第85話 なめんなよ!


 ウランテール侯爵は朝から機嫌がよかった。

 朝食に出た早生わせのイチジクは美味かったし、それを運んできた新入りのメイドもうまそうだったからだ。

 なかなかしまりのよさそうなケツをしていたな。

 折を見てあいつも食ってやろう。

 たまには青い果実も悪くない、と侯爵はほくそ笑む。

 午前中から淫靡な夢想に耽る侯爵のもとに家令が手紙を持ってきた。


「閣下、カトレア鉱山事業部より連絡が来ております」


 カトレア鉱山は侯爵も出資している銀鉱山だ。

 開業当初より資金を注入し、侯爵はそこから莫大な利益を得ていた。


「何があったというのだ?」


 面倒そうに手紙を開き、侯爵は短い文章に目を通した。


「ふーむ……」

「いかがいたしましたか、閣下?」


 腕を組んで考え込む侯爵を執事は心配そうに見守る。


「いや、たいしたことではない。カトレア鉱山へ向かう奴隷船が沈んだのだ」

「それは惜しいことをしましたな」

「まあ、船は船会社のものだ。私の懐が痛むわけじゃない……」

 

 タケルを乗せた船が沈んだとの報告を受けて、侯爵は微妙な気持ちになった。

 どうせなら、じっくりと苦しませてキノシタを死なせたかったのだが、その予定が狂ってしまったからだ。

 だが、本来の目的である大勲位薔薇十字星章の授与は邪魔できたし、死んだとあればあとくされがない。

 おおむねこれでよかったのだろうと、侯爵は納得した。


「少し早いが宮廷にいくぞ。友人たちに教えてやらなければならないことができた」


 召喚者に反目する一派は意外と多い。

 タケルの死を仲間に伝えて一杯やろう、侯爵はそう考えて立ち上がった。



 宮廷に入るとすぐウランテール侯爵は取り巻きたちに囲まれた。


「こんにちは、侯爵。ご健勝のご様子で何よりです」

「ウランテール侯爵、お約束していた白ワインがついに手に入りましたよ。さっそくいかがですか?」


 長い廊下を奥に進むたびに取り巻きは一人、また一人と増えていく。

 これぞ実力者の証。

 自分の権勢に侯爵は満足を覚える。

 私こそがローザリアの古い貴族だ。

 召喚者など、魔物を追い払うための道具に過ぎない。

 道具に爵位を与えるだと?

 国王陛下はおかしくなっているのだろう。

 通路を歩く侯爵は不遜な自信で満ちていた。

 ところが、そんな侯爵の行く手を阻む者がいた。

 脇に避ける気配を見せない少女を見て、侯爵は足を止めた。


「ん~、あんたはたしか召喚者の……」

「三郷花梨だよ」


 あいさつの一つもしない三郷を見て侯爵の取り巻きたちがざわめきだした。


「閣下に対して何たる無礼」

「世間知らずの召喚者とは言え、目に余りますな」


 とは言え、大声で直接三郷に文句を言う貴族はいない。

 みな召喚者を恐れているのだ。

 だが、絶大な財力とそれを背景にした権力をもつ侯爵は三郷を恐れてはいなかった。

 いくら召喚者が強力でも、人間の世界にはルールというものが存在する。

 そのルールの中にいるのならば、自分は召喚者よりも上だと思っているのだ。

 相手が埒外らちがいの者という発想が侯爵にはない。


「どいてくれんかね、お嬢ちゃん。私は急いでいるんでね」


 侯爵はあえて三郷を子ども扱いした。

 そうやって自分の余裕を周囲に見せつけようとしたのだ。

 だが、三郷も怯まなかった。


「ウランテール侯爵、あんたはキノシタ伯爵を誘拐したよね?」

「ん~……、何を言っているのかわからんなあ」


 いきなり図星を突かれても侯爵はまったく動じなかった。

 海千山千の侯爵にとって、この程度の腹芸などお手の物なのだ。

 だが、腹の中ではウランテールもイライラしていた。

 このような小娘にバカにされて黙っていては貴族の名折れだ。

 今度はこちらからとっちめてやろうと考えた。


「お嬢ちゃん、なにか証拠があって言っているのかい?」

「そんなものはないよ」

「そうであろう? 私は何もしていないからね。だいたいねえ、君。そんな言いがかりをつけて、庶民だったら投獄されているよ」

「そうかもね」

「私は寛大だからことを荒立てたりはしないけど、今のはよくないねえ。君、ちゃんと謝りなさい」


 大勢が見ている前で召喚者に謝罪させれば、少しは溜飲が下がると侯爵は考えた。

 ライバルであるラゴナ・エキスタの鼻を明かすことにもなるだろう。

 だが、三郷はまったく謝ろうとしなかった。


「残念ながらキノちゃんを誘拐した証拠は見つけられなかったんだよね」

「ほら、見なさい。だいたい君は――」

「でもあんた、不正をしてるっしょ?」

「今度は何を言い出すかと思え……ば……」


 ニヤニヤと笑いながら三郷が突き付けてきたのはウランテール侯爵家の会計帳簿だった。


「なっ! それをどこで⁉」


 侯爵はすかさず帳簿を奪い取ろうとしたが、三郷はひらりとかわしてしまう。


「その焦りよう、マジでやってるね! まあ、私は難しいことはわかんないからさ、なんかあるだろうと思って持ってきただけなんだよね。後でカランさんにでも調べてもらうからいいや」

「貴様、返さんか! 貴様がやっていることは窃盗だぞ!」

「う~ん、そうかもしんないけどさ、あんただって不倫してるじゃん」

「なんだと!」


 さすがの侯爵も顔色が変わった。

 それどころか脂汗までかきはじめている。


「まさか王様の第三王妃とやってるなんてびっくりしたわ」

「で、でたらめを……」

「でたらめじゃないよ、この目でちゃーんと見たもん」

「バカな! どうやってそんなことが……」

「あのさ、私は召喚者だよ。普段はそんなことしないけど、友だちのためだったらなんだってすんだからね! シモーヌ、俺の子を産め。その子を必ず王にしてやる! 俺がこの国の王の父になるのだっ! って叫びながら腰ふってたじゃん。女子高生にエグいもん見せんなや!」

「う、嘘だ! この娘は嘘をついている!」


 宮廷の廊下に侯爵の声が響き渡った。

 だが、三郷の後ろから現れた近衛兵士たちの姿を見て、人々は真実を確信する。

 兵士たちは侯爵に縄をかけながら告げた。


「閣下、あなたを横領と誨淫の罪で逮捕します。すでにシモーヌ王妃は捕らえられ、罪を認めております。ウランテール家の使用人たちも捕縛されました。閣下もおとなしくご同道ください」


 侯爵は身をよじって暴れるが、兵士たちの力にはかなわない。


「認めん。認めんぞ! ローザリアの侯爵たるこの私が、召喚者のような馬の骨などに――」


 騒ぐ侯爵を三郷が一喝して黙らせた。


「馬の骨、馬の骨って、うっせーんだよっ! おい、おっさん。三年二組をなめんなよっ!」


 うなだれた侯爵はそのまま連行されていく。

気が付けば、そばにいた取り巻きたちは蜘蛛の子を散らすように一人もいなくなっていた。


「お疲れさまでした、ミサト様」


 連行される公爵を仁王立ちで見送る三郷に、カランが声をかけた。


「あのおっさん、どうなるの?」

「とりあえずは投獄と尋問ですね。最終的に財産を没収されて追放といったところでしょうか」

「ふーん、王様の女を寝取っても死刑にはならないんだね」

「ローザリアの法律ではそうなっています」

「まあいいか。これでキノちゃんや私たち召喚者にちょっかいを出す輩も減るっしょ」


 三郷は手にしていた会計帳簿をカランに手渡した。


「これで一段落だけど、カランさんはどうするの?」

「本日中にムーンガルドへ旅立ちます。キノシタ伯爵が待っていらっしゃるでしょうから」

「いいなあ、私もキノちゃんに会いたいよ」


 三郷はすでに別方面の任務に就くことが決まっていた。


「今回の私の活躍をしっかりキノちゃんに伝えといてね。お礼に豪邸を建ててもらうんだから」

「きっと、ローザリアでいちばんの邸宅になるでしょうね」

「イッシッシッシ、やっぱりそう思う? そうだ、これをキノちゃんに渡してあげて。お・み・や・げ」


 カランは三郷からコーラのペットボトルを受け取った。

 そのラベルには見慣れない異世界の文字が書かれている。


『キノちゃん 私のことを思い出してボッキすんなよ! かりん♡』


「これは何が書いてあるのですか?」

「内緒。秘密のメッセージってやつだもん。じゃあね~」


 三郷は小さく手を振って行ってしまった。

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