第31話 魔人は知らない


 城塞のリフォームはすべて終わった。

空調も問題なく動いている。

これで冬も暖かく過ごせるだろう。


 女性の士官がお礼だと言って手作りのアップルパイをプレゼントしてくれた。


「ありがとう、こんな贈り物をもらうのは初めてだから本当に嬉しいよ」


「いえ、私たちこそご城主様のことを何も知らないのに、勝手に怖がってしまって、申し訳ありませんでした」


「もういいんだよ。僕は人肉を食べないし、体毛は薬にならないからね。それだけわかってもらえればじゅうぶんさ」


「あと、ご城主様が横を通るだけで女は妊娠するって噂もあったんですよ」


 そんなのまで⁉ 

そういえば、僕の姿が見えた途端に大回りして迂回する女性兵士がたくさんいたような……。

あれはこの噂のせいだったのか!


「あ、もう誤解はとけていますよ! いつも一緒にいるメイドや将軍のお腹が、いつまでたっても大きくならないのですもの。そりゃあ嘘だってわかりますわ」


 噂って本当にいい加減だな。

いただいたアップルパイはおやつに食べることにした。



 ここ数日で一気に冷え込みが厳しくなってきた。

毎日曇天が続いて雪が舞っているほどだ。

もう四日以上太陽を見ていないぞ。


 朝晩の気温は氷点下を下回るようで、防火水槽の水もすっかり凍りついている。

蛇口は完全に閉めず、チョロチョロと細い水を出し続けるようにと、城下にお触れを出したくらいだった。


 それにしても寒い! 

暖房のおかげで城塞の中は暖かいけど、冬服買い足しておいた方がいいかもしれない。

セティアの分も必要だ。

セティアは冬でも森に出かけるのだ。

コートや帽子、手袋も買ってあげたい。


 それから水着も……。

いつまでも包帯で入浴ってわけにはいかないよね。

エリエッタ将軍に引きちぎられてちょっと短くなっているから、僕にとっても目の毒だ。

下乳は反則だよ……。


 いや、一人で入ればいいのに、なぜかセティアは一緒に入りたがるんだよ。

「一人で入るのは怖いので」とか、震えながら言うからさ……。

少し残念ではあるけど、水着を買ってあげるとしよう。


 服を買うにあたってカランさんに相談してみた。


「どこかいい店はないかな?」


「それでしたら仕立て屋を城塞に呼びましょう」


「え、お店に行くんじゃなくて?」


「ご城主様ともなればそれが当たり前です」


 そもそも店に既製品というものはなく、オーダーメードが基本なんだって。


 その日のうちに職人さんが城塞に呼ばれ、僕とセティアの採寸をしてくれた。



 仕立て屋さんはよく喋る人だった。

五十がらみのおじさんで、太い眉毛が活発な印象を与えてくる。

このおじさんも最初は僕のことが怖かったそうだが、街に蛇口をつけるのを見て考えを改めたそうだ。


「ご城主様のおかげでガウレアはすっかり住みやすくなりましたよ」


「それはよかったです。他に不便はありませんか?」


「数え上げればキリはないんですがね、まあ何とかやっております。それにしても寒くなりましたなあ。いや、この城塞の中は特別に暖かいのですがね。これもご城主様のお力で?」


「まあ……」


「大したものだ! あっしも住んでいるボロ家を引き払って城塞へ引っ越して来たいくらいですよ」


「はは……」


「ここは谷間だし、北に直面していて風が吹き込むから、街よりずっと寒いんですよ。でも、いまじゃあガウレアでいちばん暖かい場所かもしれませんなあ」


 おじさんはこの調子でずっとしゃべり続けている。


「それにしても今年の寒さは異常ですな」


「そうなの?」


「ええ、冬の初めでここまで冷え込むのは初めてですよ。生まれてからこのかた、五十二年もここに住んでいるあっしが言うんだから間違いありません。まるで冬の魔物がこちらへやって来るような寒さですよ」


「え~、あんまり不吉なことは言わないでよ」


「これは失礼いたしました。ですが、ご城主様がいらっしゃれば魔物の軍勢など恐れるに足りずですよ! うわっはっはっ!」


 そう上手くいくといいけどなあ……。



 仕立て屋さんが帰った後も僕の不安は消えなかった。

そんな僕を見てカランさんが声をかけてきた。


「ソワソワしていらっしゃいますね」


「うん、やっぱり月蝕っていうのが恐ろしくてさ」


「その心配はありますね。月蝕の魔物はいつもよりずっと強力です」


「だよね……」


 浮かない僕にカランさんは意外なことを言いだした。


「お風呂に入りましょう」


「はい?」


「寒さは人の心を弱くします。お風呂で温まればきっと元気になりますよ」


「うん、そうかもしれない。……そうだ! 次は兵士たちのために大浴場をつくるよ」


「兵たちのお風呂ですか? ですが、ご城主様は働きづめでございます。少しは休まれた方がよろしいかと」


「大丈夫、大きな浴槽を作るだけにするから。それなら今日中にできるよ」


 源泉かけ流しにすれば濾過装置もいらないもんね。

転送ポータルから送られてくる魔法湯まほうとうは毎分七千三百リットルあるんだもん。

千人風呂を二つ作ったってまだ足りるさ!


 グスタフとバンプスにも手伝ってもらってその日のうちに露天風呂を二つ作った(女用と男用)。

これで兵士たちもヌクヌクだぞ。

魔法湯は治癒効果が高いから膝に矢を受けた兵士の古傷も癒されるだろう。


       ◆◆◆


 ガウレア城塞をはるか彼方に臨む丘の上に一人の魔人の姿があった。

青い肌に銀の髪、酷薄な目は赤く輝いている。

氷冷将軍ブリザラスだ。

彼女は丘の上に座り巨大な魔法陣を展開していた。


「月蝕が近づくごとに私の魔力が高まっている……。ククク、まさかこの寒さが氷冷将軍の仕業とは思ってもいまい。さあ人間ども、身も心も凍てつかせてやる。たっぷりとなぶって、最大限弱ったところで息の根を止めてやるからそう思え。月蝕の晩がお前たちの最期だ」


 ブリザラスは極大範囲魔法で冷たい吹雪を城塞にぶつけていた。

中の人間は口もきけないほどに凍えているだろう、ブリザラスはそう考えているのだ。


 だが魔人は知らなかった。

断熱材によって吹雪の効果が著しく下げられていることを。

魔人は知らなかった。

セントラルヒーティングによって各部屋が暖かく保たれていることを。

魔人は知らなかった。

ガウレア城塞の人々は下級兵士にいたるまで温泉で温まっていることを。


 決戦の日は近い。

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