その時は来た
「俺はアルカディ・ロートレック。アルって呼んでくれていい。連れて行くのはまだまだ先になるとは思うけど、約束は必ず守る。だから、それまでよろしく」
「私はルルフィ・ハイルーン。よろしくね!」
俺達がそれぞれの名前を伝えると、女の子は続いて口を開いた。
「エトレです。お二人とも、これからよろしくお願いします」
エトレはその場で一礼をしてみせる。
これが初対面で体当たりをかまし、人の顔面を舐めてきた狼と同一存在なのかと目を疑いそうになる。
「……それじゃあエトレ。一先ず言っておかないといけないことがあるんだ」
「何ですか?」
「お前、当分その姿禁止な」
何故こんなことを言うのか? それは至って単純明快な話だ。
俺達二人分しか、馬車に乗るためのお金を払ってない。
彼女が人であることが露見すれば、間違いなく追加の料金を請求される。
ただでさえお金に余裕がない俺達が追加で彼女の分の移動代を払うのは非常に、非常に苦しい。
彼女にとっては唐突な宣告だろうが、俺達からすればこの判断は必然なのだ。
「と、いう訳だ。人型になってもらって早々悪いが、当分は俺達の飼い犬として振舞ってくれ」
「ご、ごめんね……エトレ」
さっきまでは犬だと思っていたから特に思うことはなかったが、こうして同い年くらいの女の子だと分かった後だとペット扱いするのは流石に抵抗感がある。
だが、仕方ない。金がないんだ。我慢してくれ。俺も我慢する。
「そ、そんなー!?」
エトレの渾身の叫びが、静かな風呂内で幾度も響き渡った。
* * *
そうして話し合いを終え、エトレをルルフィに任せることにした俺は一人となった温泉でじっくりと湯船につかる。
徐々に高まる体温。時間の感覚が熱気に当てられて溶けていく。
身体は完全に緩みきっていたが、思考だけは未だはっきりと保たれていた。
「故郷に連れていく、か」
俺には元々家を豊かにするという目的がある。
それに加えて、この世界のどこかにあるというエトレの故郷を探すというのは俺の想像するよりも多くの困難があるだろう。
しかし、だからといって弱音を吐く訳にはいかない。
誰でもない俺自身がやると決めたのだから。
それに、今の俺には
銘創魔術を使いこなせと言われはしたが、どの様に使うかについては何も言われなかった。
なら、どう使うかは俺の自由。俺自身の望みの為にこの力を使っても文句は無いはずだ。
『……望み』
その時、俺は自分で自分の言葉に疑問を抱いた。
この世界において、俺にとっての一番の望みとは何だろうか。
一度死に、こうして新たな生を受けてまで俺がしたいこととは何だろうか。
前世では俺も俺なりに将来のことであったり、叶えたい夢について考えていた気がする。
だが、今となってはその全てが泡沫。この世界において前世の俺が思い描いたビジョンは何一つ意味を成さない。
「…………」
頭をいくら捻っても答えは思う様に見つからない。
人並みの欲求はあっても、それらは俺自身の望みとはなり得ない。
今こうして魔術学院へ向かっているのも、家を裕福にする為であって……。
「――そうか」
一つ、一番と言える望みがあった。
それはかつての俺が捨てた、いや、捨てきれていなかった夢。
――ヒーローになりたいという、憧れから生まれた夢。
前世では女の子一人救うだけで死んでしまった無力な俺だが、この世界ではルルフィを助けて尚生きている。
両親を助けて、エトレを助けて、そうして色んな人を助けることが出来たなら、俺はかつての自分が憧れた存在に近づけるのではないか?
この世界におけるヒーロー、英雄になれるのではないか?
我ながら馬鹿げた、子供じみた考えだと理解はしている。他人に聞かせたら腹を抱えて笑われること間違いない。
けど、人の心は正直なものだ。
「――英雄、なってみるか!」
たった一筋の光であっても、それが一度あることを知ればもうこの胸の高鳴りを抑えることは出来ないのだ。
頭の中をすっきりさせ、若干逆上せつつも風呂から上がる。
二人は先に部屋へと戻っていた様で、二つあるベッドの内の片方で仲良く寝息を立てていた。
俺もベッドに入り、明日に備えて眠りにつく。
これからこの三人での旅が始まると思うと、少し目が覚めたような気がした。
* * *
次の日は早朝から宿を発ち、ひたすら王都を目指した。
英雄を目指すなら、何はともあれまずは力をつけなければならない。その為には一刻も早く魔術学院へと向かい、合格し、学びを得る必要がある。
久方ぶりの温泉で体力も気力もバッチリ回復したし、ここからは休憩の回数を減らしてのラストスパートだ。
外の景色も徐々に人気を感じさせるようになり、いよいよこの馬車での旅も終わりに近づいている。
すれ違う人の中には剣や槍を携えて意気揚々と歩いていく冒険者のパーティらしき姿も見られ、見ていて退屈することはなかった。
ルルフィの方はというと、狼状態のエトレとこれまで以上に戯れている。
ルルフィが首筋や毛を撫でてやる度にエトレは膝元で嬉しそうに伸びをするのだ。
彼女の正体を知った今となっては、俺はあのフサフサの毛並みを気軽に触わることが出来ない。
欲を言えばもうちょっとだけ堪能したかったのだが……。
「おっ。お客さん、見えて来たよ」
御者のその言葉で、俺達は遂にその時が来たのだと確信した。
俺、ルルフィ、エトレの三人は揃って馬車の正面へと体を乗り出す。
「あれが、王都……」
自然豊かな草原に広がる地平線の先には、白金に彩られた巨大な城壁が天高く聳え立っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます