第42話 潜入成功



       ◇◇◇


 道で拾ったお姉さんを連れて、夕方に建てた簡易住宅まで戻ってきた。


「ヒッ! ま、ま、ま、魔物が!」


 家の周りを巡回しているセコソックのゴーレムを見て、お姉さんが腰を抜かしている。


「あれは家を守ってくれているセキュリティーです。怖くありませんからね」

「ここは?」

「僕がさっき建てた仮設住宅です。僕は『工務店』というジョブを持つ異世界人で、こういうのが得意なんです。あ、異世界人だけど心配しないでね。人肉を食べたり、僕が傍にいるだけでその……妊娠したりするなんて噂はせんぶ嘘だから」

「え、ええ……。そのような迷信は信じていませんよ……(嘘だったんだ! ちっとも知らなかった)」


 隊長である騎馬型のゴーレムが挨拶をしてきた。


「おかえりなさいませ、木下武尊様」

「ただいま。このお姉さんは僕のゲストだから保護対象にしてね。えーと、お姉さんのお名前は?」

「エルニア・ヤンデ……ヤンデレラと申します(危ない、思わず本名をなのるところでしたわ)」


「エルニア・ヤンデレラ様を保護対象として登録しました」

「よろしく。さあ、エルニアさん中に入ってください」


 僕らはそろって部屋の中へ入った。


「えっ? 眩しい。それに、暖かい……」


 空調をつけたまま外出していたので、部屋の中はじゅうぶん暖かかった。

エルニアさんにとっては予想外のことだったのだろう。

目を見開いて驚いている。


「エルニアさん、お食事は済みました?」

「それはあの……ぐぎゅるるるるる」


 お腹の音が正直な答えだな。


「僕らは村で食べてきたんです。セティアは風邪薬の用意をしてあげて。僕はパンと缶詰のスープを温めるから」

「ご城主様、それは私が」


 腰を浮かせる僕をアイネがとめる。

でも、アイネにはやってもらわなければならないことがあるのだ。


「アイネはエルニアさんの服を洗濯してあげて。男の僕がやったらいろいろと差しさわりがあると思うから。洗濯機の使い方はもう覚えたでしょう?」


 本日は家を建てるにあたって洗濯室を用意した。

 そろそろ汚れ物が溜まる頃だったからね。

 乾燥機が一体になった全自動洗濯機を据え付けて、みんなの洗濯をしたのだ。

 さすがは木下工務店のオリジナル家電。

 一時間ほどで洗濯、脱水、乾燥までしてくれて、服は見違えるほどきれいになった。

 見たところエルニアさんの服は雪でかなり湿っている。

 僕らの分はとっくに終わっているので今の内に洗濯をしてあげた方がいいだろう。

 だけど、ひょっとしたら下着とかも洗濯するかもしれないじゃない? 

 だったら僕は立ち会わない方がいいと遠慮したのだ。


「エルニアさんは先にお風呂に入って温まってきてよ。その間にいろいろと用意しておくから」

「お風呂でございますか?」

「狭いお風呂だけど我慢してね。でも、まだ震えているし、絶対にその方がいいよ」


 エルニアさんはずっと驚き通しで満足に話すこともできないようだった。


       ◎◎◎


 用意されたお風呂は暖かかった。

 タケルの作った風呂に入るのは、小さなお風呂屋さんに続いて二回目だ。

 前回ほどの驚きはなかったが、凍えた体にはありがたかった。

 だが、エルニアに落ち着いて風呂に浸かる余裕はなかった。

 今にも扉が開いてキノシタが入ってくるのではないか、とエルニアは気が気でなかったのだ。


「エルニアさん、助けてあげたんだから僕の体を洗ってよ? 特にここら辺を重点的にさ! ぐへへへへっ」


 無害な顔で無茶な要求をするのではないのか?

 疑心暗鬼になりながら、エルニアは手早く身を清めていく。

 キノシタの毒牙にかかるとしても、汚れたままというのは嫌だったのだ。


(別にキノシタのためじゃない。これは自分が恥をかかないためよ……)


 ボディーソープを泡立てて全身をこすると、エルニアの肌は輝きを増した。


(ふん、いつでも来なさい。骨抜きにして、私の言うことはなんでもかなえたくなるようにしてやるんだから。グスッ……)


 こうして涙ぐみながらエルニアは待っていたのだが、タケルはいつまで待っても来なかった。

 代わりにやって来たのはメイドのアイネである。


「エルニア様、着換えをお持ちしました。脱衣所に置いておきますね」

「あ、ありがとう。その……」

「なんですか?」

「キノシタ殿は、その……いつ……」

「ご城主様? ご城主様ならエルニア様のお夕飯をご準備なさっていますよ。お客様をお迎えできて張り切っているのです」


 本当に私のために食事を?

 ひょっとして、キノシタは私が考えていたよりずっと優しい人物なのかしら……?

 いいえ、騙されてはダメよ、エルニア。

 そんな優しい人物が、毎晩部下と乱パをしたり、不倫を重ねたりするものですか!

 そういえば、キノシタはウーラン族の女の子を連れていたわね。

 ウーラン族といえば薬草の知識が豊富だわ。

 はっ! 

 そうよ、きっと食事に媚薬を盛っているのよ!

 悪辣なキノシタがやりそうなことだ。

 無理やりではなく、私からおねだりするようにしむけて、身も心も屈服させる気ね。

 そうに決まっている!

 わ、私は負けないわ。

 負けるものですか!


        ◇◇◇


 エルニアさんは長湯だった。


「きっとお風呂が楽しいのですよ」


 着替えを置きに行ったアイネが言う。


「だったらいいけど」

「エルニア様はご城主様と一緒に入りたそうにしていましたよ」

「そんなわけあるもんか。そういうことを言わないの」

「そうかなあ。なんだかご城主様のことを気にかけていたように見えたけど……」

「それはアイネの勘違いだよ」


 まったく、ウチのメイドは何を考えているんだろうね。


 扉が開いて、茹でダコみたいに真っ赤になったエルニアさんが入ってきた。

 ちょっと長湯すぎたんじゃない?


「ありがとうございます。おかげさまで温まりました」

「う、うん、それはよかった。でも、すごい汗をかいているよ。お水を飲んだら?」


 水差しからグラスにお水を注いであげた。

 ところがエルニアさんは口をつけようとしない。


「飲んだ方がいいですよ。脱水症状というのは怖いのです」


 保険の宮崎先生も言っていたもんね。


「け、けっこうです(来た! これに媚薬が入っているのだわ)」

「そう? 無理にとは言わないけど、欲しくなったらいつでも言ってくださいね。ではお食事をどうぞ」

「…………(くっ、こちらにも仕込んであるの?)」


 どういうわけか、エルニアさんは食事に手を付けようとしない。


「ひょっとして風邪ですか?」

「そ、そうではなくてですね(ダメ、お風呂のせいで喉がカラカラ。おのれ策士め、こうなることを見越してお風呂に入れたのね。もう限界……)」


 エルニアさんはやおらコップを手に取った。


「や、やっぱり、いただきます……」


 今度は喉を鳴らして水を飲みだしたぞ。

 遠慮なく飲めばいいのに、慎み深いんだなあ……。


「美味しい……」

「でしょう? 美味しい深層水を特別な力でとりよせているんです。さあ、もっと飲んでください」


 僕はグラスにお代わりを注いだ。


「エルニアさんは一人で旅をしているんですか?」

「そ、そうでございます。頼れる殿方もおりませんので……(現在フリーであることをアピールですわ! あ、キノシタが寝取り趣味ならこの作戦はマイナスですわね……)」


 カランさんが質問する。


「ヤンデレラという家名からの推察ですが、ヤンデール公国のご出身?」

「え、ええ……」

「ヤンデール公国ってどこらへんですか?」

「ローザリアとは北東で隣接しています。ここからだとだいぶ距離がありますね」

「そんな遠くから一人旅なんて、危なくないのですか?」

「それは、それなりに……。ですが、私はどうしてもローザリアへ行かなくてはなりません」


 この世界の旅は大変なのだ。

 魔物も山賊もうようよいるし、道だって整備されていない。

 旅は道連れ世は情け、ということわざもある。

 目的地も同じで、悪い人でもなさそうだから、一緒に来ないかと誘ってみようかな。


「エルニアさん、もしよかったら僕たちと一緒にローザリアまで行きませんか?」

「ヘイ、喜んで!」

「は……?」

「い、いえ! あの、……よろしいのですか?」


 気のせいかな? 

 今、0・03秒で喰いついてきたような気がしたんだけど……。


「もちろんかまいませんよ。女性の一人旅はいろいろと大変でしょう? 馬車は大きいから余裕もあります。ぜひ乗って行ってください」

「ありがとうございます(ふん、チョロいですわね、キノシタ・タケル。もう、私の術中に落ちておしまい?)」


 エルニアさんは二十一歳ということで、僕より少しお姉さんだった。

 しっとりとした美人なんだけど、たまに挙動と言動がおかしくなるんだよね。

 まあ、一緒なのは王都までだしそれでもいいか……。


       ◎◎◎


 エルニアは家じゅうでいちばん広い部屋に通された。

 そこは暖かく、清潔で居心地のいい部屋だった。

 これほど人間らしく過ごすのはいつ以来だろう……?


 食事をさせてもらい、薬まで与えられ、お風呂にも入れてもらった。

 先ほど見た箱型の魔導具は洗濯機というそうだ。

 最初は自分の服をビリビリに破かれ、裸の状態でキノシタに迫られるかと考えたが、そんなことにはならなかった。

 ただ、清潔でふんわりとなった自分の服を返されただけだ。

 水にも食事にも媚薬は入っていなかった。

 どちらも美味しいだけだった。

 私が間違っていた……?

 エルニアは自問する。

 てっきり女にだらしのないクズ召喚者かと思ったが、キノシタ・タケルは意外にも優しかった。

 むしろその辺にいる男よりもずっと紳士だった……。


「バカバカバカ、エルニアの大バカ! 少し優しくされたくらいでなびいてしまって、この意気地なし! 良心なんてもう、あの日、ヴォルカンの山の中に捨ててきたじゃない! 今さら何よ……」


 祖父のためにも非情に徹しようとしていたエルニアだったが、それはとても難しいことだった。

 でも、どうしてキノシタは見ず知らずの私にこんなに優しくしてくれるのかしら?

 ヤンデレ公爵令嬢はスーパーコンピューターよりも速く自分にとっていちばん都合のいい解を見つけ出す。


 もしかして、私のことが好き……? 


 ヤダヤダヤダ、と、年下とかぜんぜん考えてなかったもの! 

 わ、悪い気はしませんけど、困ってしまいますわ。

 私はキノシタの情報を魔族に流さなければならない立場ですのよ。

 言うなれば敵でございますわ。

 そ、それなのに私のことが好きだなんて……、そんな……。

 ぎゅっと枕を抱きしめながらエルニアは悶絶する。

 敵対する男女が立場を越えて惹かれ合うラブロマンス。

 年上令嬢と召喚者による禁断の愛。

 許されぬがゆえに二人は燃え上がり、誰もその未来を阻むことはできない……。

 ダメよダメダメ!

 今なら間に合うわ、引き返しなさい、エルニア!

 でも、キノシタの私を包み込むような眼差しを思い出すと……。

 その夜、エルニアの妄想が日付を越えて捗ったのは言うまでもなかった。

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