第25話 ファーストキス


 朝の着替えを持ってきたアイネが僕を見て目をみはった。


「少し顔が大人びました?」


「そうかな? お風呂パワーのおかげか『工務店』の力が大幅に上がった気がするんだよね。そのせいかもしれないな。それとも成長期?」


 ソフトドリンクを飲みながらジャグジーに入るなんていうパリピみたいなことも経験してしまったもんなあ。

カランさんとセティアはお酒だったけど……。

でも、兵や住民たちの信頼が高まったことがいちばんの原因かもしれない。

僕にも城主としての自覚が出てきたって感じなんだよね。


「自信にあふれる顔をしていらっしゃいますよ」


 アイネは不貞腐ふてくされたように言う。

そこは褒めるところじゃない?


「今ならいろいろなものがさらに速く作れそうな気がするんだ」


「なんだかご城主様が遠いところに行ってしまったようで寂しいです」


 アイネは相変わらずだなあ。

これは本気で寂しがっているぞ。

アイネを悲しませるのは僕としても辛いのだ。


「じゃあさ、今朝はアイネが服を着せてよ」


「え? これまでは手伝うと言っても自分で着替えてらっしゃったのに?」


「僕はダメ人間だから突っ立っているよ。だから、アイネがぜんぶやってくれる?」


「もう、仕方がないですねぇ♡」


 アイネはとろけるような笑顔になってパジャマのボタンに手をかけた。

僕が着せ替え人形になることでアイネの機嫌がよくなるなら安いものだ。


「ご城主様、右足を上げてください、ズボンを脱ぎましょうねぇ」


 されるがままになりながら、僕は本日の予定を頭の中で組み上げていた。

まずは寝室をさらに居心地よくすることにしよう。

壁の断熱や防音、空調、内装など、手を付けたいところはいっぱいある。

音楽を流すスピーカーも欲しいな。

高音質のやつね。


 でも、優先順位をつけるとしたら、やっぱり壁の断熱か……。

石壁って冷えそうだもん。

安眠のためにもこれは絶対だ。

壁の上からもう一つ内壁をつけて、その間に断熱材を挟んでいくとしよう。


 断熱材はマジックレジンがいいかな。

熱伝導率が〇・〇〇七W(m・k)と異様に低くて、防音・防燃にも優れる素材だ。

その代わり作るための消費魔力は大きくなる。

まあ、ずっと使うものだから建材はやはりいいものを使いたい。



 午前中は作業に没頭して、窓側の壁のすべてに断熱材を埋め込んだ。

すでに効果が出ているようで、床暖房を切っているのに部屋の中はほんのりと温かい。

この調子でどんどん作っていこうとしたら、寝室の内線がなった。


(お仕事中に失礼します、ご城主様)


「どうしたの、アイネ?」


(パイモン将軍からのご連絡です。新任の兵たちが到着したので、将軍とともに閲兵えっぺいをお願いしたいとのことです)


「わかった。すぐに行くと伝えといて」


(承知しました。閲兵の際は正装が決まりです。お着換えを手伝いますか……?)


 内線の向こうからとてつもないほどの圧を感じる……。


「ア、アイネにぜんぶ任せるよ」


「承知いたしましたぁ♡」


 再び着せ替え人形になってから新しい兵たちを迎えに城門へ向かった。



 閲兵式といっても難しいことは何もなかった。

僕はエリエッタ将軍と並んで立ち、将軍が訓示を垂れた後に「よろしく」と言えばいいだけだった。

時間にして十五分くらいのものである。


「それじゃあ僕はやることがあるので失礼します」


 エリエッタ将軍に声をかけると、将軍は大きなため息をついた。


「君は気楽でいいな」


「どうしたのです?」


「実は兵舎がないのだ」


「え? 部屋はたくさんあるじゃないですか」


「下級兵士の部屋はいっぱいなのだよ」


「どういうことですか?」


「ある意味、君のせいだよ、タケル殿」


「僕の⁉」


 まさか、僕がお風呂で二部屋も使ってしまったから? 

心配したけどエリエッタ将軍の説明はまったく違っていた。


「君が来るまで、満月の晩には毎回たくさんの戦死者が出ていたんだ。それが今回は一人の死者もでなかった」


「いいことじゃないですか」


「まあね。だが、本国はうっかりしていたらしい。必要もないのに補充兵が五十七人も送られてきたのさ」


「それで部屋がないの?」


「そういうことだ。とりあえず一人部屋を使っている士官に二人~三人でまとまってもらって、そこに一般兵を押し込めるしかないな。後は通路に寝かせるか……。不満は出るだろうがね」


「とりあえずはそれでいいとして、いつまでもというわけにはいかないですよね」


「まあ、移動してもらうしかないな。だが、西方司令部に手紙が届き、次の命令がくるまで何日かかるかは予想もつかないよ」


 電話すらない世界だからなあ……。


「将軍、僕が士官用にアパートを建てましょうか?」


「アパート?」


「寝室とリビングがあればいいよね? あと、ユニットバスくらいはつけようか?」


「なんだい、それは?」


「庭の隅に士官用の兵舎を建てるんですよ。任せといて!」


 木下工務店の腕の見せ所だ。


「とにかく三日ちょうだい。それまでに何とかするから」


「わかった。そういうことはタケルに任せるよ」


 僕はその足で中庭に向かった。



 土地を確認したけど、アパートを建てる広さは充分あった。

これなら四棟くらい建てられるんじゃないか? 

まあ、やらないけど。


 部屋の構成は寝室とリビング、トイレ付きユニットバスがあればいいかな。

どうせご飯は大食堂で食べるのだからキッチンはいらないよね。


 二階建てにして、各階に八部屋、トータル十六部屋のアパートを作ることにした。


「それじゃあ基礎からやっていくとしますか」


 体内に魔力を巡らせて地盤と建物をつなぐ基礎を作っていく。

本来の基礎工事って、掘削とか配筋とかいろいろな工程を順番にやっていくんだけど、異世界工法の木下工務店はそのすべてを一気にやってしまう。


 昼頃になってカランさんが様子を見にやってきた。


「お疲れ様です、ご城主様。今度は兵舎を作っているとか」


「通路で寝る人がかわいそうだからね」


「ですが、根を詰めすぎてまた倒れたりしないでくださいよ」


 どうだろう? また限界までやっちゃうかも……。


「でも、三日で作るって言っちゃったからさ……」


 カランさんはピクリと右眉を動かした。


「通路で寝る兵士よりも、私はご城主様の体の方が心配です」


「え……、僕のことが心配なの?」


「私を何だと思っているのですか? 感情のない冷酷な女とでも?」


「そ、そんなことないよ」


「これでも常にご城主様のことをいちばんに気にかけているのですよ」


「う、うん、ありがとう」


 心の中に温かいものが広がるような気がした。

思えばカランさんとはずっと一緒にいるもんな。


「それに、ご城主様に何かあれば私のキャリアに大きな傷がついてしまいます。くれぐれもご自重ください」


「出世が主な理由⁉」


「出世も理由の一つです」


 カランさんは顔色一つ変えずに言っていたけど、僕を心配してくれているのは事実だと思った。



 おやつの時間までに何とか基礎を作り終えた。

休憩を挟んで今度は柱や梁を組んでいったのだけど、日暮れ少し前に魔力が尽きた。

眩暈めまいがして立っていられなくなり、前のめりで地面に突っ伏す。

作業スピードは上がったけど、魔力総量はまだまだだなあ……。


「ご領主様ぁあああ!」


 パタリと倒れた僕のところへアイネとセティアが駆け寄ってきた。

アイネはすぐに僕を膝の上に抱きかかえる。


「あーん、しっかりしてくださいませ、ご城主様ぁ♡」


「ご、ご、ご城主様、新開発の高濃度ブレガンド茶でございますよ! こ、これを飲めばきっと……」


「かして! ご城主様はご自分で飲む気力もないわ。こうなったら仕方がない、私が口移しで!」


 おいおい……。

でも、それは事実だったりする。

とんでもなく気持ち悪いんだけど、口を開けるのも無理なくらい疲労しているのだ。


 セティアが差し出した水筒をアイネがひったくった。

そして口に含んで僕に飲ませようとしたのだけど……。


「ブゲエェエエエエッ!」


 吐き出している……。


「まっず!」


「ご、ごめんなさい。で、でも、こ、高濃度だって言ったじゃないですか」


 あーあ、せっかくの薬草茶が……。


「まったく、なにをやっているのやら。かしなさい」


 つかつかと歩み寄ってきたカランさんがアイネから水筒を取り上げた。


「苦いようですが我慢して飲み下してくださいね」


 顔色一つ変えずに高濃度ブレガンド茶を口に含んだカランさんの顔が僕に近づいてくる。

そして、そっとくちびるが重ねられた。


「コク……コク……コク……ン……ぷは……」


「お加減はいかがですか?」


「……よくなってきたよ。ありがとうカランさん。セティアも……」


 いつもの薬草茶より回復が早い。

ひどかった吐き気と頭痛も治まってきた。

収まらなかったのはアイネの気持ちだ。


「あーん、ズタボロのご城主様とステキなキスを体験するはずっだったのにぃ!」


「え、これ、キスなの……?」


 思わずカランさんに聞いてしまった。


「不可抗力ながら、そうとも言えるのではないでしょうか。お嫌でしたか?」


「そんなことはないです……。ただ、カランさんに迷惑をかけてしまったかなって……」


「これくらいのこと、どうということもありません。私のファーストキスでしたが」


 カランさんは無表情のままとんでもないことを言ってきた。


「ご、ごめんなさい。僕、とんでもないことを!」


「謝ることはございません。ご城主様も私のような優秀な女のファーストキスを奪ったのです。胸を張ってくださいませ」


 生真面目な顔でそんなこと言われてもなあ……。

それに、奪った? 

奪われた気がするんだけど……。


「カランさんは自己評価が高いんですね」


「事実ですので」


 もう笑うしかないか。

とっても苦いキスだったけど、カランさんのくちびるは柔らかかった。


*タケル君にとって、これはファーストキスではありません。

タケル君のファーストキスは高1の冬休み、当時二カ月だけ付き合っていた小川由美さんとしています。

ちなみに小川さんは同じ年の3月にサッカー部の先輩から告白されて、悩んだ末にタケル君を振っています。

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