3-2.山小屋の暮らし


「ミリア、セイを休ませてやってくれ」

「え? あたしは山羊を返しに行かなくっちゃ」

「今日はワシが返しに行く」


 お爺さんはミリアから木鈴の付いた杖を受け取ると、山羊達を連れて山を下っていった。

 山羊を持ち主の家へ返しに向かうらしい。年齢を感じさせない健脚だ。


「ちょっと待っててね。この子達を先に戻してくるから」


 山羊のうち、二頭はここの家畜だったらしい。

 ちょっと疲労が激しかったので、家の前に置いてある椅子に座って休憩する。


 ミリアが戻ってくる前に、「小癒ライト・ヒール」を使って軽微な筋肉破断や疲労物質を処理しておく。体力作りをしていた時は逆効果なので使わなかったけど、今日は使っておかないと筋肉痛で動けなくなっちゃいそうだから。


 ついでにインベントリから出した一口チョコとスポーツドリンクで、カロリーと水分を補充しておく。


「セイ~」


 クゥがふらふらと飛んできた。

 収納鞄がクゥの横に浮かんでいる。


「ありがとう、クゥ」


 オレはクゥにお礼の魔力とフルーツ飴をあげる。


「飴美味し~」


 クゥがフルーツ飴を口の中でコロコロと転がす。


「わあ! 何、その子!」

「にゅ!」


 ミリアに見つかったクゥが全力で逃げていった。


「さっきの光は何?」

「ボクの友達だよ」


 子供らしい言葉遣いを注意して答える。


「あの光が?」

「うん」


 ミリアにはクゥが光に見えたようだ。


『賢者ちゃん、精霊って見えない人もいるの?』

『魔力の多い人や小さい子供は普通に見えるけど、大きい子はぼんやりした光に見えるらしいよ。大人は見えない人の方が多い感じね。まあ、精霊の格にもよるけど、クゥくらいの精霊なら、その子くらいの反応だと思うわ』


 賢者ちゃんによると、声だけ聞こえる人、姿だけ見える人、など個人差があるそうだ。

 今日のコスプレはエルフかな? 緑色を基調にした妖精っぽいファッションに三角帽を被り、帽子から飛び出た耳も、少し尖ったフォルムに変わっている。


「ボクが落とした鞄を届けてくれたんだよ」

「へー、良かったね」

「うん」


 ミリアに首肯する。

 これで着替えを出しても、どこから出したのか言い訳が楽になる。


「それじゃ、家の中を案内してあげる」


 ――え?


 拍子抜けするほどあっさりと、ミリアはクゥの事に関する追求を止めてしまった。


「あの子、精霊でしょ? 精霊は構うと出てきてくれないって言うから、こういう時はしらんぷりするんだよ」


 オレの意外そうな顔色に気づいたミリアが理由を教えてくれた。

 なるほど、そういう言い伝えがあるわけか。


「それより、家の案内だよ」


 ミリアに手を引かれて家の中に入る。


 入り口すぐの六畳間がリビング兼ダイニングになっているらしく、入ってすぐにテーブルが一つあり、壁際に暖炉がある。


「ここでご飯を作るんだよ」


 そういってミリアが指し示したのは暖炉だ。

 暖炉は竈も兼ねているようで、昔のアニメ名作劇場で見た事のあるレトロな感じの鍋が吊り下げられていた。


「はい、お水」


 暖炉の横の台に置いてあった水差しの水を木のコップに入れて渡してくれたので、一口二口飲んでコップを返す。


「あー、水甕みずがめの水が少ないなー。あとで汲んでこなきゃ」


 ミリアが台の横に置いてある大きな水甕を覗き込んで確認する。

 予想通りだけど、水道は来ていないようだ。便利な魔法の道具も見当たらない。異世界モノだと定番だけど、風呂もなさそうな感じだ。


 暖炉の反対側に扉付きの棚が一つ。


「こっちの棚に食べ物とか食器とかが入れてあるの。勝手につまみ食いとかしちゃダメよ。お腹が減ったら、あたしかお爺さんに言ってね」


 棚の傍の床にも麻袋のようなモノや木の皮を編んだようなカゴが幾つも置いてある。


 扉は入り口の他は、部屋の奥にある一つだけ。


「あっちはお爺さんの寝室」


 扉の奥は二畳ほどの狭い部屋で、ベッドと吊り下げタイプの棚が一つあるだけだ。


「あたし達の部屋はこっちだよ」


 そう言って、ミリアがはしごで二階に上がる。

 さっきは気づかなかったけど、ミリアの服は継ぎ当てや補修の跡が多い。使い捨ての文化で育った身としては、不思議な感じがする。


 ミリアに続いて上がろうとして、彼女のスカートの中が見えそうになったので、顔を逸らして彼女が上がりきるのを待つ。


「どうしたのー?」


 ミリアが心配そうに上から顔を出した。


「ごめん、すぐ上がるよ」


 二階――というか屋根裏部屋は、一二歳のミリアでギリギリ頭がぶつからない高さだ。

 部屋の隅には幾つか箱や棚があり、ミリアの私物や古道具が置いてある。


 電灯なんかはなくて、一つだけある丸窓から差し込む光と壁の隙間から入る細い光だけなので、わりと薄暗い。


「こっちにおいで」


 ミリアが丸窓の方から手招きする。


 丸窓の前にはシングルサイズのベッドがあり、白いシーツが掛けられてある。

 女の子のベッドの上に乗るのに少し遠慮があったが、ミリアに「早く早く」とせかされて上がった。


 シーツ越しに不思議な感触が伝わってくる。


「わらのベッド?」

「そうだよ! 夏の終わりに草を干して作るんだよ!」


 おお! 干し草のベッド!


 それはなかなか異世界スローライフっぽい!


「そんな事より早く――」


 ミリアがオレの手を引いて、丸窓の前に導く。


「ここからの見晴らしが良いんだよ!」

「うわー」


 確かに絶景だ。


「いい景色だね」

「うん、あたしのお気に入りなの!」


 草原に、雲のかかる山脈、どこまでも広がる麓の森林、そして少し離れた場所に生える大きなもみの木が一枚の絵画のようにも見える。


 まあ、もみの木って言っているだけで、本当にもみの木かは知らないけどね。


「他の場所も案内してあげる」


 もう少し眺めていたかったけど、ミリアに手を引かれて一階に降りる。子供はせっかちだ。


「ここがトイレ。落ちないように注意するんだよ?」


 トイレは屋外にあり、祖父母の語る昔話でしか聞いた事のないようなボットン便所だ。


 臭いが凄い。


 そりゃもう猛烈に臭い。


 トイレを使う前に、浄化魔法か携帯トイレ用の消臭凝固剤を使わないと、用を足している途中で倒れそうだ。

 どちらで対処するにしても、糞尿を肥料に使うか否かは先に確認しないとね。


「ここは薪や干し草を保管する場所だよ」


 山小屋の裏手に小屋がある。

 木や干し草の匂いがする小屋の中はがらんとしており、端っこの方に薪が少しあるだけだ。今は春先だから、冬の間に使い切った感じなのだろう。


「それで、こっちが山羊小屋」


 さっきの保管小屋の横だ。

 小屋の中は寝わらと、水桶、それから雑穀らしきモノが隅っこに残った餌桶がある。


 ミリアの顔を見た山羊達がメェエエと鳴いて寄ってきた。


「ダメよ、ステルもプレンケも。餌も塩もさっきあげたでしょ」

「塩?」

「うん、山羊は塩が好きだから、山から帰ったら塩を一つまみずつあげるの」


 へー、山羊と言えば動物園の触れ合いコーナーくらいでしか見た事がないから、知らなかったよ。


「どっちがステルで、どっちがプレンケ?」

「こっちの額に星があるのがステル。斑模様の方がプレンケだよ」


 山羊の名前を教えてもらったけど、耳馴染みのない単語だから覚えるのに時間がかかりそうだ。


「水はまだまだいっぱい――あっ!」


 山羊の水桶を一瞥したミリアが何かに気づいた。


「いっけない! お水を汲んでこないと!」


 ミリアが山羊小屋の前にひっくり返してあった木のバケツを拾い上げる。


「外に雨水を溜める水甕もあるんだけど、そっちは洗い物とか掃除に使う用なの」


 なるほど、生活用水と飲料水は別で管理しているのか。

 高原って雨が降らない印象だったけど、この辺りはそうでもないのかな?


「一緒に行こう」


 さっきの小癒でほぼ回復しているので、差し出したミリアの手を取って一緒に水汲みに向かう。


「水は井戸から汲むの?」

「違うよ、湧き水を汲むの」


 さっきの干からびた川の水源らしい。


「毎日汲みに行くの?」

「そうよ! お爺さんとあたしで朝夕に交代で汲みに行くの! 水の入ったバケツは重いから、セイはやらなくていいからね」


 ミリアが「お姉ちゃんに任せなさい」と言って薄い胸を叩く。


 とはいえ、年端もいかない少女や総白髪のお爺さんに、重労働を任せっぱなしと言うのも心苦しい。

 身体強化やウィッチ・ハンドを使えば運べるし、インベントリを使えばもっと楽勝で運べる。

 今日の感じだと、オレを山の牧場に連れて行くのは手間だろうから、きっと山小屋で留守番をする事になるだろうから、少量を何度も往復して運んだと説明すれば、水汲みを担当しても問題ないだろう。


「あそこだよ!」


 水源は五分ほど歩いた先にあった。

 五メートルほどの垂直の断層が左右に何十メートルも続いている場所の一角だ。


 ミリアはちょろちょろと水が湧き出る場所にバケツを置いて水を溜め始める。


「水が溜まるまで待ってね」

「うん」


 視線を巡らせると、遠くの方に干上がった川が見える。

 ここの湧き水は、そっちの川とは違う溝みたいな浅い小川に流れ込んでいるようだ。


 この小川を堰き止めて、あっちの干上がった川に流し込めば、水汲みが楽になるんじゃないだろうか?

 こっちの小川の方が標高が低いから、人力で水路を掘るのはちょっと大変そうだけど、アース・ハンドを重機代わりに使えばできそうだ。


「どうしたの?」

「あの小川を堰き止めて、山小屋の前の川に流し込んだら楽なのにな、って思って」

「えー、そんなのダメだよ」


 いい考えだと思ったのに否定されてしまった。


「ダメなの?」

「だって、この小川はエラ達のなか集落に続いているんだもん。水が流れなくなったら困るよ」


 中集落というのは、木こり達が暮らす五軒ほどの小さな集落で、山小屋と麓の村の中間地点にあるそうだ。

 ちなみにエラというのは中集落に住むミリアの女友達らしい。


 バケツいっぱいまで水がなかなか溜まらないので、しばらくミリアと一緒に食べられる野草を摘む。三つ葉っぽいのは刻んでスープに入れるそうだ。


「そんなにたくさん入れるの?」

「あはは、違うよ。余分なのは山羊のオヤツにするの。この草をいっぱいたべさせたら、美味しいお乳が出るの」


 そこはミルクと言ってほしい。


「この草は兎も好物なのかな?」


 近くの草原で、兎が顔を出してこちらを見ている。


「そうかも」


 ミリアがそう言いながら、低い姿勢でゆっくりと兎の方に近づいていく。


 もしかして、兎を捕まえたいのかな?


 兎って、可愛いもんね。


「――ああ、もう!」


 ミリアが飛びかかれる距離に近づく前に、兎はさっさと逃げ出してしまった。


「セイが家族になった記念に、兎の丸焼きを食べさせてあげたかったのに!」

「兎を食べるの?」

「うん、美味しいよ?」


 なんでそんな事を聞くのと言わんばかりのキョトンとした顔を向けられた。


 かわいそう――なんていうのは、現代日本人の考え方なので口にせず、オレは話を逸らす事にした。


「ミリア――お姉ちゃん、バケツがいっぱいになっているよ」

「あ、本当ほんとだ。帰ろう、セイ」


 重そうにバケツを持つミリアと一緒に戻る。

 オレが持つのは軽い野草だけだ。


 WHOのコマーシャルじゃないけど、いつまでも幼い子供や老人に水汲みの重労働をさせたくないね。


 何か解決策がないか、脳内賢者ちゃんに相談してみよう。




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