2-17.秘密基地


「フィーッシュ!」


 夕まずめの湖岸でオレは異世界トラウトを相手に釣りを楽しんでいた。


 ドラゴンを退治して竜の巣を拠点にしてから、早三ヶ月。体力作りを経て身体強化が使えるようになった。

 その成果がこのルアー・フィッシングだ。


「――ぐあっ」


 余計な事を考えていたせいで、異世界トラウトにラインを切られた。

 反動で、雪の積もった湖岸に尻餅をつく。


 異世界の魚は戦闘力が高すぎるんじゃないだろうか。


「お気に入りのルアーだったのに――」


 オレは立ち上がって雪を払う。

 息が白い。異世界の季節はすっかり冬だ。


「――まあ、また複製すればいいか」


 ルアーや釣り竿も複製できるようになった。


 竜の巣で得た金属塊のお陰で、複製できる物が増えたのだ。

 どういう由来の金属なのか、アルミ以外の金属はたいがいいけるみたいで、そのアルミも湖の傍にある爪谷で見つけた、一〇〇キロ級のコランダム原石のお陰で複製ができるようになった。


 ここは竜に拉致られた時に見かけた「ベヒモスとエンシェント・ドラゴンのケンカの痕」という荒れ地の一角だ。


 アォオオオオンと狼の遠吠えが聞こえてきた。


「セイ~、銀鱗狼がこっちに来るよ~」


 周辺警戒をしてくれていた風精霊のクゥが教えてくれる。

 さっきの遠吠えは、やっぱり銀鱗狼だったらしい。


「あとどのくらい?」

「一分くらい~?」

「けっこう近いね」


 銀鱗狼は額から背中にかけて、銀色の鱗に覆われた巨大狼だ。

 大型バイクくらいある軽戦車みたいな狼なので、オレは最初に出会った時から逃げの一手を選んでいる。


 だって、怖いもん。


「<我が身に眠る万能なるマナよ。万物のことわりを混沌へと導き、我が願いを具現せよ>」


 一度だけ、不意打ちを受けちゃった時は、何十メートルも吹っ飛ばされて大変だった。

 密着結界があったから怪我はなかったけど、途中の樹木が何本も折れたんだよね。


「<マナよマーナ空間を掌握しポトリ・スパチゥム我が意のままとせよファク・ウト・プラシェット>」


 この銀鱗狼は夜行性らしく、昼間は出てこないので特に問題はない。


 今日はちょい早めだったけど。


「<彼方と此方をフォカ・アトクェ・イールゥク折り畳みフォルデボル扉を繋げよクロゥド・オースティウム>」


 どちらかというと、隙を見てはオレを丸呑みにしてこようとする巨大蛙や体長五メートル以上もあるオオナマズの方が危険だ。


「<―― 転移門トランスフェル・ポルタ>」


 詠唱の完了と同時に、オレの前に長方形に光る転移門が出現する。


 森の中から飛び出してきた銀鱗狼に手を振り、そのまま転移門へと飛び込んだ。





 オレの視界が湖畔から竜の巣へと切り替わった。

 気圧差のせいで、耳がキーンってなる。こっちから麓に転移する時も同様だ。


 いつも不安になるけど、オレの背後で消えていく転移門の光から銀鱗狼が飛び出してくる事はない。転移門が通すのは術者と、術者が許可した者だけだ。


「ただいま、賢者ちゃん」

『おかえり~』


 誰もいない拠点に向かって挨拶すると、新妻コスプレの脳内賢者ちゃんがエプロン姿で挨拶を返してくれた。


 アパートの家具を設置したせいか、賢者ちゃんの新妻感がリアルだ。


 このへんの家具も大体複製できた。


 未だに複製できないのは、レアメタルを多く使う電化製品だけ。その電化製品も、複製素材として日本から持ってきた型落ち品を使って予備は幾つか作ってある。


『セイ、そろそろ暖房が切れるよ』

「おっと、忘れるところだった。ありがとう、賢者ちゃん」


 この拠点は外と別世界みたいに温かい。

 前に温度計で確認したけど、結界の外は標高が高いから昼間でも氷点下の寒さなんだよね。


 ここが防寒具いらずの温度なのは、洞窟の奥で炎をあげる暖房器具のお陰だ。

 日本から持ってきた石油ストーブは使っていない。新しい方の石油ファンヒーターは電源がいるし、古い方は電池でいけるけどそんなに温かくならないのだ。


 ガソリンや灯油は松脂みたいなベタベタする樹液の出る樹木を素材にしたら複製できたんだけど、発電機以外では活躍していない。

 その発電機も、出番は少なめだ。三時間に一回給油するのが面倒だったので、週一回くらいの頻度でポータブル電源の充電に使うくらいかな。


 なのでここの暖房は――。


 アース・ハンドで作った掲げる腕のオブジェに、火属性を付与したバールを置いてある。

 これは拠点の結界と同じく、維持に必要な魔力を最初に篭めて自立させてあるので、密着結界や身体強化のように維持が負担にならない。


 後者も自立させたら――なんて賢者ちゃんに言って一笑に付されたのを思い出す。


 密着結界や身体強化なんかの魔法は、常に動きに合わせて制御を微調整しないといけないので、制御を切り離せないのだ。賢者ちゃんは自律制御の術式を加えたりできるらしいんだけど、それは複雑すぎて魔法初心者のオレには使えなかった。


『――セイ?』

「おっとごめん、ちょっと考え事をしてた」


 オレはバールに付与した魔法の術式と意識をリンクする。

 自分で発動した魔法は五秒から一〇秒ほどでリンクできるけど、他人の術式にリンクするのは格段に難しいそうだ。


「<術式終了フィーニス>」


 付与魔法を解除し、新たに詠唱して火属性を付与する。


 上書きでもいいんだけど、それをすると一時的に加熱しすぎて、バールが自重で歪んでしまうのだ。歪んだバールを素材に複製し直せるけど、それはそれで面倒なので、ちゃんと終わらせてから次のを発動するようにしている。三日に一回の事だしね。


 もちろん、暖房バールは一本だけではない。


 オブジェは六カ所あり、それぞれにバールを設置している。

 そのうち一カ所は火属性ではなく風属性だ。この風属性バールで暖まった空気を洞窟中に循環させているのだ。


 まだ、経験していないけど、夏になったらバールに氷属性を付与して、クーラー代わりに使おうと思う。


 アース・ハンドのオブジェは他にもある。

 トイレや風呂場の仕切りにも使っているのだ。気にするのはオレ一人しかいないとはいえ、クゥや脳内賢者ちゃんの視線もあるしね。


 暖房バールのリフレッシュを終え、オレは外出着を脱いで浄化の魔法を掛けて綺麗にし、部屋着に着替える。


 ちゃんとぴったりサイズの服だ。


 複製魔法の応用で拡縮コピーに成功したお陰で、ようやくぶかぶかな着替えから卒業したのだ。


「そろそろ、食事にしよう。賢者ちゃん、今日も味覚接続する?」

『うん、もちろん! 今日の夕飯は何にするの?』


 声を掛けたら、盛装の賢者ちゃんが現れた。

 こういうアップの髪にした賢者ちゃんも綺麗でいいね。


「ドラゴン・シチューとバゲット。あとはサラダかな?」

『セイは竜肉料理が好きね~』

「賢者ちゃんも好きでしょ」


 賢者ちゃんが喜んでくれるので、夕飯はだいたい竜肉を使った料理を食べている。


 初日に食べたドラゴン・ステーキの他にも、ビーフシチューの牛肉を竜肉に置き換えたドラゴン・シチュー、ドラゴン・カレー、竜肉の野菜炒め、竜肉の肉じゃが、竜肉のすき焼き、竜肉のしゃぶしゃぶなんかが多めだ。

 これだけ毎日のように食べているのに、初日に切り出した竜肉の半分も消費できていない。


 そのメニューに、昼間釣った魚を使ったお鍋が加わる。鍋はいい。

 野菜が手軽に食べられるし、準備が簡単だ。


 もっとも、手間を掛けるのは夕食だけ。


 朝はコーヒーとトースト、菓子パン、サンドイッチあたりが多いけど、たまに和食っぽいのを食べる事もある。もちろん、自作ではなく、コンビニ弁当やスーパーの惣菜だ。


 昼はファストフードかホカホカなお弁当で済ます事が多い。

 返り討ちにした湖の巨大ナマズのお陰で、肉料理のコピーができるようになったからね。

 塩問題も、竜が巨大岩塩を採掘した場所を発見したので解決済みだ。


 拡縮コピーの前に、複数個にコピーする技を覚えたのも大きい。

 複製した物を、さらに複製するのは自重している。賢者ちゃんによると特に問題ないそうなんだけど、コピーミスが重なって問題を起こすのはSFなんかじゃよくある話だからね。


 残念ながら、複製素材をインベントリに置いての複製は、未だにできない。


「ドラゴン・シチューもそろそろ終わりだな。面倒だけど、また作らないと――」


 竜肉料理は魔法で複製すると、覿面に味が落ちるんだよね。

 賢者ちゃんが言うには、竜肉に内包する豊富な魔力が美味しさの要らしい。


『面倒って言っても、煮込むだけでしょ?』

「まーね」


 竜肉の下ごしらえは大量にしてあるし、シチューやカレーに入れる野菜類は丁寧にカットしたのを見本にして大量コピー済みだ。後は一回分ずつに小分けしてあるのを投入してルーを入れて煮るだけの簡単なお仕事である。まさにインベントリ様々だ。


「クゥは焼き芋が食べたい~」


 精霊は寒さを感じないらしいけど、雪が降るようになってからクゥは焼き芋をよく食べるようになった。


「ケーキはいらないのか?」

「チーズケーキも食べる~」


 最初の刷り込みか、今でも大好物はチーズケーキだし、フルーツアメも大好きだ。


『今日はどんな冒険をしたの?』


 その日の出来事を賢者ちゃんに話しながら夕飯を取るのも日課になった。


「雪原で飛行魔法の練習をして――」

「セイは雪に突っ込んでたの」


 格好良く語ろうと思ったのに、クゥが速攻で結果をバラしてしまった。


 残念ながら、飛行魔法は制御が難しすぎてなかなか上手くならない。

 失速で墜落する事はなくなったが、バランスを崩して錐揉みになったり進路を見失って墜落したりするのだ。


『魔法の維持数は増えた?』

「安定するのは三つのまま。四つ維持できるのは、使い慣れた魔法だけだよ」


 密着結界、身体強化、浮遊、ウィッチ・ハンド、パッシブ・サーチの五種類ならいける。


 身体強化と浮遊を同時に使うシーンはほとんどないから、それほど困らない。

 まあ、困らないからこそ、維持数が増えないとも言う。


 複製魔法や属性付与なんかもいけそうだけど、こっちは拠点で使う事が多いから除外した。


『チャージの方はどう?』

「そっちは使い慣れた七種類と転移くらいかな。同時は一個だけ」

『転移のチャージは危ないから止めた方がいいよ』

「うん、分かっている。普段は結界しかチャージしてないよ」

『ならいいけど』


 魔法のチャージは緊急発動用の技だから、慌てているシーンで転移なんて高度な魔法を使うのは危険すぎるからね。

 失敗して、「石の中にいる」なんてなったらシャレにならない。


「銀鱗狼のヤツ、どんどん知恵を付けるから困るよ」

『狩っちゃえば?』

「あいつ、速いから魔法を当てにくいんだよね」

『マナ・ショットのバリエーションでいけない? 散弾や連射ならそこまで苦労しないわよ?』


 連射はまだ上手くできないけど、散弾は割と簡単にマスターできた。

 半球状に散らすのも、ショットガンのように半収束させるのも思いのままだ。


 でも――。


「う~ん、肉は足りているし、前に狩ったヤツから魔石も取り出してないくらいだから」


 むやみな殺生はしないよ。

 魚はともかく、動物の解体はまだ抵抗がある。


 ちなみに、魔石は魔晶石の素になる原料だ。

 魔晶石の作り方は賢者ちゃんの基礎知識にあったので、道具や触媒が手に入ったらチャレンジしてみたい。


 皿に残ったシチューを、パンの最後の一かけで拭い。


「ごちそうさまでした」

「さま~」

『はい、お粗末様』


 食器を浄化の魔法で綺麗にする。

 あとは綺麗な布で軽く払えば終了だ。


「クゥ、お風呂入るから、一緒に入ろう」

「入る~」


 今日は月明かりが綺麗だから、拠点の明かりを消して夜景を楽しもう。

 FRP製のボートを湯船にして、月明かりに浮かぶ雪化粧された森を眺める。


「いい景色だな」

「ふにゅ~」


 クゥがお湯の上をラッコのようにぷかぷか浮かぶ。


 見晴らしの良い竜の巣を拠点に、クゥと一緒に魔法の修行をしつつ山や森でサバイバル生活を楽しむ生活は楽しい。

 魔法は日々上達しているし、異世界の探検は発見が多いし、異世界の魚はなかなか手強くて良い。


 とはいえ――。


「これだと異世界スローライフというより、異世界隠者生活なんだよな~」


 賢者ちゃんの魔法や知恵とクゥの索敵、それから現代グッズのお陰で快適キャンプ生活だけど、現地の人達との触れ合いとか現地の料理とかも堪能してみたい。


 雪が解けて、テント泊ができる春になったら、拠点を離れて人里へ向かおう。


 目標は異世界スローライフだ!

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