第82話 石兵八陣

 朝になった。

 本日は晴天なり。

 うーん、空が近い!

 そして広い!

 砂漠にはこれまでの人生では味わったことのない特別な解放感がある。

 でね、新しい街へ着くと僕はいつもトイレに悩まされるじゃない?

 でも、ここではそれがないのだ。

 うん、そもそもトイレがほとんどない!

 基本的にトイレは大自然だから。

 大も小も砂に穴を掘ってする。

 小の大半は砂に染み込み、地表に残ったものもあっという間に蒸発してしまう。

 大はすぐにどこからともなく虫がやってきて、持ち去ってしまうのだ。

 ここでワンポイントレッスン。

 砂漠でおしっこをするときは片足をついてするんだよ。

 そうじゃないと、風でしずくが飛んでいくから。

 悪くすると自分にかかる。

 もっと悪くすると人にかかって喧嘩になってしまうのだ。



 フラウガ小隊の案内で岩山の谷までやってきた。

 僕はフラウガさんのラクーダの後ろに乗せてもらっている。

 トラックを召喚してもよかったんだけど、魔力を節約する必要があるからね。

 谷あいの道の広いところまで来ると僕は準備に取り掛かった。


「それでは作業を開始します」

「昨晩おっしゃっていた、石兵八陣とやらですか?」

「そうそう、名称は冗談ですけど、敵を惑わせ、人数減らしをする迷宮です。作業中は無防備になるので、フラウガさんたちは周囲の警戒をお願いします」


 昨日のように、また砂ヒョウが現れるとも限らない。

 用心はいくらでもしておいた方がいいだろう。


「各班は四方に散って警戒を厳にせよ。小さな異状も見逃すなよ。特に砂の中を移動する魔物に気を付けること。絶対にキノシタ伯爵の邪魔をさせるんじゃないぞ」


 フラウガさんは生真面目に命令を出している。

 僕の言うことも素直に聞いてくれるから、仕事がやりやすくていいや。

 ちょっとした行き違いはあったけど、彼女に道案内と護衛を任せてよかったと思った。


「よーし、ヴィオ、始めるぞ」


 一緒に来てもらったヴィオに声をかけた。


「お、おう。だけど、俺に工務店の社員なんて務まるのかな?」

「大丈夫、大丈夫、きのした魔法工務店のチュートリアルは完璧だからね。うちは新入社員の離職率0パーセントを目指しています!」


 なんてね。

 スキルを駆使してヴィオを社員に任命した。

 ついでに制服も貸与だ。


「おおっ!? なんだ、この服?」

「それが工務店ブルゾンさ。今回は砂漠仕様の空調服タイプだぞ」

「涼しい……」

「だろう? 風魔法と氷冷魔法のハイブリット方式だからね」


 氷冷魔法の冷却装置と風魔法のファンが火照った体を冷ましてくれるのだ。


「これなら炎天下の作業もへっちゃらだぜ!」

「よーし、まずは砂の固め方をレクチャーするよ」


 砂を固めて巨石を作り、それを次々と配置して迷路を作った。

 形にこだわる必要はないので、それほどの苦労はない。

 主要な石には小さな目印もつけておく。

 ここは人間も通る道なので秘密の符号をつけて安全なルートを確保したのだ。

 印についてはムーンガルド軍を通じて旅人に周知してもらう予定だ。


「兄貴、この目印の意味が魔物にバレたらどうするんだい?」

「魔物が気づくかなあ? それに、バレたときはバレたときだよ。敵の進軍速度を遅らせる、それだけでも軍事的意味はあるからね」


 迷路が出来上がるとトラップも設置した。

 突風や、流砂、壁から飛び出る槍など、かなりの量を用意しておく。

 ヴォルカン廃坑で見た敵のトラップが参考になるとは、人生は皮肉だねえ。


「よし、これくらいでいいかな……」


 早朝から作業を始めて、終わったのは昼過ぎだった。

 だけど、これだけが今日の仕事のすべてではない。

 ガダールに帰ったら城壁部分に内線をつなげなければならないのだ。

 ムーンガルドは他国ということで、やりすぎないようにとエリエッタ将軍からは釘を刺されている。

 でも、僕だって死にたくない。

 もし籠城戦にでもなれば、内線はとんでもない威力を発揮するのだ。

 それはガウレア城塞でも証明されている。

 やれるだけのことはやっておきたかった。


「疲れたぁ!」


 作業を終えたヴィオが砂の上にひっくり返った。


「おいおい、しっかりしてくれよ。まだ仕事は終わっていないんだからな」

「でも、のどがカラカラで……」


 ヴィオは自分の水筒をひっくり返して振ってみせたけど、水一滴垂れてこない。


「全部飲んじゃったの? しょうがないなあ」


 きのした魔法工務店は社員の福利厚生も忘れません!

 僕は魔力を展開して巨石の隙間のわかりづらいところに蛇口を取り付けた。


「ほら、ここで水を汲みなよ」

「おおっ! 兄貴はそんなこともできるのか!」


 ヴィオはのどを鳴らして水を飲んでいる。

 近くにいたフラウガさんも目を見開いているぞ。


「キノシタ伯爵、これは……」

「よかったらフラウガさんも使ってね。いくらでも出てくるのでラクーダに水をやることもできますよ」

「そんなに! おい、みんな水を汲んでおくんだ!」


 補給ができるときは必ず補給する、砂漠ではそれが鉄則だ。

 砂嵐は突然やってくる。

 そうなれば身動きが取れなくなってしまうし、道をロストすることもある。


「伯爵、この水は永久に湧き出るのですか?」

「うーん……、運が良ければ二、三十年は壊れないのですが、場合によっては七年くらいで故障してしまうかもしれません」

「それでも、そんなに長持ちするのですね。今後もここを使わせてもらってもよろしいでしょうか?」

「かまいませんよ」


 軽く返事をしたのだけどフラウガ小隊の盛り上がり方はすごかった。

 みんな飛び上がり、抱き合って喜んでいるぞ。

 それくらい砂漠で水は貴重なものだということだった。


       ◆◆◆


 タケルがいるガダールから五〇〇キロほど南下したところに、トザスという街があった。

 この街がゴブリンの軍勢に支配されてもう一週間が経とうとしている。

 表通りに人の姿はなく、いるのは大手を振って歩くゴブリンのみだ。

 それもそのはずで、人間の男は一週間前にすべて殺されてしまったからである。

 今ではみんな地面に散らばり、砂漠の風を受けてヒューヒューとく白い骨になっている。

 生き残った女たちはもっと悲惨だった。

 薄暗い屋内で、ゴブリンの子を産まされるためにひたすら凌辱されるのだから。

 トザスの領主の館でも、かつて領主の妻だった女がひときわ大きなゴブリンに犯されていた。

 一般的なゴブリンの体長は一五〇センチくらいのものだが、このゴブリンは一九〇センチ以上ある。

 ただ背が高いだけでなく肥満体だった。

 そんなゴブリンが女を組み敷き、腹の脂肪を震わせながら腰を振っている。

 このゴブリンこそが、ゴブリン将軍アグニダだった。


「ふぅ……」


 アグニダは満足の吐息をつきながら、女の体から離れた。

 女の顔に感情の動きはない。

 すでに彼女の精神は崩壊しているのだ。

 アグニダの動きが止まったのを見て、部下のゴブリンが声をかけた。


「アグニダ様、魔軍参謀フラウダートル様から書簡が届きました」

「フラウダートルだとぉ? 何と言ってきたんだ?」


 アグニダは倒れたままの女の乳房をぐにぐに揉みしだきながら、大儀そうに上半身を起き上がらせた。


「早急に北方の三都市を手中に収めるようにとのことです」


 つまらなそうに大きなあくびを漏らしながらアグニダは女の胸を弄び続ける。


「勝手なことばかり言いやがって……。出発は二週間後だ。ここで兵の補充をするんだからな」


 人間の女がゴブリンの精子を受精した場合、出産まではやたらと早い。

 一般的にその期間はおよそ一か月と言われている。

 人間からしてみれば驚異的なスピード出産なのだが、アグニダの支配下にある場所ではこれがさらに二週間に短縮される。

 しかもその影響力はゴブリンの成長速度にも及び、生まれて一週間もあればいっぱしの兵になる。

 それこそがアグニダの特殊能力だった。

 アグニダ自身の戦闘力は低い。

 七大将軍の中では最弱であり、そこら辺にいる魔人よりも弱いだろう。

 だが、アグニダはこの能力でゴブリンの王となり、大軍勢の力を背景に七大将軍の地位に上り詰めたのだ。


「この街で最低でも三千の兵を補充するからな。それまで出発はしないぞ」


 一体一体が脆弱なゴブリンにとって、数こそが力の根源なのだ。

 アグニダにはそのことがよくわかっていた。


「どーれ、念には念を入れておくか」


 好色な笑みを浮かべながらアグニダは寝ている女の太ももを開いた。

 今朝から何回ことに及んだのか、アグニダ自身も覚えていない。

 十回以上なのはたしかだ。

 だが、どんなにぞんざいに扱われても、女の顔に感情が浮かぶことはなかった。

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