冷えた火照り

はに丸

冷えた火照り

 しんしんと、床から寒さが伝わるような日でございました。昼もすぎたころに雪がちらほらと降りだし、明日にはどれほど積もってしまうか、とみなでひそひそ話し、うんざりしたものです。

 あれは夜も更けようというころでございました。同じつぼね、つまり同室の和泉式部いずみしきぶさんが

「あ、ちょっと出てくるわ」

 と一言おっしゃって、どこかへ行ってしまわれました。和泉守いずみのかみを夫に持ち、お父様が式部丞しきぶのじょうなので、和泉式部さん。私は藤原氏で父が同じく式部丞なので藤式部とうしきぶ。お互い、名は知りませんが、中宮ちゅうぐうさまにお仕えする女房にょぼうどうしなんてそのようなものです。

 さて、夜のとばりも落ちましたら、もう眠らねばならぬと申しますのに、和泉いずみさんがいっこうにお帰りにならない。灯りを消して先に寝てしまおうかと思いましたが、夜の闇の中、局に戻るのは心細いでしょうと待つことにいたしました。まっくらな中で私を蹴り飛ばされても困りますし。

 本来は大部屋、みなで寝る私たちなのですが、内裏だいりが焼けてしまった仮の場所。少々手狭ですからと、私と和泉さんは小さな局に押し込まれてしまいました。とても教養深く尊敬もしております匡衡衛門まさひらえもんさんがにっこりと笑み

「ほら、やっぱり秀でたおかた同士、共にいれば楽しいでしょう」

 などとおっしゃってましたが、ていのいい島流しです。いえ、私ではなく和泉さんが島流しであり、私はとばっちりです。私はこういったことに抗弁できる性質ではございませんで、こもごもと申し上げましたが押し切られました。

匡衡まさひらさんのほうが秀でておられます、和泉さんと歌について盛り上がると思うのです、匡衡さんは風格ある歌みですもの!」

 最後になんとか出てきた言葉は、

「まあ、ありがとうございます! とうさんほどのかたにおっしゃられると嬉しいものです。でも、私はたいした歌詠みではございませんから」

 と笑顔で一蹴されました。どうして私、御堂関白みどうかんぱくさまに頼まれた皇子みこさま誕生ドキュメントエッセイに当世女流文人ぶっちゃけトークをつけたしてしまったのでしょう。ちょっと文学評も入れてよ、と言われて素直に書いちゃったのでしょう。匡衡さんの歌は風格あり儀礼あり。おおやけの場でお詠みになっても恥ずかしくないもの、まさにドレスコード完璧。ただ、歌の内容はつまらなく平凡。匡衡さんは己がわかってらっしゃる方、『このとおりですねえ』と、にこやかに笑んでらっしゃった。その笑みに、怒りは無くとも私は

 やっちまった

 と思ったものでした……。匡衡さんは陰湿にやり返す、というお方ではございません。和泉さんを島流しする建前が御堂関白さまに選ばれた文化人であるのだからと、同じ経歴のものを用意しただけなのです。――以上、とりとめのない回想でございました。

 さて、人影が近づき、和泉さんがようやくお戻りに……と思っておりましたら親しき仲の女房、べん宰相さいしょうでございました。

「あの、和泉さんはおられない、のですね」

 上品なお顔にはやはり上品で美しい声というもの。額のかたちがとてもかわいらしく、柔らかな所作が魅力的なお方です。私は少々うきうきしながら

「夕方からお戻りになってないのです。もう夜更け。何をなさっているのか、わかりません」

 と返しました。そうなると、弁の宰相は少し憂いを帯びたかんばせをお見せになる。まるで物語に出てくる姫君のようです。

「そ、そうですか。なら、良いのです、良いのです」

 なにがどう良いのかわかりませんが、少々慌てた様子で立ち去っていかれました。私は弁の宰相の憂いを取り除きたいと胸が潰れそうな思いをいだきましたが、それと同時に眉をひそめお悩みになるお姿めっちゃエモ、とも思いました。

 それからしばらくして、ようやく和泉さんが戻られました。袖から指先を出し、息をふきかけふきかけ、温めながら、

「少し遅くなりまして、ごめんなさいね」

 と、あまったるい声で笑いかけてきます。指先はもちろんですが、頬も赤く染まっています。寒い場所に長くいたのでしょう。ふわりとした笑み、ぼうっとしたとらえどころの無い瞳、桜のような唇はいつものことですが、頬は苺のように染まっており、それは寒さだけではなく、なまめかしく熱いものも思い起こします。私はあわてて

「いいえ、それはいいです」

 などと、何がいいやら、なことを言って、日頃はつかわない綿入りの着物をお渡ししようといたしました。とにかく、徐々に温まれば、その冷たい火照りも治るにちがいありません。和泉さんは私の動きで何か察したのか、止めるようにこちらの腕に自分の手を沿わせました。布越しで伝わりませんが、きっと冷たく、とても冷たくなっていることでしょう。

「今日はね、お窓を閉じる係でしたの。でも、一番遠いところを閉め忘れていたことを思い出したのよ」

 和泉さんが私の腕をとり、手をとり、それを両手で大切そうに撫でると、己の頬に持っていきます。そうして、私の指にやわらかく冷たい頬が、ぴとりと触れました。凍るように冷えてしまったその表面、そしてその奥にある熱い血潮が私の指をちりちりと焦がすようです。冷たくても、焼け焦げるものだと私は思い知ります。

「それでねえ、窓を閉じたところで、公達が通りかかったの、びっくりしたわ。あわてて顔を隠してお話していたら、なんと弁の宰相の良い人。本日、お約束してたんですって。そうね、弁の宰相はかわいいですものね、ってお話していたのに、気づいたら歌をよこされて。思いがけず雪が降ったような出会いですって」

 ふふふ、と童女のように微笑む和泉さんの頬を私は指で一筋撫でました。

「……

 知らず、声が固くなっていきます。和泉さんは、まさかあ、と笑いながら私の腕の中に飛び込んで参りました。私は思わずよろめき、しりもちをついてしまいました。和泉さんはそれでも私の腕の中へ入り、もそもそと場所を作ろうとしておりました。猫ですか、猫。

「今頃は弁の宰相のところへ通ってらっしゃるわ、きっと。次はわからないけれど」

 こういう、女です。その声、その笑み、柔らかい体にどうも男の方々はのぼせ上がり、通っていた女性を放りだしてこの女に夢中になるのです。捨てられた女房の方々も和泉さんをなじればいいのか、殿方の薄情を呪えば良いのかわからないほどなのです。ゆえに、島流し。しかし感心できなさすぎることですので、一人にもできませんから、お目付役が一人、つまり私です。

「藤さんはちょっと小うるさいかたですもの。勝手に通われる殿方も、すごすごお帰りになられるのよね。私は誰でもいいわけじゃあないの、好きな人を好きって言いたいだけ」

 和泉さんがわたしの股の間にちょこりと座り、背を預けて言ってきました。ちょうどいい場所を見つけた、といわんばかりの態度です。私といえば、大きすぎる子供をあやすようにすればいいのか、それとも唐にある椅子のようになればよいのか、おおいに悩みまながら口を開きました。

「私は小うるさくないです。ただ、私のとなりで、見苦しいものは見たくないだけです」

「あら。これが匡衡さんなら。いいえ、弁の宰相でも、通う殿方、繰り広げられるむつみごと、全然お気になさらないくせに。それどころか、ネタできた、て内心喜ぶくせに。ねえ、さん。あなた、そうですもの。あなた以外はぜーんぶ、物語の材料」

「……本当に、あなたは感心できない面をお持ちのこと……」

 私は小さく呟きながら、和泉さんを覗き込み、頬を撫でました。まだかすかに冷たいそこは、やはり苺のように赤々としております。それをやわらかく撫でて、撫でて、元の桃のような頬にしようとひたすら撫でることにしました。苺よりは桃がいい。あの、みずみずしい果実にかじりつくのは、行儀がわるいですが、嫌いではないのです。私の手を和泉さんは、あったかぁい、と笑んで、きもちよさそうに身を委ね目をつむっております。

「窓を閉じるとき、雪が積もっているのがわかったわ。明日の庭はまっしろね。きれいでしょうね」

 かすかに目を開けて、うっとりとした顔を見せ。

「――待つ人の今も来たらばいかがせむ踏ままく惜しき庭の雪かな」

 ふわっとした声で和泉さんが口に任せて詠みました。――待ちわびたあなたが今来てしまったらどうしよう。だって踏まれてしまうのが惜しい庭の雪なの――。愛しい男を待ち続けたあなたでさえも、帰ってちょうだいと言ってしまうほどの、見事な雪とはなんでしょう。どのように美しいものなのでしょう。私ならどのように書くのでしょう。愛を引き替えにする小さな雪景色が、そのおもむきが書けるのか。

 私の手は止まっていたようで、和泉さんが、顔を覗きこんで、少し拗ねたように頬をふくらませております。苺ほどの赤さはなくとも、桃にはまだ遠い、赤味のある頬は、寒さのためか、それとも他の理由なのでしょうか。

「もう。私の前で他の方をお考えにならないで、それがご自分のことでもお考えにならないで。……生きる時間は短いの、ほんとうはくらい道を歩いているの、あなたが見ている時が月が射し光が道行きを示してくださるのだもの。ねえ、私の前で私以外のことなんて、お考えにならないで」

 どうせ、誰にでも言っているのでしょう、と私は言うべきでしたが、声にもならず、和泉さんを抱きしめて頬ずりしました。私の頬が和泉さんの頬を溶かしていくようです。そのくらい、和泉さんの頬は、冷たかった、情熱的で火のような歌詠みのくせに、冷たかった。冷えた火照りにそれはそれは頬が赤く染まるのは道理というものです。外側が冷えているからこそ、内側の炎熱が漏れ出て、赤く彩られるというもの。

「ふふ、藤さんのほっぺた、今日はとっても熱い。お体の中まで、お熱いのかしら」

 そのようなことを、咲き乱れる牡丹のように艶然と微笑みながらおっしゃるので、私は腰を引き寄せて口づけをいたしました。どれほど私の息が熱いか、心が熱いのか、まあこれで伝わったことでしょう。

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