第55話 薬はばっちり


       ◎◎◎


 ローザリア軍の陣幕から少し離れた岩場でエルニアは身を潜めていた。

 月は中天に差し掛かり、魔人に指定された時刻はもうそろそろだ。

 身を強張らせるエルニアの頭上から、かぎ爪のついた黒い羽をはためかせて魔人が飛び下りてきた。


「うまくキノシタの懐に潜り込めたようだな」

「と、当然ですわ。タケ……キノシタはすっかり私の虜ですもの。私のことはまったく疑っていませんことよ」


 魔人はどこからかタケルとエルニアを観察していたようだ。

 自分がダブルスパイであることを見抜かれてはならないと、エルニアは気を引き締めた。


「しかし貴様の演技もたいしたものだ。まるでキノシタにベタ惚れのようではないか。危うく俺まで本気かと思ったくらいだぞ」

「そんなことありませんわ。おじいさまを助けるための演技なのですから。おじいさまはもちろん無事でしょうね?」

「安心しろ、病気一つしていない。だが、今後も命の保証があると思うなよ。じじいにきちんとしたものを食わせたかったら、俺への報告を怠るな」

「わかっています」

「では答えてもらおうか。どうしてキノシタはヤンデールにやってきたのだ? お前、なにか企んでいるのか?」


 魔人は慈悲とは無縁の冷たい視線をエルニアに投げかけた。

 エルニアは用意しておいた答えを口にした。


「キノシタがヤンデールにきたのはたまたまよ。あいつにとって仲のいい友達が派遣されているから、彼らを激励するために来たの」

「仲がいい? 誰のことを言っている?」

「特に仲がいいのはパラディンのタケノヅカさんと、聖女のイマナカさんね。特にイマナカさんには特別な思いがあるらしくて……」

「おい、どうした? 顔がゴーストのようになっているぞ」


 今中の名前が出たとたんにエルニアは嘆きの幽霊のようになり、魔人ですら少しだけ恐怖を感じた。

 嘆きの幽霊は人の精神に作用して、負の感情を増幅させる魔物だ。

 物理攻撃が効きにくく、火炎系魔法に弱い、

 この魔人は物理攻撃を得意としていて、魔法攻撃は苦手だったりする。

 そういった意味でもゴースト系にそっくりなエルニアを恐れたのだ。


「べ、別になんでもありませんわ」

「まあいい……。奴は仲間のために何をしている?」

「まずはお風呂とトイレを作っていたわ」

「何のために?」

「衛生のためよ」

「えいせい……?」


 魔族は体が丈夫ゆえに衛生の重要性がわからないでいた。


「ふーむ……。それからやけに派手な建物が建っただろう? あれは何だ」

「あれは私とタケル様の愛の結晶……じゃなくて、コンビニという施設よ。酒保みたいなものね」


 酒保とは戦場における兵士相手の日用品・飲食物などの売店のことだ。

 ゆえに、エルニアの言葉もあながち間違ってはいない。

 もっとも、一般的な酒保と武尊のコンビニとでは、クオリティに雲泥の差があるのはもちろんだった。


「なるほど、キノシタは本当に非戦闘員か……」

「だからずっとそう言っているではないですか」

「他の召喚者らは何をしている? ヴォルカン攻略の策をたてているのではないか?」

「私はキノシタの動向を見張れとしか命令されていないから……」


 魔人は低い声をだしてエルニアを恫喝どうかつした。


「自分の立場を忘れるなよ。さもないとヤンデール公爵は……」

「わかっています! 今は攻めあぐねて増援を待っているみたい」

「来るのは兵士か? それとも新しい召喚者か?」

「そこまではわからないわ。ただ、到着にはまだまだ時間がかかるみたいよ。援軍はグラビ砂漠の方からやってくるんですって」


 グラビ砂漠はローザリアの遥か南東である。


「詳しいことは必ずキノシタから聞き出してみせるわ。だからおじいさまには手を出さないで!」

「よかろう、三日後のこの時間、この場所で教えてもらうぞ。必ず情報を探りだせ」

「ねえ、あなたたちはどうするつもりなの?」

「我々の動向を知ってどうするつもりだ? まさか人間に情報を流すつもりか?」

「そうじゃないわ。総攻撃などがあるなら避難したいだけよ」

「ふん……、詳しいことはいずれ教えてやる」


 魔人は翼を広げて夜の闇へと飛び上がり、ヴォルカンの山間に消えていった。


       ◇◇◇


 将軍やクラスメイトと今後の計画について話し合っていると、青い顔をしたエルニアさんが天幕に戻ってきた。

 魔人と会っていたので緊張していたのだろう。

 かわいそうに、エルニアさんは小さく震えている。

 僕とクラスメイトはまずは優しくいたわることにした。


「大変だったね。さあ座って」

「タケル様、お言いつけ通り、あえてこちらの情報を流してきました。もちろん爆炎の魔術師ヨシダ・タマオ様のことは何も言っておりません!」


 ダブルスパイになったとはいえ、これまでのことをエルニアさんは非常に悔いている。

 今も過去を思い出して自分を責めているのかもしれない。


「ありがとう。これでヤンデール公爵救出の時間稼ぎはできたかな?」


 そう聞くと、エルニアさんは悲しそうな顔で首を横に振った。


「それが、援軍の内容と到着時期を調べてこいと言われてしまいました。ロックザハットは攻撃の機会を窺っているようです」

「次にその魔人と会うのはいつ?」

「三日後にまた同じ場所で報告しなければなりません」

「一刻も早くトンネルを完成させなければならないね」

「実際のところ、どれくらい時間がかかるんだ?」


 竹ノ塚の質問に、僕は届いたばかりの坑道の地図を睨んだ。


「エルニアさん、岩魔将軍の居場所はわかります? それからヤンデール公爵が捕らえられている場所も」

「はい、ロックザハットはこの場所に指令所を設けました。おじいさまはこちらの窪みを利用した牢にいらっしゃいます」


 ヴォルカンの廃坑はかなり入り組んでいる。

 何十年も魔結晶を掘り続けた結果、坑道の総延長は三〇キロメートル以上だ。

 無駄なく最短距離を掘ったとしても、ロックザハットの居場所までは一二キロ強。

 敵に気づかれないようにするためには迂回も必要になるだろう。

 もし地下水脈にあたってしまったら排水が必要だし、空気の入れ替えだってしなければならない。

 ということは……。


「およそ十日は必要だと思う」

「十日か……。その前に魔軍が動けば、こちらにも犠牲が出るな……」


 そう、時間がかかればそれだけリスクは増大するのだ。


「わかった、今からトンネルを掘るよ」

「今からだと! 本気か、木下?」

「巧遅より拙速が求められる現場だろう? スピード重視でやってやるさ。なんとか一週間で掘ってみる。吉田の到着もそれくらいだろう?」


 僕はセティアに向き合った。


「セティア、赤マムリンはあと十本あったよね?」

「十二本あります。必要になるかと思い追加で作製しました」

「さすがはセティアだ。ありがとう!」

「そ、そ、そんな。えへ、えへへ……(お礼ならゴッドボイスでお願いしたいです。も、もう一度あの感動を……)」

「十二本もあればなんとかなりそうだよ」

「も、もっと作れるようにマムリンと背赤グランチュララも確保済みです!」

「おお、蛇と蜘蛛を捕まえたんだね」


 あ、赤マムリンを飲んだことのある竹ノ塚と今中さんが青い顔をしているぞ。


「セティアさん、マムリンと背赤タランチュララって……」

「こ、これでございます!」


 褒められてうれしかったのだろう。

 セティアは自分のバッグから蛇と蜘蛛を取り出した。

 白い指にむんずと掴まれて、蛇と蜘蛛はウネウネと動いている。

 うん、いつ見てもグロい!

 セティアは褒めてください、と言わんばかりの笑顔だ。


「こ、これがマムリンと……」

「タランチュララ……」


 竹ノ塚も今中さんも強くなったなあ。

 ちょっと青くなっただけで吐かなかったぞ。

 もっとも、この二人は僕よりもずっと危ない死線を越えてきたのだ。

 この程度で驚きはしないか。

 よし、犠牲を少しでもへらすために、僕も突貫工事で頑張るぞ。

 きのした魔法工務店の工期はぜったいなのである!

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