第76話 漂流先


 僕は水平線を眺めていた。

 それから後ろを振り返り灼熱の砂漠を見て茫然となる。

 夏はまだ先のはずなんだけど、ここはやたらと暑い。

 見渡す限り植物はほとんどなく、強すぎる日差しの下で折り重なる砂丘がどこまでも広がっている。

 どうやらとんでもないところに来てしまったようだ。


「ううーん……」


 すぐ横で寝ていたヴィオが苦しそうなうめき声を上げた。

 きっと悪夢の続きを見ているのだろう。

 そう、僕たちはここへ来るまでにとんでもない目に遭っていた。


 ローザリアの宮廷で誘拐された僕は鉱山へ向かう奴隷船に乗せられた。

 そりゃあもう、汚くて臭い船だったよ。

 狭い船室に他の奴隷と一緒に押し込められて、横になることもできなかったくらいだ。

 ローザリアって表向きは奴隷の売買を禁じているんだよ。

 でも、有力貴族は裏でこっそりやっていて、莫大な利益を得ているそうだ。

 そういった事情を教えてくれたのが、船で友だちになったヴィオである。

 年齢は僕より下で弟みたいな男の子だ。

 さらっとした金髪、身長は低め、目はぱっちりとしていて、そのせいか愛嬌のある顔をしている。

 実家の商売が破産して、ヴィオは借金のかたに奴隷落ちしたとのことだった。

 僕らの乗っている船が南にあるカトレア銀山へ向かっていることを教えてくれたのもヴィオだった。

 だけど、僕らの航海は呪われていたようだ。

 いよいよ明日はカトレアという夜、奴隷船は嵐に見舞われた。

 もうね、生きた心地がしなかったよ。

 船倉にいて外の様子は見えなかったけど、船はとんでもない上下運動を繰り返していたと思う。

 船員が何名も海に流され、船のマストも折れてしまったくらいの被害だった。

 嵐は夜明け前に静まったけど、そこからは苦しい漂流生活だった。

 しかも僕たちの受難はまだ終わらない。

 漂流四日目にして今度は巨大な魔物に襲われてしまったのだ。

 敵は巨大なタコだったらしい。

 やっぱり船倉に押し込められていたから僕は見ていないのだ。

 とにかく、その襲撃で船は大破。

 僕とヴィオは板につかまって命からがら逃げだし、この海岸に流れ着いたのだった。

 

「兄貴……」

「お、気が付いたか、ヴィオ」


 ヴィオは苦しそうに上半身を起こした。


「ここ、どこ……?」

「僕の方が聞きたいよ。たぶん、ローザリアからはずっと南の方だと思う」


 何日も漂流したからなあ。


「兄貴、水はないかな?」


 僕は力なく首を振った。

 海水なら目の前にいくらでもあったけど、真水となると一滴もなかった。

 魔封錠さえなければ水くらいいくらでも出してあげられるのだけど、この手枷がある限り工務店の力は何も使えない。

 漂流中も何度か外そうと試みたけど、どうしても外すことはできなかった。


「兄貴、これからどうする?」


 ヴィオは縋るような目つきで僕を見上げる。


「海岸線を歩いて人家を見つけよう。たとえ集落が見つからなくても川ならあるかもしれないだろう?」

「なるほど、兄貴は頭がいいな」


 この世界でも太陽は東から上り、西へと沈む。

 僕は北の方向を見定めて歩き出した。


「なんで北へ向かうのさ?」

「ローザリアで僕を待っている人がいるからね」


 カランさん、アイネ、セティア、エルニアさん、クラスメイトたち、みんなの顔が頭をよぎる。

 きっと僕のことを心配してくれているだろう。

 僕はこんなところで死ぬわけにはいかないのだ。


「なんとか魔封錠を外す方法を考えよう。これさえなくなれば水を飲ませてあげられるし、砂の上でも走れる馬のない馬車にも乗せてあげられるんだよ」


 無限軌道のついた重機なら砂の上でも走行は可能なはずだ。

 それなのにヴィオは雑な受け答えしかしない。


「あ~ハイハイ。馬のない馬車ですね。そんなの動くわけねーじゃん」

「信じてないな。きのした魔法工務店の重機はエアコンもついているから、車内がすごく涼しいんだぞ」

「もういいって。兄貴の与太話でお腹いっぱいだよ。それより早く行こうぜ」


 ヴィオは僕の話をまったく信じていなかった。


「あれ、兄貴、あそこ……、砂埃が立ってない?」


 ヴィオの言葉に僕は目を凝らした。

 砂丘の上に豆粒みたいな人が何人も見える。

 ラクダのような動物に乗っているようだ。

 きっとこの国の人たちだろう。


「お、こっちに来るみたいだぞ。おーい!」


 僕は魔封錠をはめられた両手を上げて大きく振った。

 だけど、ヴィオは心配そうだ。


「大丈夫かな? まともな人間ならいいけど、盗賊とかだったら……」

「そうだけど、ここでこうしているよりはマシじゃないかな? どうせ取られるものもないし」


 僕らが来ているのは粗末な奴隷服だ。

 オーダーメードで買った僕の服は船に乗る前にはぎとられている。

 他に身に着けているものと言えば粗末なサンダルと魔封錠くらいのものだ。

 サンダルは困るけど、魔封錠ならむしろ持っていってほしいくらいである。


「命を取られたらどうするんだよ!」

「まあそうだけど、いずれにせよこのままじゃ干乾しになっちゃうよ。向こうには乗り物もあるからどうせ逃げられないさ。だったらのんびりここで待とうよ」

「うーん……」


 ヴィオは不安そうだったけど、僕は炎天下の砂漠を歩くよりはましだと思った。

 ガウレア城塞、ヴォルカン廃坑、二つの戦いを生き抜き、僕の肝も多少は太くなっているようだった。

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