湯煙イリュージョン

 宿主の案内を受け、俺達は部屋へと案内された。


 中は簡素なベッドが二つと小さな机があるだけ。前世で言うとビジネスホテルなどのイメージに近い内装となっている。


 部屋割りは当然、御者一人と俺達二人(プラス犬)で分けることになった。


「よし、じゃあ早速風呂に行くとするか!」

 

 俺の目の前に今、十年振りの風呂がある。そう考えるだけで俺は胸の高まりを抑えきれなかった。


「私は馬の様子を見てきますので、お二人は先に入っていてください」

 

「分かりました。行こうぜ、ルルフィ!」


「う、うん!」

 

 荷物を置き、犬を脇に抱えていざ極楽へ!


 風呂の入口は男女でしっかり分かれており、俺は男湯、ルルフィは女湯へとそれぞれ向かう。

 

 聞けばルルフィも風呂は初めての体験だという。なので、簡単な知識と入る時のマナー(前世基準)を軽く説明しておいた。


 これで安心して俺も久方ぶりの風呂を堪能できる。


 しかも他に入る客がいない、言わば貸し切り状態だ。こんな贅沢はそうそうあるまい!


 脱衣所で服を脱ぎ、動き回る犬を抱えて扉を開けると中に溜まった湯気が一気に押し寄せてくる。


 そして息苦しさを越えた先に見えたのは、まさしく銭湯の景色だった。


「懐かしいなぁ、この雰囲気」


 近所にあったスーパー銭湯もこんな感じの内装だった。やはり風呂というのはどの世界でも変わらないのだろうか。


「まぁいいや。とりあえず身体を……っと」

 

 入る前に受け取った布を片手に周囲を見渡すが、シャンプーやリンス、ボディソープが見当たらない。


 もしかすると、この世界にはシャンプーやリンスが存在しないのか? それとも値が張っていて、庶民の間ではあまり流通していないのだろうか?


『まぁ、どちらにせよ俺には関係ないか』


 そう。ないなら、自分で作ればいいだけの話なのだ!


 ここなら人の目は一切ないから、銘創魔術を使っても怪しまれることはない。


 俺はせっせとシャンプーとリンス、ボディソープを作り出す。


 こういう時、銘創魔術と俺の相性は最高であることをつくづく実感する。使い道は少し地味な気もするが……。


「よし、まずはお前からだ」


 俺は風呂の傍に置いてあった桶で湯を掬い、犬の身体にかける。


 犬は体についた水気を払おうと体を震わせる。その間に俺はさっき作ったシャンプーを出して、手に馴染ませておく。


「今綺麗にしてやるからな」


 俺は首を傾げる犬をこちらに寄せ、優しくシャンプーを塗り始める。


 ワッ! ワンワン!


 犬はさっきよりも明らかに落ち着きがなくなっている。初めてのシャンプーに驚いているのだろうか。

 

「しばらくじっとしておいてくれよ~。すぐ終わるからな~」


 まずは背中から塗り始め、首、手足と次々に塗り進めていく。


 どうやらくすぐったいらしく、犬の抵抗は益々強さを増していく。

 

「こらっ! じっとしてろって!」


 あと一箇所で終わりなんだ。もうちょっとだけ辛抱してくれ。


 犬の抵抗を受け流しながら、俺は最後に残った胸へと手を伸ばした。


 その瞬間。


 ――ワオォォォン!!!


 周囲が、より一層の熱を持った。


 湯気よりも、風呂の湯よりも強い熱気に当てられ、俺は咄嗟に顔を覆う。


 何が起きたのか。


 熱気の元凶を探ろうと、俺は徐々に視界を広げていく。


 足元には風呂の床。遠くには浴槽と、そこに張られた温泉が見える。


 それはさっきと変わらない。


 問題は湯面に反射して見える


 そこには素っ裸の俺といるはずのない誰かの像がはっきりと映り、ゆらゆらと揺れていた。

 

 ――え?


 驚きのあまり状況が飲み込めず、俺は覆っていた腕を一気に外して顔を上げる。


 まず最初に飛び込んできたのは紅蓮の様に赤い髪の毛と、そこから生えている獣のような耳。


 次に俺よりも一回り小さい、泡に包まれた体躯。

 

 そして腰の後ろからは、何やら尻尾のようなものがフサフサと靡いていた。


 ――!!!!!


 蒼玉のような瞳は刃物の様に尖り切っており、涙を添えながら俺を睨みつけている。


 薄板のような胸と、局部をその手で覆って。


   * * *

 

 「「きゃあああああ!!!」」


 俺と目の前の女の子は同時に甲高い悲鳴を上げた。


『誰ぇ!? いつの間に入って来たんだ!? てか、ここ男湯のはずでは!?』


 頭の中がこんがらがり、まともな思考が出来なくなった俺は本能的に回れ右をした。


『――あれっ? そう言えば犬は? さっきまで側にいたはずなのに』


 目の前の現状から一度目を逸らして犬のことを考えることにより、却って思考が正常に働き始める。

 

 さっきまでは風呂に誰もいなかったし、風呂の扉を開け閉めした様子もなかった。いたのは俺と犬だけだ。


 そして犬を洗っていたら急に熱気が目の前に広がって、気が付いたら彼女がで立っていた。


『……まさか』

 

 よくよく思い出してみると髪色は犬の毛色にそっくりだし、明らかに動物っぽい耳と尻尾も生えていた。


 一度そうだと思い始めると、頭の中で次々と証拠が挙がっていく。


「お前、犬か!?」


 そう口に出して振り返ると、彼女の睨み顔がさっきより数段険しくなる。

 

「犬じゃないです! 狼です! お・お・か・み!」


「んなことどうでもいいだろ! てか、急に何するんだよ! びっくりしただろ!」


「それはこっちの台詞です! いきなり体中をベタベタと……一体どういうつもりですか!?」


 女の子は胸を隠しつつ、体についたシャンプーを手でこする。


「あれはただシャンプーを塗ってただけ! そもそもこっちは犬として接してただけであって」


「だから狼だって何度言ったら分かるんですか!?」


「今その話は重要じゃねぇよ!」


 白熱する言い争い。互いが互いに感情をぶつけ合うせいで話が一切進まない。


『クソッ、情報量が多すぎる……。何から解決したらいいんだ?』

 

 必死に頭を悩ませていると、何やら脱衣所の方から音が聞こえる。


 というか、近づいてきている。


「アル、どうしたの!?」


 風呂の扉を勢いよく開けて、見慣れた幼馴染が見慣れない恰好でやって来た。


「「きゃあああああ!!!」」


 今度は俺とルルフィ、二人の悲鳴が綺麗に重なった。


 

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