意味ある静寂

 母親蜘蛛の方に夢中だった余り、一緒に討伐依頼を受けに来た二人の事をすっかり忘れていた。


「大丈夫か!? 水誑の蜘蛛エントルーペ・アライグリーはどうなった!?」


 穴の外からウォルターが強く呼びかけてくる。よもや先程まで戦闘していた相手の背中に乗って寛いでいるとは夢にも思っていないのだろう。


 俺としてはこの母親蜘蛛が自分から人に害を与えるとは思えないし、態々討伐する必要性を感じない。最初に襲いかかってきたのも、元はと言えば俺達が不用意に巣へと近づきすぎたのが原因だろうし。


 一つ問題があるとすれば、水誑の蜘蛛エントルーペ・アライグリーが王都周辺に出没するようになったことだ。これさえ解決出来れば依頼を出す必要がなくなり、依頼主も報酬を支払わなくてもよくなる。お互い得をするはずだ。


『なら、まずは二人を説得しないとな……』


「悪いけど、このまま外に出てくれるか?」


 背中を叩いて話しかけると、母親蜘蛛は俺の言う通りにそのまま巣の外へと向かっていく。


「そうそう! 偉いぞ〜」


 頭を撫でてやると母親蜘蛛は身を揺らし、ちょっと嬉しそうにして速度を速めていく。


「おいおい、そんなに張り切らなくても――ッ!」


 巣から出た瞬間、景色が木々から一瞬で地面へと早変わりした。


「おぉあーっ!!」


 勢いよく投げ出された俺だったが、地面に着くよりも先に母親蜘蛛がキャッチしてくれた。


「おぉっ、危なかった――――あっ……」


 ナイスキャッチではあったのだが、如何せんタイミングが悪かった。


 俺の反転した視界には今、武器を構えてこちらを見るウォルターとミュールの姿が映っている。


 向こうからしたら今の俺は魔物に捕まって捕食されようとしている、正しく大ピンチな状態に見えているだろう。


 味方が仲間に襲われていると分かれば取る行動は一つ。ミュールとウォルターは同時にこちら目掛けて飛びかかってきた。


 ここで戦闘になれば、話し合いをするところではない。母親蜘蛛もこちらを敵と見なして攻撃を始めるに違いない。


「ストップ!」


 俺は全力で正面に守風プロテラを展開し、二人の攻撃が母親蜘蛛に届くよりも先に受け止める。


「――ッ! おい、何のつもりだ!」


「この蜘蛛に敵意はない! だから止まれ!」


「はぁ!? 何言って――」


「待て、ウォルター」


 驚き顔と呆れ顔を混ぜた様な表情を浮かべて剣を構えるウォルターをミュールが制する。


 ミュールも決してこちらの話を真に受けている訳ではないだろうが、それでも急いているウォルターを止めるということは少なからず俺の話を聞く気はあるらしい。


 二人が攻撃を止めた事で森林を僅かな静寂が包む。


 本来この静寂に意味はない。何も起こっていないのだから。


 だが、今この場においてはこの静寂こそが最も意味ある事なのだ。


「…………マジか……」


 敵だと思っていた水誑の蜘蛛エントルーペ・アライグリーが隙を晒しても攻撃してこないのを見て、流石に驚きが隠せないらしい。


「な? 言っただろ。大丈夫だって」


「あ、あぁ……みたいだな」


「この後、今回の依頼について話をしたい。ミュールさんも話を聞いてもらえませんか?」


 俺の提案に二人は疑問を抱きつつも首を縦に振る。


「なら、早速話し合いに――」


 移ろうと思うのだが、さっきからやたらと頭が重い。体内にあるもの全てが頭部に集結しているみたいな気分だ。


 それにチクチクしたものが何度も身体に擦り付けられている。嫌な訳ではないが、どうも気になって仕方がない。


「……そろそろ降ろしてくれないか? お願いだから……」


 キャッチして以降ずっと掴みっぱなしにしたまま触覚的な部位で触り続ける母親蜘蛛を説得し、ようやく俺は逆さ吊り状態から開放された。



 

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