怪しい家屋

「――なるほど。討伐するのではなく、水誑の蜘蛛エントルーペ・アライグリーが王都近辺に現れ始めた原因を探りたい……と」


 一連の主張を俺から聞いたミュールは顎に手を添え、眉間に僅かな皺を寄せる。


「その原因について、検討はついているのかい?」


「はい――おそらく、餌となっている動植物の減少だと思います」


 この森で生息する水誑の蜘蛛エントルーペ・アライグリーが態々自分の縄張りを離れ、王都付近まで現れるという事態。


 さっきの大量に生まれた子蜘蛛とそれらを養うには明らかに足りなかった蓄えの事を合わせて考えると、これが一番理由として当て嵌ると俺は思っている。


 前世の頃も環境の変化や人間による森林開拓によって餌を無くした熊や猪が人里に現れ、大きな問題を引き起こしたというニュースを何度か目にしたことがある。今回の事態もそれに類するパターンなのではないか。


「……んで、どうすんだよ。ミュール」

 

「そうだね……。正直、これ程までに成長した水誑の蜘蛛エントルーペ・アライグリーを放置するというのは、後々起こりうる被害を想定すると危険だと言わざるを得ない」


「――けど、現に今私達がこうして襲われていないというのも歴とした事実だからね。私個人としては、彼の判断に委ねてみるのも悪くないと思ってる」


「本当ですか!?」


「あぁ、本当だとも。もし何かあったとしても、私が対処してみせる。だから君は、君のやりたい様にやってみせてくれ」


 ある程度の討論は覚悟していたのだが、まさか賛成してもらえるとは……予想外だった。


「……ただ、今からやろうとしていることは完全に依頼の内容とは離れている。当然報酬は発生しないけど、それでもいいのかい?」


「構いません。今はお金よりも、コイツの方が大切です」


 俺が首筋を撫でると、母親蜘蛛は嬉しそうに前脚でスキンシップを図ってくる。


「ちょっと待てよ。いくら何でも受けた依頼を勝手に蹴って独断行動するのはまずくないか? それにその問題とやらを解決したとしても、水誑の蜘蛛エントルーペ・アライグリーがこのまま大人しくしてるっていう保証もないだろ? それなら、俺は今ここで討伐した方がいいと思う」


 これまで黙って話を聞いていたウォルターが口を開く。その主張は至極まともであり、冒険者としては当然の判断だろう。


 正直今の今までただの腐った中年おじさんという印象しかなかったが、今のウォルターからは「冒険者」という雰囲気が漂ってきた。


「…………ちなみに本音は?」


「報酬がないってことは、ここまで来て虫共と戦ったのも全部タダ働きってことになるだろ? 勘弁してくれよ……。だとしたら俺、今日一日中タダ働きってことになっちまう……」


 ミュールが尋ねるとウォルターは頭を垂れて空の布袋を取り出し、逆さに降ってみせる。


 そっちが本音かよ。それでいいのか冒険者。


 ……いや、そういえばウォルターが朝に受けた依頼分の報酬は俺が総取りしたんだっけか。


「王都に帰ればお前が前から行きたがってた店で好きなだけ奢ってやるから、もう少し頑張ってくれ」


「急にやる気出てきたわ」


『…………本当にそれでいいのか? ウォルター冒険者……』


   * * *


 何はともあれ、これで本格的に水誑の蜘蛛エントルーペ・アライグリーの王都近辺への出現、その原因解明へと舵を切る。


「なら、まずはアルカディ君が言っていた『餌となる動植物の減少』について調べていこうか。問題解決はそれからだね」


 ミュールは顎髭を触って話を促す。


「この森って自然は豊かですけど、普段は動物や植物って多いんですか? 道中ではあまり見かけなかったですけど」


「本来は種類も量も膨大なはず……なんだけど、言われてみれば確かに少なかった気がするな」


「そういえば、最近この森で採って卸されてくる山菜や果物の量が減って値段が上がったって酒場の婆さんがぼやいてたっけか」


 この動植物の減少が最近になって起き始めたのだとしたら、やはり何か直接的な原因がある可能性は高い。


 ただそれが何かを考察出来る程、俺はまだこの土地に詳しくない。ミュールやウォルターに聞いても、特に心当たりはないらしい。


「お前は何か心当たりはないか?」


 早くも暗雲が立ち込める中、俺はずっとスキンシップを続ける母親蜘蛛にも尋ねてみる。


 森の事ならこの中で最も詳しいのは確実だし、もしかしたら何か知っているかもしれない。


「おいおい、いくら何でも聞く相手は選べよ。こいつに分かる訳が――」


 ――ガンッ!


「痛ってぇ!」


 母親蜘蛛は正面にいるウォルターを気にも止めず、俺を抱えたまま何処かへと走り始める。


『まさか、本当に知ってるのか!?』


 そのまま母親蜘蛛に連れられて森の中を奥へ奥へと進んでいく。


 周囲の景色は相変わらず木しかないのだが、先程までは辛うじて残っていた僅かな果物や動物の影が、母親蜘蛛が進むにつれてその姿を消していく。まるで何者かによって、根こそぎ取られてしまったみたいに。


 そうして母親蜘蛛によって連れられた先では、建てられたばかりの如何にも怪しい木造家屋から謎の煙が立ち上っていた。



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