第3話 新しい感覚に目覚める

 僕の任地はやたらと遠いところだった。

王都ローザリアからガウレア城塞までの距離はおよそ376キロ。

新幹線とか高速道路網の発達した日本ならともかく、移動手段がほとんど馬車しかないこの世界ではとんでもない距離である。


 補佐役のカラン・マクウェルさんと馬車に乗っているのだけど、この世界での旅は過酷だ。

自動車だって未舗装の道路を走ればそれなりに揺れるよね? 

それを毎日馬車で八時間だよ。


 道は悪く、ショックアブソーバーもない馬車の揺れは想像を絶するほどひどい。

衝撃がダイレクトにお尻と腰を攻撃してくるのだ。

日を追うごとに体の痛みはひどくなっていて、今や普通に座っていることさえ耐えられないほどだった。


「どうされました、ご城主様?」


 モゾモゾしっぱなしの僕にカランさんが声をかけてきた。

そっけない態度なので、最初は嫌われているのかと思ったけど、それは誤解だったようだ。

この人はたんに無口で無表情なのだ。

感情が顔に出ないタイプらしい。


「馬車の旅に慣れていなくて……。カランさんは平気なんですか?」


「痛みがひどいようなら治療することもできます。初歩的な治癒魔法なら使えますので遠慮なく申し付けてください」


「そうなんですか!? だったら早く言ってくださいよ。もう限界だったんです」


 じっさい、痛みで涙が出るほどだったのだ。


「それでは治療をしましょう。患部をこちらに向けてズボンをおろしてください」


 今、とんでもないことをサラリと言われたような……。


「はっ?」


「わたくしの治癒魔法はつたないものです。直接触れなければ使えません」


 つまりカランさんの目の前で生のお尻を出さなければいけないの? 

それは恥ずかしすぎる……。


「だ、だったら治療はいいです……」


「どうしてですか? 耐えきれないほど痛むのでしょう?」


 カランさんは無表情のまま問いかけてくる。

そうは言われてもなあ……。


「カランさんにお尻を見せるなんて悪いし、恥ずかしいので……」


「必要ないとおっしゃるのなら無理強いはしませんが、それで公務が滞ることがあってはなりませんよ」


「というと?」


「具合が悪くなって、体調がよくなるまで宿場町で時間を浪費するなどというのは感心しませんね。そんな無駄をするくらいなら羞恥心しゅうちしんなど脇に置いて、わたくしの治癒魔法を受けてください」


 カランさんにはこういうところがあるんだよなあ。

目的達成のためなら過程なんて気にするなって感じなんだよね。

ただ、カランさんの言い分も理解できなくもない。


 繰り返しになるけど、この世界の旅は過酷だ。

十二人の騎兵が護衛してくれているとはいえ、魔物や強盗に襲われる可能性は否めない。

グズグズしないで、サクサクと旅をする方が安全であることはたしかなのだ。


 それに、もう本当に体が限界だった。

痛みが羞恥を凌駕りょうがしている。

お医者さんに患部を見せると思えば恥ずかしくないか……。

自分にそう言い訳をして、カランさんにお願いした。


「やっぱり、治癒魔法をお願いできますか? もう死んでしまいそうなくらい痛くて……」


「それではベンチに手をついて、お尻をこちらに向けて高くあげてください」


 なにその羞恥プレイ! 


 驚いてカランさんを見たけど、青い瞳の奥に感情は動いていない。

僕を辱めてやろうとか、弄んでやろうといった負の気持ちはないようだ。

ただ患部を治療する、カランさんにとってはそれだけのことにすぎないのだろう。

僕の気持ちはともかく……。


「わかりました」


 いろんな意味で涙がこぼれた。

僕、なにをやっているのだろう? 

異世界に来て、友だちは英雄になっているのに、僕だけ役立たずで、補佐役の人に向けてお尻を見せるなんて……。


「さっさと終わらせてしまいましょう」


 事務的で抑揚のないカランさんの声だけが救いだった。


 自分が座っていたベンチに片手をついて、僕はベルトとボタンを外す。

そして、あまり下げすぎないように気をつけながら、ズボンとパンツをゆっくりとおろした。


「ひどいあざができていますね。痛いのはここですか?」


「ひゃっ!」


 冷たい指でお尻に触れられて変な声が出てしまった。

だけどカランさんは気にも留めない。


「それでは治癒魔法をかけていきます」


 僕のお尻に指を当てながらカランさんが静かに詠唱を開始した。

独特のリズムが馬車の車輪とハーモニーを奏で、車内に不思議な共鳴が広がっていく。


「あ……」


 じんわりとした心地よさが広がり、僕を苦しめていた痛みがスーッと穏やかになっていく。

そのとたん、僕は自分の体の変調を感じた。


「え、なにこれ?」


「どうかされましたか?」


「体の一部がすごく熱くなって……」


「セクハラは感心しませんね。わたくしのような才色兼備な女に触れられて興奮する気持ちはわかりますが……」


「そうじゃなくて! 熱いのはおへその下の奥の方ですよ」


 日本だったら丹田と呼ばれるあたりじゃないかな?


「ああ、魔力溜まりですね。体内に保有された魔力はそこに蓄積されるのです。魔法はその魔力を体内に循環させることによって発動します」


 そのことについてはこの世界にやってきたときに説明された。

英雄になった同級生はそうやって人外の力に目覚めたのだ。


 僕も初日の訓練で魔力循環の手ほどきは受けたけど、まったくと言っていいほどできなかった。


「どういうわけか今になってやたらと魔力を感じます」


「ふむ……。ご城主様の魔力はわたくしの魔力と波長が近いのかもしれませんね」


「それでこんなに反応しているの?」


「詳しいことはわかりませんが試してみましょう。いまからご城主様の中に魔力を送り込みます。抵抗しないで受け入れてください」


「はぅあっ!」


 両手で思いっきりお尻を掴まれた。


「や、やめて! 広げないでください!!」


「少し我慢を。ご城主様の可能性が開かれるかもしれないのです」


 いや、このままだと新しい世界の扉が開かれちゃうって!


「ほんと、もう無理っ! 手を放して、カランさん!」


 抵抗したのだけど、カランさんはさらに強く指をめり込ませてくる。

ひょっとして、もう僕の大事なところは見られちゃった? 

これ以上は温厚な僕でも許せないぞ!


「いい加減に……あれ?」


「ついにきましたね。もうひと踏ん張りです。そのまま私に身を委ねて、さいごの境界線を飛び越えてください」


 馬車という密室の中で、年上のお姉さんにお尻を掴まれて大事なところを晒している僕の姿はさぞかしシュールだろう。

もう、ここまでやってしまったんだ、毒を食らわば皿までだ! 

僕はお尻を突き出してカランさんが送り込んでくる大量の魔力を受け入れた。


「あ……」


 脳の中で光が弾けた。

そうか、これが僕の魔力。

そしてこれが工務店としての僕の力か……。

羞恥と困惑の中で僕は悟りに至った。

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