好物のビーフシチューを作ってくれたんだって。
そのために素材をわざわざローザリアからもってきてくれたそうだ。
楽しみだなあ。
本日の作業で神殿の修復は七割くらい終わった。
明日にはすべて仕上がるだろう。
「でしたら、私たちとデートですね」
「いまアイネさんがいいことを言いました」
夕食の席でアイネがわけのわからないことを言い出した。
エルニアさんまで同調している。
「いやいや、やらなければならないことはたくさんあるんだよ。神殿の修理が終わったら、今度はシェルターのトンネルにかからないと」
「そんなことおっしゃらないでください」
「カランさんまでそんなことを言うの!」
「もちろんです。はい、これ」
カランさんがテーブルの上に積み上げた書類がドスンと音を立てた。
「すべて伯爵の決裁が必要な書類です。これに目を通していただいてサインをしていただきます」
「ああ、そういうことですか……」
これは仕方がない。
伯爵としての仕事だもんね。
「次は私ですよ」
「エルニアさんも書類?」
「いえ。お、同じ部屋で一緒に過ごしていただくだけで構いません。へ、変なことはしませんので!」
へんなこと?
「そうなの?」
「はい、普通にお話しするだけでもう……」
エルニアさんは恥ずかしそうに眼を伏せてしまった。
まあ、一時間ほど一緒に過ごすくらいならいいか。
「そ、そ、そ、その次は私です」
「セティア? なんでそんな順番なの?」
「先ほどくじ引きで決めましたので。あ、カランさんはやっていません。や、やっていませんが自動的にいちばんになりました」
そういうことか……。
「で、セティアとは何をすればいいの?」
「お、お散歩を。今夜の月は奇麗ですので……」
「うん、わかったよ。で、そのあとがアイネなの?」
「私は夕飯の片付けなどが忙しいので、皆さんとのデートが終わった後に少しだけお相手していただければそれでじゅうぶんですよ」
なんだか殊勝なことを言っているなあ。
「片付けなら僕も手伝うよ」
「伯爵がそんなことをなさってはいけません。それに、はやく書類に取り掛からないとカランさんが不機嫌になりますよ」
おっと、そうだった。
「それじゃあ、みんなもアイネを手伝ってあげてね。悪いけど僕はここで書類仕事をさせてもらうよ」
アイネのビーフシチューはやっぱりおいしいな。
夕飯を堪能してから仕事に取り掛かった。
サインしなければならない書類は多かったけど、カランさんがひとつひとつを要約してくれたので、仕事は一時間もしないうちに終わった。
「よし、これで最後だね」
「お疲れさまでした。どうぞ、ごゆっくりおくつろぎください」
「そ、そうだね……うん……」
カランさんはのんびりしろといったけど、そうもいかないだろう。
いつの間にやらエルニアさんが来て、僕の仕事が終わるのを物音ひとつ立てずに見守っていたからだ。
ゆらりと立ち上がったエルニアさんを見てなぜか背中が寒くなった。
今日はいつもより地雷メイクが濃いような……。
「そろそろ……よろしいでしょうか……?」
「うん、いいけど、どこかへ行くの?」
「あちらのお部屋に」
エルニアさんが指し示しているのは用具室だ。
「なんで物置?」
「このシェルターの中でいちばん狭い部屋ですから……」
狭いことに意味があるの?
誰か教えて!
「それではお疲れさまでした」
無情にもカランさんはさっさと自分の部屋へ行ってしまった。
エルニアさんが用意したのだろう、用具室には椅子が二つ置かれていた。
部屋に入るなり、エルニアさんは膝をついて僕を見上げた。
「どうしたの?」
「どうか、謝罪をさせてください」
「謝罪? なんで?」
「私が至らないばかりにタケル様が誘拐されてしまいました」
エルニアさんははらはらと涙をこぼしている。
「自分の責任だなんて思わないでください。悪いのはウランテール侯爵なんだから」
「タケル様はお優しいから、そうおっしゃられると思っていました。これを……」
エルニアさんが僕に何かを手渡してきた。
「これは……」
カランさんの乗馬鞭⁉
驚いている僕の目の前でエルニアさんは自分のスカートをたくし上げた。
「ちょっ、なにをやって!」
「どうぞ、私に罰をお与えください」
白い太ももに黒のレースの下着が濃いコントラストをつくっている。
慌てて目を逸らしたけど、脳裏には今の光景がくっきりと焼き付いてしまった。
「エルニアさんの体を傷つけるなんて嫌です。スカートを下ろしてください」
「そういうわけには参りません! そうでもしていただかなくては、私は自分を許せないのです。ほら、私は抵抗いたしませんよ」
そういって、エルニアさんは自分に手錠をはめだした。
「バカなことは止めてください……」
「私はタケル様に罰していただくまでここを動くわけには……」
もう片方の手に手錠をかけようとするエルニアさんと、それを止めようとする僕とでもみ合いになった。
そして、どういうわけか、手錠の片方が僕の手首にはまってしまった。
「あ……」
エルニアさんは力を抜いて、茫然と手錠を眺めている。
「タケル様と……つながってしまいました……」
最初は驚いていたエルニアさんだったけど、今ではうっとりとした顔になっている。
「えーと……、鍵はどこですか?」
「鍵?」
「そう、手錠を外す鍵ですよ」
「それはどこかに……」
「出してください」
「…………」
エルニアさんが黙り込んでしまった。
「あの……、エルニアさん?」
「もう少しこのままいてはだめですか?」
「はっ?」
意味が分からない。
「罰してくださいなんて言いませんから。このままで……」
「この状態がいいのですか?」
じゃらりと手錠を持ち上げると、エルニアさんの手も一緒に持ち上がった。
「あうっ……」
そんな切なげな声を出すところ⁉
「こうしていると、とても安心できるのです」
そんなものなのかな?
あ、そうか!
エルニアさんは僕を連れ去られたことが心の傷になっているのかもしれない。
だから、この状態で安心するのだろう。
これでエルニアさんの心がやすまるというのなら、それでもいいような気がする。
「じゃあ、座りましょうか」
「はい、これで逃げられませんね」
「はい?」
「なんでもございません」
逃げられないのはエルニアさん?
それとも僕?
僕たちは時間になるまで用具室に並んで座っていた。
手錠でつながれたまま……。
特に話が盛り上がったわけではない。
それでも、エルニアさんは終始満足そうだった。
「また、こうしてくれますか?」
「いいですけど……、楽しいですか?」
「ええ、身も心も満たされました。今夜はぐっすり眠れそうです」
夢見るようなエルニアさんは自室へ去り、今度はセティアがやってきた。
「よ、よ、よろしいでしょうか?」
「うん、一緒に散歩をするんだよね?」
「は、はい!」
「今夜は風もないし、池の方へ行ってみようよ」
水面に映る月がきれいらしい。
「手をつないでいく?」
冗談でそう訊いたら、セティアはお約束通りムンクの叫び顔になってしまった。
「む、む、無理です。こ、これくらいでお願いします!」
何をするのかと思ったら、セティアはじゃんけんのチョキで僕の指を軽く挟んだ。
挟まれた指がかなり熱い。
なんだかきゅんときてしまった。
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