第36話 原野の新名所
街道の駅で何度か馬を変え、日が沈む前に僕たちは最初の宿泊地にたどり着くことができた。
ここはガウレア城塞の城下町よりずっと大きくて、ホテルもそれなりに立派だった。
といってもガウレア城塞の自室に慣れた僕にはだいぶ物足りない。
暗いし、お風呂はないし、換気もよくなかった。
もちろんトイレも……。
「部屋を改造したいなあ……」
「ダメです」
間髪を入れずにカランさんに止められてしまった。
「わかっているよ、勝手にやっちゃダメなことくらい。でもさ、せめてトイレだけならいいんじゃない? このままだとまた便秘になっちゃうよ」
ここには汲み取り式のトイレしかないのだ。
寒い季節なので臭いはそこまでひどくないけど、僕はデリケートである。
耐えられる限界値は低い。
「それでもダメです。このホテルのオーナーは私のかつての上司です。しかもとんでもなく嫌な野郎です。そんな男の利益になるようなことをしてはいけません」
思いっきり個人的な恨みじゃないか……。
「あした雪原の中で排便してください。それなら臭くはないでしょう」
「そんな恥ずかしいことをしたらアイネが張り切ってお尻を拭きに来ちゃうよ。ねえ?」
「はい、当然ですぅ♡」
喜んでやってしまうのがアイネの怖いところだ。
「とにかく、ここのホテルのオーナーの利益になるようなことは一切許しません」
「じゃあなんでこのホテルに泊まるの?」
「客として、ホテルの至らぬ点にクレームがつけられるからです」
「まあ、私が出世していびり倒したら役人を辞めましたけどね。それでも新人時代にいじめられた恨みは一生忘れません」
カランさんはクールな顔をして、意外に執念深いことがわかった。
翌日も晴天でソリは快調に雪原を進んだ。
昨晩はカランさんのせいで小だけしか用を足していない。
しばらくすると僕のお腹がゴロゴロいいだした。
腸の蠕動運動が活発になってきたようだ。
「この近くに森はないかな?」
そりを操っているカランさんに聞いてみる。
「森? ごらんのとおりですが」
見渡す限りの雪原に街道が真っすぐに伸びている。
藪の一つもなく、用を足すために身を隠せそうな場所はどこにもない。
だけど、僕のお腹はもう限界だ。
こうなったら仕方がない……。
「カランさん、ちょっと止めてください!」
そりは雪原のど真ん中で停止した。
近くにはよくわからない大木が一本生えているだけの場所である。
「何をなさるのですか?」
「そりゃあまあ、出すものを出そうかと……」
「その樹にマーキングですか?」
「いえ、大きい方です」
アイネが即座に反応する。
「ついに私の出番ですか? 紙はガウレア城塞から持ってきましたよ!」
セティアは両手で自分の目を隠す。
「わ、わ、私は見ません。ご、ご安心を!」
アイネは鞄の中からトイレットペーパーを取り出した。
本当に持って来ていたんだ。
なんて用意のいいメイドなんだろうね。
「でも、それは要りません。言っておくけど、アイネの出番もないからね。だって、ここにトイレを作るから」
カランさんが呆れ顔で尋ねてくる。
「本気ですか?」
「本気です。カランさんの仇のホテルじゃないからいいでしょう?」
「私はかまいませんが、そのトイレの所有権は誰になるのでしょうね?」
「さあ。僕にとってはどうでもいいことだよ。それに、作ったものを解体することだって可能だよ。邪魔になるようならどかしちゃうさ」
トイレは二十分ほどで完成した。
ガウレア城塞で作ったみたいな高級仕様じゃないからすぐできたよ。
便座が一つあるだけの小さなトイレだ。
いちおう手洗いの洗面所もつけておいた。
大きな木の下に立てた小さなトイレはなかなか趣のあるものとなった。
三色のレンガを使ったカラフルな風合いで、ゴシック建築を意識した入り口はアーチ形にしてある。
なんだかんだで見た目にこだわってしまうのは工務店の性みたいなものだろう。
我ながらお洒落なトイレになったものだ。
「それでは、失礼して」
やっぱり清潔なトイレはいいなあ……。
おかげでスッキリすることができた。
けっきょく、その場にいた全員がこのトイレを使った。
なんだかんだで、みんなも城塞のトイレに慣れてしまっていたのだ。
「完全にご城主様に染められていますね」
アイネは嬉しそうに身をよじらせている。
カランさんが洗った手をハンカチで拭きながら質問してきた。
「それで、このトイレをどうします?」
「面倒だから、そのままでいいんじゃない? せっかく作ったし、旅人が使うかもしれないし……」
あとは野となれって感じで無責任かな?
「旅人はその辺で済ませると思いますが、解体に時間をかけるのもよくないですね。報告書は出しておきますので、このまま出発しましょう」
だがカランさんの予想は外れた。
旅人はその辺で用を足すことなく、このトイレを目指すようになり、荒野のトイレは後にこの地方の名物になるのだ。
ここは異世界初の一般に開かれた水洗便所として名を馳せ、わざわざ遠くから用を足しにくる人が続出するようになる。
すぐ横にあった大木は山桜だったため、春ともなれば周囲に露店が立ち並び、桜の樹の満開の下、トイレには長い行列ができるのだった。
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