第75話 ワインセラーへ向かう途中で


 僕の受勲式は五日後に迫っていた。

 式典のために新しい衣装を作ったり、作法をおぼえたり、パーティーの準備をしたり、毎日忙しくて頭が痛いよ。

 受勲式は向こうがやってくれるけど、勲章のお披露目パーティーは僕が開かないといけないんだって。

 面倒だなあ。

 招待状、席順、食事のメニューなど、決めなくてはならないことが山ほどあるのだ。

 クラブハウスの建設も中途半端なままになっている。

 プールだってまだ作れていない。

 早くしないと夏が来てしまうのにね。

 ぶっちゃけ、僕にとっては大勲位薔薇十字星章よりもクラブハウスのほうが大事なのだ。

 席順なんてどうでもいいし、招待状にサインする時間も惜しいというのが本音である。

 今も、パーティーで出すワインについて責任者と話し合うために、地下にある宮廷内のワインセラーにむかっているところだ。

 どのワインをどれくらい出すか、実物を見て決めないといけないそうだ。

 

「元気を出してください、タケル様。タケル様は何も悪くありませんわ。悪いのは無理難題を押し付けてくる宮廷ですもの!」


 護衛としてついてきてくれているエルニアさんに励まされてしまった。

 最近は護衛としてだけでなく、秘書のような役割も担ってくれている。

 僕のスケジュールや交友関係など、エルニアさんが知らないことは何一つないくらいだ。

 忙しいカランさんも助かっているようで、サポートの一部をエルニアさんに任せているようだ。


「エルニアさんは伯爵のすべてを調べ上げていらっしゃいますので。ヤンデールとハサミは使いよう、ということわざは本当ですね……」


 と、言っていた。

 調べ上げる、というワードが気になったけど、どういうことだろう?

 秘書としてよく把握している、ってことかな?

 そういう意味でエルニアさんは本当によくやってくれている。

 ちらりとエルニアさんを見ると、俯いたままブツブツ言っている。


「伯爵と秘書、ただならぬ関係。伯爵と秘書、背徳の執務室。伯爵と秘書、馬車の中の秘め事。伯爵と秘書、図書室の隅で。伯爵と秘書、ご奉仕の朝。伯爵と秘書、拘束の三日間。伯爵と秘書、愛の逃避行。伯爵と秘書、熱く溶け合って……」


 聞き取れないほど小声だ。

 たまによくわからない行動をするけど、エルニアさんは優秀なのだ。


 階段を降り切ったところでひとりの侍従が僕らの後ろから駆け寄ってきた。


「エルニア・ヤンデール様、カラン・マクウェル様がお呼びです」

「カランさんが?」

「至急、お伝えしたいことがあるそうです」


 つい先ほどカランさんと別れてきたばかりなのに、言い忘れたことでもあったのかな?


「それでは、タケル様をワインセラーまで送り届けてから参りましょう」

「それが、至急とのことで……」


 侍従は申し訳なさそうに頭を下げる。

 この人を困らせるのもかわいそうだ。

 それに、ワインセラーはもう目と鼻の先だった。


「いいよ、行ってきて。僕なら一人で大丈夫だから」


 街中だったら怖いけど、ここは宮廷の一角だ。

 暴漢や無頼のたぐいもいないだろう。


「それでは、すぐに戻ってきますので、どこにも行かないでくださいね」

「わかってますよ」


 エルニアさんは何度も振り返りながら階段を昇って行った。


 目の前には二〇メートルほどの通路が続いていた。

 この突き当りを左に曲がれば目的の場所である。

 あまり人は来ないようで周囲は静まり返っていた。

 さっさと終わらせてしまおうと考えて歩き出した僕の横で、ふいに扉が開いた。

 僕が見たのは黒い皮手袋に掴まれた白いハンカチだ。

 そのハンカチで口と鼻を覆われた。

 薬品の匂い?

 いったい誰が?

 詮索する間もなく、僕は気を失ってしまった。



 目を覚ますと、そこは薄暗い部屋だった。

 壁、天井、床、梁、どれも見覚えのないものばかりだ。

 普段から建物の構造や建材には無意識に目がいく。

 工務店の僕が言うのだから間違いない。

 窓のない部屋なので景色は見えなかったけど、宮殿ではないことは確かだった。

 きっと、寝ている間に外部へ運ばれてしまったのだろう。


「お目覚めのようだな、キノシタ伯爵」

「なっ!」


 慌てて立ち上がろうとして、自分が椅子に縛り付けられていることに気が付いた。

 ご丁寧に手枷まではめられているぞ。

 目の前には高そうな服を着て、仮面をつけた男が立っていた。

 小指にはまった大きなダイヤモンドのついた金の指輪から察するに、こいつは相当な金持ちなのだろう。


「誰? どうして僕を捕まえた?」

「私のことは詮索しないでいい。君には何も教えずにいようかと思ったのだが、それはさすがに礼を欠くと思ったので、出発前にわざわざやってきたのだよ」


 部屋が薄暗いうえ、仮面で顔はわからなかったけど、男はしゃがれた声をしていた。

 おそらく中年以上の年齢だろう。

 陰気で意地悪そうな声だった。


「出発ってどういうこと?」

「君は奴隷として、とある鉱山へ送られる。そこで死ぬまで働くのだ」

「どうして!」

「ふん、成り上がり者が伯爵などという分不相応な身分につくのが悪いのだ。そこは百歩譲って許すとしても、大勲位薔薇十字星章を受勲するなどあってはならないことだ!」


 勲章の授与を邪魔するために僕をさらったのか?


「ひょっとして、あなたは王国貴族?」

「その中でも良識ある者たちの一人とだけ言っておこう」


 なるほど、召喚者をよく思わない一派か。

 まあいい、ここは何とかやり過ごして、あとで脱出の手立てを考えよう。

 一人になれれば何とでもなるはずだ。


「そうそう、逃げ出そうなどという甘い考えは捨てた方がいい」


 仮面の男はあざ笑うように続けた。


「君には魔封錠をつけさせてもらったよ。そう、その手枷のことだ。それを付けられると魔法が一切使えなくなるのだ。どういう理屈になっているのかは知らんがね」


 僕も聞いたことがあるぞ。

 これは魔法使いを捕虜にするために魔軍が開発したものらしい。

 きっと、鹵獲した敵の物資に入っていたんだな。

 こんなものを手に入れることができるなんて、この男は相当地位の高い貴族なのだろう。

 魔封錠は金属製の手錠に似ている。

 警察官が携帯する手錠より手枷の部分が大きく、無理やりには外せそうもなかった。


「どうしてこんなことをする? 僕が気に入らないのならすぐに殺せばいいだろう?」

「われらの力を見せつけるためさ。お前らはジョブの力でいい気になっているようだが、それがなければただの人間だ。そのことを思い知らせてやる必要があると思ったのだ。せいぜい苦しんで絶望するがいい。奴隷が鉱山で一年生き延びる確率を知っているかね?」

「…………」

「わずか一五パーセントだそうだよ。八五パーセントの奴隷は一年以内に死んでしまうのだ」


 男はうれしそうに笑った。


「さて、おしゃべりはここまでだ。もう二度と会うこともあるまい。せいぜい頑張って働いてくれたまえ。それじゃあ」


 正面の扉が閉められ、室内は真っ暗になった。

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