第8話 眺めの良い部屋

 寒いけれどすがすがしい日が続いている。

今朝もスッキリとした気分で過ごしているけど、それも自分専用(カランさんも使う)のトイレができたおかげだ。

これからもこの調子で生活環境を改善していくとしよう。

さて次は何を作ろうか? 


 思案しているとカランさんが書類の束を持って執務室にやってきた。


「おはようございます、ご城主様。本日はこちらの書類に目を通して、サインをお願いします。それではまた……」


 そそくさと退出しようとするカランさんを呼び止めた。


「ちょっと待ってください。書類の説明をしていただかないと困りますよ。まだよくわからないんですから」


「それは後ほど……」


 カランさんはイライラとした様子で立ち去ろうとしている。


「何かご用事ですか?」


「ただいまよりきっちり十五分間の休憩を申請いたします」


「休憩? 構いませんけど、ずいぶんと突然ですね」


「ウォシュレットを堪能して、ハンドソープのラベンダーを試した後に洗顔。タオルの触り心地を再び確かめ、化粧水をパシャパシャするのです」


 ああ、そういうことか。

よい香りのハンドソープもタオルも化粧水もこの世界にはないので、僕のトイレでしか体験できないんだよね。

カランさんには特別に使わせてあげる約束になっている。


 僕にしてみれば普通に用を足すだけの場所なんだけど、カランさんには大きな娯楽になっているようだ。


「了解です。それでは楽しんできてください」


 あのカランさんが弾むような足取りで寝室に入っていった。


 さて、カランさんがトイレを使っている間に僕は書類に目を通しておこうかな。

どれどれ、なにが書いてあるのだろう……?


「う~ん……」


 最初の一行目からやる気をそがれてしまった。

僕に勤労意欲がないんじゃない。

この部屋が暗すぎて字が読みづらいのだ。


 明り取りの窓は三つついているのだけど、一つの窓の大きさは将棋盤くらいしかないんだよ。

これじゃあじゅうぶんな光は入ってこない。


 しかも、この世界には透明な板ガラスがない。

今はいいけど冬はどうするのだろう? 

まさか、寒さを我慢して窓を開けるのかな? 

それともランプの明かりだけで過ごすのだろうか? 

どっちにしろ悲惨な状態だと思う。

やっぱり今から準備しておいた方がいいな。


 僕にできるのは窓を広げてガラスを入れること。それから照明を取り付けることの二つだ。

とりあえず寒さ対策も兼ねて窓の改良から始めることにしよう。


 その日の仕事も午前中で終わったので、お昼ご飯を食べてから作業に取り掛かった。

トイレを作り上げたことで僕のスキルはかなり上がっている。

窓くらいなら今日一日で仕上げられるだろう。


 どんな窓がいいかな? 

僕がイメージする偉い人と言えば社長さんだ。

そして社長室と言えば高層階の大きな窓だよね。

街の隅々まで見渡せる、あんな窓を取り付けてみたい。

よし、その線でいってみよう!


 既存の窓に手をついて魔力を送り込んだ。

石でできた壁がグニャリと揺れ、ゼリーみたいにプルプルと波打ちだす。

建物が強度を失わないように補強しながら窓のスペースを広げていった。


「怖ぇ……」


 執務室の壁がほとんどなくなり、風がビュービューと吹き込んでいる。

一歩踏み出せば城塞の下へ真っ逆さまだ。

寒いわ、怖いわで体が震えてきたぞ。

早いところガラスをはめ込まないと危なくて仕方がないな。

まともに立っていられなくて、床に這いつくばりながら作業を続けた。


 ノックの音がしてアイネが入ってきた。


「失礼します。紅茶とおやつをお持ちしました。……はあっ⁉」


 明るくなった部屋を見て驚いているな。


「壁がない!」


 そっちか。

でも、そりゃあそうだ。


「今、ちょっと改造中なんだ。危ないからこっちに来たらダメだからね」


 僕はへっぴり腰で四つん這いのまま声を張り上げた。

あ~、脚がガクガク震えるよ。

そして、そんな僕の情けない姿をアイネが見逃すはずがなかった。


「ご城主様、震えていらっしゃいますの?」


 目がトロ~ンとしているぞ。

大好物を見つけた猛獣みたいだ……。


 アイネはお茶のトレーをテーブルの上に置くと、恐れもせずに僕の近くまでやってきた。


「すごい景色ですね。城下町の隅々まで見渡せます」


 なんて言いながらも、アイネの目は震える僕の手に釘付けだ。


「い、いまからガラスをはめ込むよ。そうしたら風は吹きこまなくなるから」


「ガラスですか?」


「僕が作るのはちょっと特殊なガラスなんだ。だから時間がかかるんだよ。それまでは……」


 魔力を流し込んで窓枠を具現化していく。

と、横に膝をついたアイネに抱きしめられた。


「アイネ⁉」


「危ないのですよね? だからこうして支えておきます。ご城主様は存分にお仕事をなさってくださいな」


「う、うん」


 情けないんだけど、アイネに抱きしめられて怖さが半減したのは事実だった。

ただ背中の左側に柔らかいものが当たって集中できない。

耳をくすぐる吐息も悩ましかった。


「不思議な質感の窓枠ですね。これはなんですか?」


「樹脂とか金属とか……」


「ジュシ? なんだかむずかしい」


 アイネがもぞもぞと動くたびに背中の感触もふにょふにょして、僕の頭までフニャンフニャンになってしまう。


 いや、このままじゃダメだ! 

今日中に窓を完成させるのだ。

木下工務店の工期は絶対なのである!


 煩悩を振り払ってガラス窓に取り掛かった。

高層階に取り付けるのだからガラスにもそれなりの強度が必要になる。

僕がはめ込むのは木下工務店オリジナルの六倍強化ガラスという、とても頑丈な窓ガラスだ。


 魔力を送り込むたびに下の方からガラスがせり出し始めた。

アイネはますます体をくねらせて驚いている。

おかげですっかり震えは収まった。

煩悩の方はそれどころじゃないけど……。


「氷が張っていくみたいです! これがガラス?」


「そうだよ。頑丈で断熱効果も高いんだ。これで隙間風ともさよならだね。あのさ……」


「どうされました?」


「そろそろ体を離してくれてもいいよ。もう怖くないから」


 もう下から五センチくらいはガラスが出来上がっている。

たったそれだけでも恐怖心は薄れるものだ。

僕の震えが止まって興味を失くしたのだろうか、アイネはようやく体を離してくれた。

       ☆☆☆


 窓からまぶしい西日が射しこんでいたけど、風の音はピタリと止んでいた。

僕の窓ガラスは防音機能も完璧なようだ。

静寂の中で迎えた夕焼けを僕は満足な心地で眺めていた。


「失礼しま……」


 書類を抱えて入ってきたカランさんが目を見開いて固まっている。

普段はクールなカランさんが驚くのを見るのは気持ちがいい。


「どう、いい感じになったでしょう?」


 カランさんは覚束おぼつかない足取りでじりじりと窓に迫った。


「安心していいよ。壁に穴が開いているわけじゃないから」


 コンコンとガラスを叩きながら説明した。

カランさんも恐々といった感じでガラスに触れている。


「透明な壁とは恐れ入りました」


「これで仕事もしやすくなったよ。でももう夜か。次は照明を作らないとな……」


 とはいえ、もう残りの魔力は少ない。

作業は明日以降に持ち越しだ。


「ご城主様、これは他の部屋にも取り付け可能ですか?」


「カランさんの部屋にもつけてほしいの?」


「えっ、よろしいのですか?」


 カランさんは意外そうな顔をした。


「まだやりたいことが多すぎて、すぐにというわけにはいかないけど、時間ができたらいいよ」


 照明もつけたいしお風呂だって作りたい。

試したいことが多すぎる。


「ありがとうございます。ご城主様……」


 カランさんは真剣な顔で僕を見つめてきた。


「どうしたの? どうしてもっていうのならカランさんの部屋の窓を優先させるけど……」


「そうではございません。私たちはご城主様の能力を見誤っていたようです。先のトイレもそうですが、こちらのガラス窓も王や貴族たちは喉から手が出るほど欲しがるはずです」


「うん、そうかもしれないね」


 大抵の人は清潔なトイレや明るい部屋の方が好きだよな。


「いっそ私と王都ローザリアへ帰還しませんか?」


「う~ん……」


 それもいいけど、しばらくはここで自分の能力を開発したい気もする。

向こうに行って毎日、トイレとガラス作りでは退屈しそうだ。


「もう少しここでのんびりしちゃダメかな? なんかここの方が『工務店』の能力が伸びる気がするんだよね」


 カランさんは少しだけ思案してから頷いてくれた。


「承知いたしました。それではそのように取り計らいましょう」


 外はすっかり日が落ちていた。


「ところで、これでは外からご城主様のお部屋が丸見えですね。防犯上これはよくないかもしれません」


 気づかわし気に外を確認してカランさんが首をかしげている。


「あ、それなら安心して」


 僕はコントローラーを取り出してボタンを押した。


 ピッ!


 透明だったガラスはすぐに曇り、外の様子は一切見えなくなった。


「瞬間調光機能っていうんだ。ガラスの濃さは四段階で調節できるよ」


 あんぐりと口を開けたままのカランさんがかわいかった。

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