第32話 スノードラゴン襲来(前編)
大浴場を作ってからというもの、僕に対する兵士たちの態度はすっかり変わってしまった。
ここに来た当初は怖がられたり、嘲笑されたりだったけど、今はみんなが尊敬の念を込めてあいさつしてくれる。
「そりゃあそうさ、タケルはそれだけのことをしてくれたんだからな」
エリエッタ将軍の執務室で僕らは打ち合わせをしている最中だ。
「中には
「ははは、私だって祈りを捧げたいくらいタケルには感謝しているぞ」
「やらないでくださいよ、示しがつかなくなるから」
「わかっている。だが今ここには、私たち以外は誰もいないぞ」
「え?」
「祈りはともかく、せめて私の礼を受けてはくれぬか」
「それは……」
エリエッタ将軍は片膝をついて、僕の手の甲にキスをしてくれた。
「まずいですって」
「気にするな、タケルは私の上官だぞ」
「あ、そうだった」
すっかり仲良くなったから、どちらが上官かとか、すぐに忘れてしまうんだよね。
エリエッタ将軍は心配そうに聞いてくる。
「気を悪くしたか?」
「びっくりしけど嬉しかったです。その……、将軍に感謝されているんだって実感できたので……」
「そうか? だったら口にキスをすればよかったかな?」
「将軍⁉」
エリエッタ将軍はいたずらっ子のようにニンマリと笑った。
「冗談だ。それに風邪気味のようでちょっと喉が痛いのだ。タケルにうつしてもいけないからキスは我慢しておくさ」
「もう……」
気恥ずかしくなって僕は窓の方を向いた。
この部屋から見える北の平原はすっかり雪で覆われている。
「こんなに積もったら魔物だって歩くのは大変じゃないですか?」
雪は一メートル以上積もっているのだ。
まともに歩けるとは思えない。
「雪のせいで襲撃を思いとどまってくれればいいのだけどな……」
そうはならないだろうと将軍は言外に言っていた。
「いよいよ明日は月蝕ですね。絶対に守り抜きましょう」
「うむ、最善を尽くすと誓うよ。打てる手はぜんぶ打ってくれたのだろう? 後は私たちに任せてくれ」
「それじゃあ、僕は最後の点検に行ってきます」
エリエッタ将軍の執務室を出て、内線、防犯カメラ、照明の点検をしていく。
打てる手はぜんぶ打った、か……。
本当にそうだろうか?
まだできることはないかな?
僕はあれこれと考えを巡らせる。
ふむ、あまり時間はないけど、ひょっとしたら役に立つかもしれない……。
念のためにいくつか設置しておくとしよう。
とあることを思いついた僕は新しいものを設置するために寒い城壁の上へと出た。
月蝕の日がやってきた。
雪は止んでいたけど外気は一層冷え込み、兵士たちの体力を奪っている。
それでも連日暖かい室内で暮らしていたので、体力が落ち込んでいる者はいない。
今夜は僕も鎧を身につけた。
もちろん魔法触媒コーティングを施したものだ。
これが実戦でどれほどの効果を示すかはわからないけど、今は自分の作ったものを信じるしかなかった。
「将軍、のどの痛みはどうですか?」
「一晩寝たら治ってしまったよ」
心配していた将軍の風邪はよくなったようだ。
将軍はいつもの元気を取り戻している。
これなら指揮にも問題は出ないだろう。
日が暮れてしばらく経った頃、空を眺めていた兵士の一人が叫んだ。
「月が! 月が欠けているぞっ!」
おお、月蝕だ。
中二のときに見て以来である。
理科の内山先生が開いた観望会に参加したことがあったよなあ。
あのときは皆既月食で、月が赤く染まるのに驚いたものだ。
今夜は部分月蝕のようである。
と、空を見ていたら内線が鳴った。
受話器を取った伝令兵が叫ぶ。
「敵襲ううううううううっ!」
僕は目を凝らして前方を見たけど、動いているものは何も見えない。
だけど、しばらくすると地響きのような音がしだした。
ズシーン、ズシーン……。
「なんだ、この音?」
「タケル、あそこだ!」
将軍の指さす先に僕が見たものは……。
「白い……ドラゴン⁉」
「スノードラゴンだああああっ!」
雪が保護色になってわかりづらかったけど巨大なドラゴンがガウレア城塞に迫っていた。
全長は五〇メートルくらいありそうだ。
もしあんな化け物が城壁に取りついたら、ここの壁だって持たないかもしれない……。
「ド、ドラゴンを近づけるなあああっ!」
「矢を射かけろおおおっ!」
「魔法攻撃開始いいいいいっ!」
混乱の極みに達した兵士たちが各所で勝手に攻撃を始めている。
まだ距離がありすぎて矢も魔法も届いていないというのに、みんな恐怖で我を忘れているんだ。
「バカ者! 攻撃を止めんかああああああっ!」
エリエッタ将軍が命令するけど兵士たちの耳には届かない。
将軍の声がいつもより響いていないぞ。
雪が音を吸収してしまっているのかもしれない。
「もっと引き付けてから撃つんだ! 伝令兵、内線で各所の攻撃を止めさせるように言え!」
「やっているのですが……」
兵たちの混乱で指揮系統はぐちゃぐちゃだ。
このままではまずいな。
こうなったら……。
「撃ち方やめえええええええええっ!」
冷たい冬の夜空に僕の声がエコーした。
十五台の大型スピーカーが若干ハウリングしながら僕の声を伝えている。
時間がなかったので微調整をしている暇がなかったのだ。
「ご、ご城主様?」
「おい、ご城主様の声が聞こえなかったのか? 撃ち方やめだ!」
うんうん、味方の攻撃は止まったな。
喉が痛いと言っていた将軍のためにスピーカーをつけておいたんだけど、思わぬところで役に立ったよ。
僕はエリエッタ将軍にマイクを渡した。
「将軍、これを使ってください。声の大きさを増幅してくれる装置です」
「これに向かってしゃべればいいのかい?」
将軍は大きく息を吸ってから命令を下す。
「あー、あー、慌てるな。もう少し引き付けてから攻撃するんだ!」
将軍の声に兵たちが落ち着きを取り戻した。
よし、指揮系統は回復したぞ。
勝負はここからだ!
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