1-5.インベントリ
さて、何からしよう。
界渡り――異世界転移する前に色々としないといけない。
荷物を置いたままの河原に戻りながら思案する。
すぐに思いつくのは、向こうに持って行く道具の調達、会社の休職手続き、親や友人達への連絡、それからインベントリの準備だ。
「どれから――」
河原に置かれたラグビーボール大の魔晶石二つが目に入った。
この渓流まではYAMAHAのセロー250――オフロードバイクで来たから、このバカでかい魔晶石を運ぶのは無理だ。
いや、まあ、釣り道具を置いていくならリュックに入るけど、釣り人としてのマナーがそれを許さない。
「やっぱ、インベントリからかな」
アイテムボックス的な亜空間収納にはロマンがある。
「でも、保険も重要か――」
賢者ちゃんは二つ目の魔晶石を渡す時に、「界渡りした先でとんぼ返りしたい時に二つあると便利だよ」なんて言っていた。
『賢者ちゃん、界渡りした後で魔晶石に魔力を再チャージするのって、どのくらいの時間がかかるの?』
脳内賢者ちゃんに尋ねる。
『うーん、この大きさだと、自然回復なら半年から三年くらいかな?』
『けっこう時間がかかるんだね』
『そりゃそうだよー』
思ったよりも長い。
有給で行くのは無理そうだ。
『こっちの魔晶石でもインベントリではできる?』
大豆サイズの魔晶石を
『無理、無理。このサイズだと、空間拡張した収納鞄くらいしか作れないよ。時間停止どころか時間遅延すらつけられないんじゃないかな』
収納鞄というのは、いわゆるマジック・バッグ的なアイテムらしい。
やっぱり、時間停止は欲しいよね。
そうだ――。
『向こうって、とんぼ返りしないといけないくらい危ないの?』
『うーん、危ない場所もあるけど、結界魔法を使えば大丈夫だと思うよー』
賢者ちゃんの特製結界はドラゴンの攻撃でも余裕で防げるらしい。
異世界で使いこなせるように、脳内賢者ちゃんの指導で結界魔法を何度か練習する。
『それはすごいね』
『さすがにエンシェント・ドラゴン級のは無理だけど、あの大陸にはもうそのランクのバケモノはいないから大丈夫だと思うよ』
なんでも賢者ちゃんが界渡りの為に、狩り尽くしてしまったそうだ。
安全が確保できるなら、「とんぼ返り」用の保険はいらないね。
◇
「なら選択肢は一つだ」
オレは最初の行動にインベントリの実装を選択する。
作業の前に、河原に投げ出したままだった竿や荷物を片付けた。
『賢者ちゃん、インベントリはどうやって実装するの?』
脳内賢者ちゃんにお伺いを立てる。
『まずはインベントリ起動の為の魔法陣を作るんだよ~』
オレの脳内に、綿密な魔法陣が思い浮かぶ。
その魔法陣の中心に、コアとなる魔晶石をセットするらしい。
『魔法陣はこのままでいいの?』
『このままでもいいけど、カスタマイズもできるよ』
『どんなカスタマイズ?』
『全体なら収納空間内の時間を停止するか否か。時間遅延に変更もできるよー。時間停止しない場合は、時間停止する場合よりも収納サイズが大きくなるの。だいだい一〇倍くらい』
『この魔晶石だとどのくらいのサイズになるの? 時間停止あり、で』
『小島が一つ入るくらいかな? こっちの単位だと、東京ドーム何個分とかで表現するんだっけ?』
いりません、そんな単位。
なんとなくのイメージで、脳内賢者ちゃんの言う小島が
十分すぎるくらい大きい。
というか、ここまで大きくなくていい。
これなら時間停止一択だな。
『賢者ちゃん、他の設定はどんなのがあるの?』
『あとは内部空間をどのくらい分割するか、かな?』
『大きい領域一つじゃ駄目なの?』
区割りが面倒だ。
『別にいいけど、どこに何を収納したか分からなくなるよ』
確かに、収納の達人でも無理そうだ。
賢者ちゃんのインベントリは、ゲームのアイテムボックスのように一覧表示や検索とかはしてくれないらしい。
『それに開いている領域は、外の世界の影響を受けて時間が流れるから、保存性が悪くなっちゃうから、注意』
『開いていない領域は影響を受けない?』
『うん、全く受けないよ』
なら、分けない選択はない。
『領域はいくつくらいまでいけるの?』
『魔晶石の容量が大きければ幾つでも。この魔晶石なら五万から九万ってところかな? たぶん、一〇万個は無理だと思う』
『いや、そんなにいらないよ』
同じサイズでキリよく65,536個に分割してもいいけど、それはそれで管理に困りそうだ。
『賢者ちゃんはどんな感じにしているの?』
『えーっとね。全体の半分を一つ。金庫サイズと部屋サイズのを各一万個、家屋サイズと倉庫サイズを各一千個、闘技場サイズを一〇〇個、後は残った領域を四分割、だったと思う』
すごい数だ。
管理するのが大変そう。
『不便な事とか、足りない事とかあった?』
『何百年か使ったけど、数が足りないって事はなかったよ。管理してた紙を無くして、どこに何があるか分かんなくなって、開かずの領域ができた事もあったけどね』
やっぱり、管理が問題になるのか。
『収納できる品に制限とかある?』
『あるよ。インベントリの所有者を内部に入れた状態では、閉じることができないわ。無理に閉じようとすると、魔術的な矛盾が生まれて強制的に外部に追い出されちゃうの』
まあ、時間停止する領域内に取り残されたりしたら、誰にもインベントリが開けずに終わっちゃいそうだ。
――あれ?
『生き物は収納できないとかって定番の設定はないの?』
『ないない。木も草も生きてるし、魔法薬なんかにも目に見えない小さな生き物が宿ってたりするんだよ?』
脳内賢者ちゃんが諭すように言う。
まあ、そりゃそうか。
『セキュリティーとかってどんな感じ? 他の人も開けたりするの?』
『インベントリの共有は無理だね。魂に紐付ける魔法だから、誰にも干渉できないよ。最初の頃は精神干渉系で使用者に開かせるって小技があったけど、それも潰したから』
思ったよりも、強固なセキュリティーをしているらしい。
『収納した生き物とかに、内部からインベントリが壊されるとかってないの?』
『積層型の結界で包んであるから、まず無理だねー。エンシェント・ドラゴン級のバケモノが全力で暴れない限り無理だと思う。壊れても自動修復機能があるから、他の領域まで影響を受ける可能性は低いよ』
なるほど、壊れる可能性があるなら、強い魔物をインベントリに収納して封印するという技は避けた方が良いかな。
『もういい?』
『うん、ありがとう』
オレは少し考えてから、賢者ちゃんと同じ設定で領域を分割する事にした。
『わかった。なら、わたしの時のデータをそのまま流用するね』
『頼む』
キーホルダーに付いてたソーラー電卓で計算して、面積が足りない事に気づいた。
『本当に足りる?』
『よゆー』
理由を尋ねたら、インベントリの空間は円ではなく球だと言われた。
だいたい直径14キロの球か。
なるほど、それなら確かに余裕だ。
◇
『セイは魔法を舐めすぎ!』
河原に棒で線を引いて魔法陣を描こうとしたら、脳内賢者ちゃんにダメ出しされた。
『そんなガタガタの線で魔法陣を描いたら、熟練の魔法使いでも失敗するよ! 失敗したら、このへんの山なんて丸ごと吹っ飛んじゃうんだよ!』
脳内賢者ちゃんがサッカーの審判のコスプレでレッドカードを出した。
『え、マジで?』
『うん、大規模な空間魔法の失敗だもん。それくらいの被害は出るよ』
『マジかー』
彼女の言うように、オレは少し魔法を甘く見ていたようだ。
オレは反省し、脳内賢者ちゃんの指示通り、河原の近くの原野を整地し、重力魔法でプレスして頑丈で平面な土地を作り出す。
『あとは光魔法で魔法陣を下書きして、そのまま地面に魔法陣を焼き付けて』
幻影の魔法で魔法陣を投射し、光線の魔法で丁寧に魔法陣をなぞっていく。
――疲れた。
魔法陣を描き終えた頃には、すでに日が陰り始めていた。
近くの岩に腰を下ろして休憩する。
カロリーバーで腹を満たし、マイボトルに入れてあった温かいコーヒーで疲れを癒やす。
「さて、本番と行くか――」
気力が回復したところで、オレは立ち上がる。
「賢者ちゃん、サポートよろしくね」
『おっけー、任せて!』
魔法陣の中心にベヒモスの魔晶石をセットし、脳内賢者ちゃんの詠唱に続いてインベントリ作成の魔法を詠唱する。
ファイアー・ボールなんかとは別次元の複雑で長々とした呪文を唱えるのはなかなかにヘビーだ。
途中で何度も噛みそうになりながらも、なんとか唱え終わった。
地面の魔法陣が天に伸び、積層化された複雑な魔法陣が生成されて周囲に浮かぶ。
なんて難しい魔法だ。脳内賢者ちゃんのサポートがあってなお、制御を失敗しそうになる。
『もうちょっとよ! 頑張れ、セイ!』
チアガールのコスプレで応援してくれる脳内賢者ちゃんに応え、オレは暴れ馬のようなインベントリ魔法をねじ伏せ、なんとか成功をもぎ取ることができた。
『頑張ったね、セイ』
そんな優しい声を子守歌に、疲れ果てたオレの意識は闇の底へと沈んでいった。
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【あとがき】
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★が増えると作者が喜びます。
※拙作「デスマーチからはじまる異世界狂想曲」の漫画版15巻とスピンオフ漫画2巻が3/9に発売予定です。こちらもよろしくお願いいたします。
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