3-4.山小屋の夜と山羊の乳搾り
「ごちそうさまでした」
思わず習慣で口にしてしまった。
お爺さんとミリアが不思議そうな顔をしている。
「ボクの故郷の習慣なんだけど、こっちだと言わないの?」
そういえば、食事の最初にも「いただきます」とか食前の祈りとか無かった気がする。
「『美味しかったー』とか『お腹いっぱいー』とかくらい?」
お爺さんとミリアが顔を見合わせる。
このあたりには、そういう習慣はないようだ。
「気にするな、セイ。故郷の習慣なら気にせず続けろ」
お爺さんがそう言ってオレの頭を撫でた。
なにげに、お爺さんは懐深い。巨鳥が運んできた見ず知らずの幼児を引き取ってくれるほどだしね。
ご飯を食べたら、後は寝るだけ。
予想通り、風呂はない。汚れたら小川で水浴びをするらしい。雪が降る季節になったら、暖炉で沸かしたお湯で身体を拭くそうだ。
洗い物は水桶に付けて、藁を束ねたモノで軽くこするだけ。
後は布で拭いたりせずに、台の上に重ねて終わりだ。湿度が低いから、それだけで乾いてしまうのだろう。
「そろそろ火を落とすぞ」
お爺さんが薪を脇に避け、暖炉の火を落とす。
夕食の間に日が落ちたのか、暖炉が消えると薄暗くなる。
「ちょっと暗いけど大丈夫よ」
ミリアに続いてはしごを上って屋根裏部屋に行く。
今日は満月なのか、窓から入ってくる月明かりでも、それなりに見える。
ミリアがいきなり服を脱いだ。
ツルペタな裸体が現れた。一応、短パンっぽいフォルムのパンツは穿いているけど、ブラジャーはしていない。オレはそっと視線を背ける。
彼女の第二次性徴が始まる前には、こっちの女性が身につけるような下着を調達してあげよう。
「それじゃ、着替えて寝よう」
ミリアはそう言って、棚にあったシュミーズのような寝間着を着込んだ。
「セイは寝間着はある?」
「うん、あるよ」
「手伝ってあげる」
「大丈夫だよ」
固辞しても、お姉さんぶりたいミリアが、オレの服を剥ぎ取る。
「変わった下着ね?」
「そう?」
ボクサーパンツだから、ミリアのパンツよりはぴっちりして見えるかもね。
収納鞄に入れっぱなしになっていた、大人サイズのTシャツを取り出して着る。
「うわー、すべすべ!」
ミリアがTシャツに頬ずりする。
「すごく良い布だね」
言われてみると、ミリアの着ていた服は織りも荒いし、ちょっとゴワゴワだ。
「よかったら着てみる?」
「いいのー?」
すごくうれしそうだ。
Tシャツを脱いでミリアに渡す。
「えへへー」
ミリアが寝間着を脱ぎ捨ててTシャツを着る。
さっきと違って、目が慣れてきたせいか、ミリアの半裸を間近に見てしまった。
子供相手とはいえ、少し気まずい。
しばらくして満足したのか、Tシャツを返してくれたので、それを着込んだ。
「さあ、寝よう」
ミリアがベッドの掛け布団らしき薄い布をめくって手招きする。
やっぱり、同じベッドか。
ミリアと同衾する事をちょっと躊躇ったけど、相手は子供だし、意識する方が変だろう。
オレはそう納得してベッドに入る。
「おやすみ、セイ」
「おやすみ、ミリアお姉ちゃん」
寝る時の挨拶はちゃんとあるらしい。
その思考を最後に、オレは眠りに就いた。
◇
「――朝?」
小癒で治癒したとはいえ、慣れない山歩きで疲れていたらしい。
気がついたら朝になっていた。正確には夜明け前だけど、東の地平線がぼんやりと明るくなってきている。
顔に張り付いていて寝ていたクゥを剥がし、状況を確認する。
いつの間にかミリアの抱き枕状態になっていた。子供の体温は高いので、肌寒い気候だと丁度いい感じだ。
――って、あれ?
密着結界が解けている。
最近は夜中に眠っても維持できるようになっていたんだけど、昨晩は気が抜けて解除されてしまったらしい。まあ、旅していた時や拠点にいた時は設置型のドーム結界で守られていたから、その時の癖が出ちゃったのかもね。
「セイ、起きて」
「おはよう、ミリアお姉ちゃん」
「目が覚めた? すぐ朝ご飯だから、早く下りてきてね」
ミリアがそう言って、一階に下りていく。
一人になった隙に、密着結界を再発動する。
なんだかお腹の調子が悪いので、
クゥは見当たらない。
どこかに遊びに行ってしまったのだろう。
「セイ、早くー」
ミリアが呼んでいるので階下に行く。
お爺さんが暖炉に火を入れている。
「行くよ、セイ」
小さな鍋を持ったミリアに手を引かれて外に出る。
「どこに行くの?」
「山羊のミルクを絞るのよ!」
おっとそれは楽しそうだ。
山羊小屋にいくと、ミリアは慣れた手つきで絞り出す。
「ボクも、やってみたい」
「いいわよ」
ミリアと場所を変わって、乳搾りに挑戦する。
――むむむ。
上手くいかない。
意外と難しいぞ、これ。
「こうするの」
ミリアが手を添え、絞り方のコツを教えてくれた。
なんだか、ちょっと照れる。
なんとかミルクを絞り終わり、暖炉の火でパンを炙っていたお爺さんにミルクの入った鍋を渡す。
夕飯と違って、朝食のミルクは暖炉で温めるらしい。
スープはないみたいだから、ホットミルクがスープの代わりなのだろう。
朝はパンと山羊のミルクだけ。栄養がちょっと心配だ。
温めたミルクは鼻から出る山羊が三匹くらいになるほど自己主張アップだったけど、冷えた身体を温める効果は高そうだ。
炙ったパンは香ばしさが増し、昨日のパンとは食感が変わっていて面白い。
「セイ、朝ご飯を食べ終わったら、山羊を集めに行くよ」
「ミリア、今のセイに麓まで山羊を集めに行くのは酷だ」
オレが答えるより先に、お爺さんがミリアを制止した。
「麓って遠いの?」
「ここから昨日の
それはちょっと辛いね。
つまり、最低でも昨日の四倍の距離を歩く必要があるって事だ。
「そっかー、それじゃ仕方ないね。いつも通り、一人で行ってくるよ」
ミリアがしょんぼりする。
たぶん、お姉ちゃんとして、オレに山羊集めの仕事を教えてくれようと、楽しみにしていたんだろう。
「いや、途中までは一緒に行こう」
「一緒に?」
「そうだ。今日はわしも麓に行かんといかんからな」
「セイは一人でお留守番って事?」
「いや、慣れるまで一人で留守番は危ない。セイは中集落のフリーデに預ける」
「エラの所? だったらハイノもいるし、セイも寂しくないね」
どうもお手数をおかけします。
そんな内心が伝わってしまったのか、
「気にするな。お前も大きくなったら、ミリアと一緒に行けるようになる」
お爺さんが大きな手でオレの頭を撫でてくれた。
「それじゃ、山羊達を出してくるわ」
ミリアが玄関前に立てかけてあった山羊飼い用の道具を拾い上げて山羊小屋の方に走っていく。
「――ボクがやるよ」
お爺さんが無言で食器を洗い桶に浸けて皿洗いを始めようとしたので、洗い物の担当を買って出た。
「気を遣わなくて構わん」
「お手伝いしたいんだ」
外見が幼児だからと言って、何もしないのも心苦しいのです。
まあ、洗い物と言っても、ミルクを温めた小鍋とカップが三つだけなんだけどさ。
「分かった。頼んだぞ、わしは麓に行く支度をする」
お爺さんが大きな手でオレの頭をくしゃっと撫で、自分の部屋に入ってった。
オレはタワシ代わりの藁束で、食器や小鍋を洗う。
洗い物をしながら、これからの事を考えてみた。
居候するにあたり、食事を始めとした住環境を改善したい。
オレに魔法が使える事を話せばいくらでもできるが、オレの魔法は賢者ちゃん――「大賢者様」の使う秘術の類いだ。
うかつに使うと騒動は確実だし、賢者ちゃん情報によるとこの世界には貴族階級がいて、「領民のモノも自分のモノ」という考えの貴族が少なくないらしいし、そんな奴らに伝わったら悲惨な事になりそうだ。
お爺さんとミリアが誰彼構わず吹聴するとは思わないけど、知る人間が多ければそれだけ漏洩する危険は増す。オレだけが危険にさらされるなら、どうとでも切り抜けられる気がするけど、善良なお爺さんやミリアに危害が加えられるのは避けたい。
魔法やインベントリの事を秘密にするとなると、環境改善はなかなか難しそうだ。
どうするのが最善だろう?
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