第81話 砂漠の夜は寒いから


 食卓に上ったすべての食事をたいらげ、この地方の名産である蜂蜜入りの薔薇水を飲み干すと、僕とヴィオは大きなため息をついた。


「満足したか、タケル? 足りなければもっと注文していいぞ」


 エリエッタ将軍は機嫌よく笑っている。

 僕がたくさん食べるのが嬉しいようだ。


「もうじゅうぶんです、エリエッタ将軍。おかげで満足できました。ヴィオはどう、もっと食べる?」

「俺も満足だ。腹がはちきれそうだぜ」

「だったら少し休ませてもらいな。将軍、ヴィオに部屋を用意してもらえますか」

「うむ、連れて行ってやれ」


 兵士の一人がヴィオを連れて行くと、僕らはさっそく内緒の話に入った。

 僕がここに至ったいきさつを詳しく説明したのだ。

 もちろん誘拐事件のこともつぶさに話した。


「――というわけで、犯人の正体はつかめていません。おそらく、貴族の中でもかなり高位の者の犯行だとは思いますけど」

「ぐぬぬっ……、国のために尽くしたタケルをこんな目に遭わせるなど決して許さん!」

「まあまあ。それより、ガウレア城塞にいた将軍がどうしてムーンガルドへ?」

「軍の再編成があって、私は派遣軍の責任者にされてしまったのだよ。いちおう、栄転なんだがな」

「それはおめでとうございます」


 お祝いを言ったのにエリエッタ将軍はげんなりした顔になってしまった。


「ふん、手放しでは喜べんのだ。なんせ、ムーンガルドは危機的な状況にあるのだからな」


 エリエッタ将軍にそう言われてもちょっと実感がわかなかった。

 今のところガダールは平穏そのもので、争いの兆しは見えない。

 先ほどは砂ヒョウに襲われたけど、この街のように城壁があれば対処はいくらでも可能だろう。

 だけど、エリエッタ将軍の顔は暗かった。


「ムーンガルドの南部ではいくつもの街が壊滅しているのだ」

「敵はそんなに強力なのですか?」

「ああ、ゴブリン将軍アグニダ、それが魔物の親玉さ」

「ゴブリン将軍というと、そいつも七大将軍の一人ですか?」

「ああ、そしてきわめて厄介な敵と言える」


 泣き言などめったに口にしないエリエッタ将軍が弱気だった。


「アグニダというのはよほど恐ろしい魔物なのですね」

「奴個人の力はたいしたことないという話だ」

「だったら、将軍は何を恐れているのです?」

「アグニダの軍勢はやたらと数が多いのだよ。総数は十万と言われている」

「なっ!」


 僕は言葉を失ってしまった。

 十万なんていう大軍は見たことがない。


「部隊にいる魔物はすべてゴブリンだ。アグニダと同じで一体一体はさほど強力ではない。だが、軍としてまとまられるとこれが厄介なのだ」


 魔物の軍勢というのはあまり戦術を使ってこない。

 せいぜい一斉突撃をしかけてくるくらいのものだ。

 まとまった行動が苦手なのだろう。

 ところがゴブリンは人間のように攻撃陣や防御陣を敷き、指揮官の合図で突撃と退却をこなせるらしい。


「すでにいくつかの都市が陥落している。こういっては何だが、ムーンガルドはローザリアにとって緩衝地帯だ。ここが落とされれば次は我が領土の番となる」

「それでエリエッタ将軍が援軍として派遣されてきたのですね」

「そういうことだ、まったく頭の痛い話さ。奴らは倒しても倒しても切りがないからな」

「切りがないって?」

「すぐに補充されるのだよ……」


 エリエッタ将軍はげんなりした顔で身を震わせた。

 聞いたことがある。

 ゴブリンは人間の集落を襲い、女性を犯すそうだ。

 そして、ゴブリンに犯された女性はゴブリンを生む……。


「戦場で捕まった女兵士は悲惨だぞ。殺されることも叶わず、奴らの苗床になるんだからな……」


 脳裏に甲冑をはがされたエリエッタ将軍の姿がよぎった。

 甲冑をはがされ、四肢を押さえつけられた将軍がゴブリンに代わる代わる……。

 身の毛もよだつ想像を僕は頭から追い払った。


「そんなことはさせない! 僕が絶対に守ります」

「タケル……?」


 自由の身になったらすぐにローザリアへ帰ろうと思っていた。

だけど、友人を置いてここを去ることはできない。


「僕も将軍の手伝いをしますよ。ローザリアに手紙を届けることはできますか? 僕の無事をカランさんたちに知らせたいので」

「連絡兵は定期的に往復しているが……いいのか?」

「一緒に頑張りましょう」

「タケルぅ!」


 エリエッタ将軍に窒息するほど抱きしめられてしまった。



 話し合いを終えて外に出ると真っ赤な夕焼けが砂漠の空に広がっていた。

 こんな燃えるように濃い夕日を僕は見たことがない。

 心がしびれるほど美しかった。

 でも、迫りくる夕闇のむこうにゴブリンの大部隊がいると思うとぞっとしてしまう。

 砂漠のオアシスというのは周りがすべて砂漠なので、どこからでも攻められてしまうのだ。

 ガダールでは常に偵察兵を出して敵を警戒しているそうだ。

 僕を捕まえたフラウガさんの小隊もそんな偵察部隊の一つである。

 明日から早速準備にかかろう。

 今回はお風呂やトイレを作っている余裕はない。

 セティアがいないので赤マムリンで魔力を補給することもできないからだ。

 計画的に、かつなるべく節約しながらやりくりする必要がある。

 昼間の戦闘で魔力を消費したから、今夜は早めに寝た方がいいだろう。


 与えられた寝室で、さっそくベッドに入ろうかと思っていたら客人があった。

 ムーンガルド軍のフラウガ隊長だった。


「どうしたんですか、こんな時間に?」

「お詫びに参りました。どうか部屋へ上げていただけませんか?」


 部屋に入るとフラウガさんは羽織っていたマントを脱いだ。


「え……」


昼間に着けていた甲冑はもうなく、フラウガさんは体の線が透けて見えるような薄絹をまとっただけの姿である。


「どうぞ私を罰してください。たとえ命を取られても恨みはいたしません。その代わり、どうかローザリアの援軍を国に帰したりしないでください。お願いします!」


 フラウガさんは両膝をついて懇願してきた。

 きっと悲壮な決意でこの部屋までやって来たのだろう。


「ひょっとして、上官にそうやって謝ってこいって命令されました?」

「そ、それは……。ですが、知らぬこととはいえキノシタ伯爵を縄でつなぎ、ラクーダ―で引き回したのは事実。鞭で打つなり、私の体で憂さを晴らすなり好きにしてくださいませ……」


 消え入りそうな声を絞り出しながら、フラウガさんは震えている。

 きっと屈辱に耐えているんだろうなあ。

 融通の利かない性格をしているし、見た目はとてもきつそうだけど、フラウガさんはオリエンタル風の美人でもある。

 僕だって性欲がないわけじゃないのだ。

 はっきり言ってすごく興奮している。

 でも、泣いている女の人を見るのは好きじゃないんだよね……。


「うーん……、だったら僕のお願いを聞いてもらえます?」

「なんなりとおっしゃってくださいませ! 誠心誠意やらせていただきますので」


 やっぱり生真面目な人だなあ。


「実はね、うちのエリエッタ将軍とガダール駐屯軍との話し合いがあったんだ。その中で僕が防衛関連のものをいろいろと作ることが決まってね」

「その話なら私たちにも通達がありました」


 だったら話は早い。


「それで、ガダールの周囲を調査したいんだけど、フラウガさんの小隊がついてきてくれないかな? 地理に詳しい人に案内を頼みたいんだ。話はこちらから通しておくから」


 フラウガさんはまじめな人だから、きっと僕の要望に丁寧に応えてくれる気がした。


「私でよろしければ異存はございませんが、伯爵は何をなさるつもりですか?」

「罠を張ろうと思っているんだ。まあ、石兵八陣せきへいはちじんってやつを作ってみようかとね」

「石兵八陣……?」


 石兵八陣とは『三国志演義』に出てきた架空の陣のことだ。

 作ったのはかの有名な軍師、諸葛孔明とされている。

 巨石が積み上げられた迷路のような場所で、定期的に突風などが吹き、ここに踏み込んだ軍隊は道に迷って退却を余儀なくさせられるというものである。

 ちなみになんで僕がこんなことを知っているかと言えば、歴史の吉川先生のおかげだ。

 吉川先生は三国志おたくで、授業をそっちのけで三国志の逸話を熱く語ってくれた先生である。

 エイちゃん、元気にしているかなあ?

 脱線が過ぎて、校長先生に叱られていないといいけど……。

 話を元に戻すと、僕はこの石兵八陣っぽいトラップを仕掛ける予定だ。

 一概に砂漠と言っても必ず通らなければならないルートというのはいくつかあるそうだ。

 それが、昨日僕らが通ってきた長い岩の谷である。

 フラウガさんは困惑の表情で僕を見つめる。


「私たちは伯爵を奴隷として連行しようとしたのに、一緒に戦ってくれるのですか?」

「まあ、友だちが頑張っているからね」


 夜の砂漠はかなり冷える。

 マントを拾って、直立不動のフラウガさんにかけてあげた。

 軍人らしく引き締まった体のフラウガさんは魅力的すぎる。

 特に引きしまったお尻がね……。

 金の装飾具がついた朱色のTバックは反則でしょう。

 これ以上は目の毒だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る