第88話 神の声は聞こえますか?
びっくりするような光景だった。
嵐はダガールの街にひどい爪痕を残したのだが、よりにもよって人々の信仰の中心である神殿の入り口が崩れていた。
この神殿はもともとこの地にあった岩山を削り出して作ったもので、山頂の高さは一〇〇メートルくらいある。
聞くところによると1500年も前の建物らしい。
正面には六本の太い円柱が配置されていて、その中心に四角形の入り口がついていた。
柱の長さは八〇メートル以上あるから、そうとう大きなものだね。
ところが、この円柱の一本が崩れ、大小の瓦礫が入り口を塞いでいるのだ。
原因は防衛兵器のようである。
魔物の襲来に備えて設置されていた投石機が風に飛ばされ、柱に激突して崩落が起こったようだ。
投石機だってかなり重いのだけど、あんなものが吹き飛ばされるというのだから、今回の砂嵐はとてつもない規模だったんだなあ。
「神官様! 神官様! お返事をっ!」
瓦礫の前に立った女性が中に向かって叫んでいる。
さては神官さんが閉じ込められてしまったな。
瓦礫はまだ不安定な状態だから、のんびりしてはいられない。
「危ないので下がってください。僕が何とかしますから」
壁に穴を開けて中に入るのが手っ取り早いだろう。
神殿にそんなことをしたら怒られるかな?
でも、人命第一だよね。
穴はいくらでも塞げるので、さっさとやってしまうことにした。
紫電がほとばしり石材は砂となった。
目の前には直径八〇センチの円形の穴が開いている。
そこから神殿の中に首を突っ込んだ。
「神官さん、ご無事ですか?」
神殿の中にも風が吹き込んだのだろう。
燭台や棚などが倒れている。
だけど神官さんは無事だった。
ちょうど祭壇の前に跪いて祈りを捧げているところだった。
知的で優しそうな人だ。
年齢は三十代後半くらいかな?
「あなたは……」
「ローザリアから来たパイモン将軍の友人です」
「ああ、異国からの援軍でいらした方ですね。たしかキノシタ伯爵とおっしゃられましたか」
この神殿に入るのは初めてだった。
信者でもないのに入ったりしたら悪いような気がしたからだ。
ローザリアとムーンガルドの宗教は若干違う。
元をたどれば同じ神を信仰しているのだけど、名称は別物になっている。
言ってみれば、地球のユダヤ教・キリスト教・イスラム教の関係に似ているのかもしれない。
あれらの宗教も、おおもとでは同じ神を信仰しているんだって。
西洋史の梶尾先生が言っていた。
「おけがなどはありませんか?」
「はい。私は平気です。ただ……」
神官さんは悲しそうに祭壇を見た。
ムーンガルドでは神像を作るという習慣はない。
その代わり、祈りの対象として様々な形のシンボルを置く。
ここでは意匠を凝らした月のシンボルを置いていたが、それが床に倒れていた。
あちらこちらがひび割れてしまっている。
「あれ、これはただのシンボルじゃありませんね。魔道具だ……」
「そのとおりです。我々神官はこのシンボルを通じて神の声を聴くのです」
なるほど、そんな機能があるのだな。
「だけどこれ、普通の人には聞こえないですよね」
「神の声を聴くには神聖魔法の『霊信』が必要となります。一般の信者では聞き取ることは難しいでしょう」
そういえばどこかで聞いたことがあるな。
霊信の強い人ほど神様の声をはっきりと聴くことができるそうだ。
ただ、はっきりくっきり聴くには、よほど強い力がないとダメらしい。
チューニングのうまくいっていないラジオのようにノイズだらけというのが一般的のようだ。
「なんということでしょう。このようなシンボルを見たら信徒の皆さんは悲しむでしょうね……」
神殿とはただの建物ではなく、住民にとって心の拠り所となっている場所だ。
それが壊れてしまったので、人々は大いに混乱している。
そのうえ、シンボルが倒れているのを見たら、さらなる不安に襲われてしまうかもしれない。
「不吉なことの前兆ではないとよいのですが……」
この神官さんのように考える人は大勢いるだろう。
それに戦場にいった息子や夫、父親や恋人の安全を祈る場所がないというのは切ないだろう。
とりあえずこのシンボルを調べてみるか。
工務店の能力が上がったので、僕の解析力も増しているのだ。
「中に大きな魔結晶が埋め込まれているのか……。よかった、こちらは無事ですよ」
「そうですか……。でも、修理の技師がやってくるのはだいぶ先でしょう。戦時ですから……」
「これなら、僕にも直せそうですよ」
「本当ですか?」
「お任せください」
魔道具技師は本業ではないけど、これはそれほど複雑な構造をしていない。
何とかなるだろう。
「魔結晶はいいとして、回路のこの部分が壊れているんだな。素材は銅か……。ミスリルの方がよくね?」
ちょこっと手を入れるとしよう……。
これでいいかな?
あ、ここら辺に増幅器もつけるか。
神の声は魔力波として届くようだ。
だったら、その波長を大きくしてやれば……。
「は、伯爵……?」
「大丈夫、大丈夫! ちゃんと直しますから!」
よし、いいぞ。
破損も少なめだったから修理も簡単だったな。
後はひび割れていたところをくっつけてしまえば完成だ。
「できた!」
「おお、元通りですね。見たところは……」
「それでは祭壇に設置しましょう」
僕はマルチクレーンを呼び出した。
これは手押し移動タイプの室内クレーンだ。
吊り上げ荷重は一〇〇〇キロまで対応だから、重いシンボルも楽に持ち上げられる。
「信徒の皆さんが来る前に設置して、安心させてあげましょう」
「はい!」
神官さんと協力して重たいシンボルを祭壇に設置しなおした。
今度は外れないようにアンカーボルトで固定しておこう。
見た目にはわからないようにね。
「それでは霊信を試してみてください。不具合があるといけないので」
「はい。ちょうどお祈りの時刻です」
神官さんは祭壇の前で頭を垂れて神の声に耳を澄ませた。
お、シンボルが神聖魔法に共鳴しているぞ。
どうやら動いてはいるようだな……。
「なんじゃこりゃあっ!」
優しそうな神官さんがとんでもない声を上げたぞ⁉
僕、まずいことをしちゃったか?
「不具合でもありましたか? す、すぐに調整しますので……」
「いえ、そうではないのです! そうではなく……ここまではっきり神の声をお聞きしたのは初めてで、大きな声がでてしまいました」
びっくりしたぁ!
でも、そういうことならいいか。
「恥ずかしながら、私は霊信が不得意でして、これまでは断片的なお言葉しか聞いたことがありませんでした。ですが、伯爵が修理されたシンボルですと、ずっと聞き取りやすくなっております」
「そんなに明瞭ですか?」
「まだお声は小さく、私にはすべてを聞き取ることはできません。ですが、以前よりはずっとはっきりしております。力のある者が使えば、さらに多くのお言葉を聞くことができるでしょう」
そんなに違うものなのか。
僕は神聖魔法なんて使えないから、自分では確かめようがない。
残念だけどこれ以上の調整は無理そうだ。
まあ、いいや。
シンボルはここまでにしておいて表の柱と入り口を修理しないとね。
それから、開けてしまった壁の穴もきちんと塞いでおかないと。
こうしてまた、忙しい一日が始まった。
今日は神殿の再建に費やすから、シェルターのトンネル掘りは明日からだな。
とりあえず朝ごはんを食べるために、僕はシェルターに戻った。
これは余談だけど、ダガール神殿のシンボルはムーンガルドの宗教界に旋風を巻き起こした。
もともとは辺境オアシスの一神殿に過ぎなかったダガール神殿だけど、このシンボルがあるために神殿の実力者たちがこぞってここに参詣するようになるのだ。
やがて、ダガールは聖地として有名になっていくのだが、それはまた別のお話である。
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