第62話 新薬


「起きて、木下君」


 体を流れる心地よい波動と、優しい声に起こされた。

 目を開けると今中さんが回復魔法をかけてくれているところだった。

 偵察任務から戻った僕はまたもや倒れてしまったのだ。

 魔力も気力も体力も消耗していたのだろう。


「僕はどれくらい寝ていたの?」

「二時間くらいかな。気分はどう?」

「うん、すっかりいいみたい。三郷さんは?」

「自分の天幕で寝ているよ。安心して、花梨も元気だから」


 ああ、そういえば三郷さんの名前は花梨だったな……。

 召喚前はそれほど仲良くなかったけど、ともに戦闘を潜り抜けて、仲間意識が深まっている。

 三郷さんが元気だと聞いて僕もうれしかった。


「そうそう、花梨からメモを預かっているの。木下君が起きたら渡してほしいって」


 僕は二つにたたまれた小さなメモを受け取った。


『朝立ちしてる?』


 すぐにメモを握りつぶす。


「何が書いてあったの?」


 今中さんは純真そのものの表情で聞いてくるけど、こんなもの見せられないよ。

 それこそ、聖女に対する冒涜だ。


「しっかりやれ、ってさ……」


 まあ、そういうふうに解釈しておこう。


「それより、会議の結果はどうなった?」

 

 眠りにつく前に、偵察の結果は内線で報告してある。

 敵の援軍は四日後には到着するらしい。

 今後の対応をすぐに協議するとピリット将軍は言っていた。

 撤退か戦闘継続か、それが問題だった。


「そのことについては私からご報告申し上げます」


 カランさんが僕のそばに来た。


「結論から言いますと、伯爵次第ということになっています」

「僕次第?」


 もしここで撤退すれば、せっかく追い詰めたロックザハットを取り逃がしてしまうだろう。

 七代将軍の一人を討ち取るチャンスではあるが、そのためにトンネルは不可欠だ。

 だけど、今のペースでトンネルを掘っても、開通にはどうやっても四日はかかる。

 となれば、敵の援軍がやってきてしまうのだ。

 少なくとも、あと三日でトンネルを完成させなければローザリア軍は窮地に陥ってしまうだろう。


「僕としては掘り続けたいよ。たとえローザリア軍が撤退しても、ヤンデール公爵を救出するという目的があるからね」


 僕まで引き上げてしまっては、これまで必死に頑張ってくれていたエルニアさんに申し訳がない。


「安心してください、エルニアさん。ヤンデール公爵をきっと助けましょうね」

「タケル様……」


 エルニアさんは泣き笑いの表情になっていた。

 今日もばっちり地雷メイクを決めている。

 すっかり手馴れて、凄みのある美しさを醸し出しているぞ。

 こういうのを凄艶せいえんっていうのかな? 

 国語の山中先生が言っていたやつだ。


「伯爵の意気込みはわかりました。問題はあとどれくらいでトンネルを作れるかです」


 やっぱりそこだよな。


「たとえばだけど、赤マムリンを多用して、さらに寝る間を惜しんで掘れば三日でいける……気はする。もちろん、今中さんの協力が不可欠だけどね」


 強制的に魔力を回復させても、体力の方がついていかないだろう。

 定期的に回復魔法をかけてもらうしかない。

 ただそれでも、三日での完成は確約できない。


「なるほど、ギリギリのところですね。ということで新薬の出番です。セティア」


 カランさんに呼ばれたセティアが前に出てきた。


「は、伯爵のために新薬を開発しました。その名も赤マムリン・プレミアです!」


 控えめなセティアが少しだけ胸を張っている。

 よほど自身があるのだろう。


「赤マムリンを改良したんだね?」

「そ、そのとおりです。赤マムリンの起爆力をそのままに、継続効果を維持することができます。お体に負担はかかるのですが、聖女様が治療されますので……」


 なるほど、今中さんがいてくれるという前提のもとに作られた新薬か。


「それにしても、よく新薬を開発できたね。なにかいい素材でも見つけたの?」


 セティアはよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに目を輝かせた。


「そ、そうなのです! 先日、近くの沼でタイクーンフロッグを見つけまして」

「はぁ?」


 セティアはごそごそと自分の肩掛けバッグを漁り、そいつを見つけ出した。


「これでございます!」


 セティアの白い指にむんずと掴まれているのは巨大なカエルだ。

 ウシガエルをもう一回りくらい大きくした感じだな……。


「ヴォルカン周辺の湖沼はタイクーンフロッグの生息地だったのです。そこで、この子の肝臓エキスを赤マムリンにブレンドすることを思いついたのです!」


 なにその「褒めてください」みたいなお顔は?

 いや、よくやってくれたと思う。

 本当にありがたいよ。

 でもね、蛇と蜘蛛に蛙が加わるわけだ。

 それでプレミアなのね……。

 薬の材料はともかく、セティアは僕のために頑張ってくれたのだ。

 きちんとお礼は言っておかないとね。


「セティア、ありがとう」

「は、伯爵のおためですから」


 ゲテモノではあるけど、これさえあればトンネル工事は間に合うかもしれない。

 今までだって蛇と蜘蛛の汁を飲んできたのだ。

 今さらカエルが加わったってどうってことないや!

 セティアがつっと身を寄せてきた。

 そして、ちょいちょいと僕を手招きする。


「どうしたの?」

「お伝えしておかなければならないことがあります」


 セティアの表情は深刻だ。

 ひょっとして、赤マムリン・プレミアには深刻な副作用があるのか?


「それは薬についてのことだね?」

「そのとおりです。赤マムリン・プレミアは非常に強力な薬です。で、ですのでお体の……」


 よほど深刻な問題なのか、セティアは言葉を切ってうつむいてしまった。

 ひょっとして、今中さんにも治せないほどのペナルティーがあるのか?


「セティア、ちゃんと答えてよ!」


 え、セティアが顔を真っ赤にして涙ぐんでいる。


「怒らないから言ってみて。この薬を飲むと僕はどうなってしまうんだい?」


 セティアは耳元に口を寄せてささやいた。


「は、は、伯爵の大事なところが固くなってしまうのです」


 大事なところって……あそこのこと⁉


「そ、それだけ?」

「はい……」


 いや、泣かれても困るんですけど。

 もっと深刻な症状を考えていたから拍子抜けしてしまったけど、たしかに作業はやりにくそうだ。


「し、仕方がないよ。それくらいなら耐えられるから。ところで、このことを知っている人は他にいる?」


 伝えてはならない人物が二人いる。


「ご、ご安心ください。内緒にしてあります。私とカランさんと聖女様しか知りません」

「っ!」


今中さんは知っているのか。

なんだか恥ずかしいぞ。

あっ、今中さんが不自然に目を逸らした!

明らかに会話の内容を察知したな。

まあいい、今中さんは大人だ。

お互いに知らないふりをしておけばいい話だ。

問題は三郷さんとアイネである。

三郷さんはネタとして何度でもいじってくるだろうし、アイネに至っては本当に弄ってくるからね……。

この二人に知られなかっただけマシだと思おう。


カランさんに促されて、僕は赤マムリン・プレミアをあおった。


「うあっ、体が熱い……」


セティアが恐る恐る訊ねてきた。


「いかがですか?」

「うん、腹の底から魔力が込み上げてくる感じがするよ」


 言えないけど、体の一部も固くなってきた。

 だけど、これならトンネルを間に合わせることができそうだ。

どんな状況にあってもきのした魔法工務店の工期は絶対である。

死ぬ気で掘りまくるぞ!


「ゲロゲロ!」


 ヴォルカンの穴の壁にタイクーンフロッグの鳴き声がこだました。

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