不安と思わぬサプライズ
一悶着はあったものの、あれ以降旅は特にアクシデントもなく平和に進んでいる。
最初は馬車のスローペースに多少の苛立ちこそあったが、こうして緩やかに進む旅というのも趣があっていいものだ。
と、思っていた時期が俺にもありました。
もう三、四時間は過ぎただろうか。いや、もう時間の感覚などとっくの昔に失っている。
一向に変わり映えのしない景色。何もすることがない退屈。
スマホもテレビも勿論ないので、暇潰しなんて一切できない。
今までは暇さえあれば森に入って訓練をしていたので退屈に困ることもなかったが、こんな狭い馬車の中では訓練なんて到底出来ない。
「あの~、すみません」
俺はたまらず御者の人に声を掛けた。
「どうかしましたか?」
「目的地まで、あとどれくらいかかりますか?」
「そうですねぇ。この調子だと、四日もあれば着くでしょうか」
えっ、四日!? そんなにかかるの!?
「この子たちも休ませてあげないといけないんでねぇ。もう暫く辛抱してください。出来るだけ急ぎますんで」
御者の目線の先では、馬達が休むことなくせっせと歩いている。
馬達の必死の働きのおかげで、俺達には疲れがほとんどない。
確かにこれだけ楽に移動出来るのであれば、こちらも多少の我慢は必要なのかもしれない。
「……はい、分かりました」
俺は大人しく馬車の中へと引き返した。
『そういえば、ルルフィは退屈してないのか?』
ふと気になって様子を見てみると、本人は外の景色に目を向けていた。
俺もさっきまでそうして時間を潰していたが、既にギブアップを迎えたので止めた。
「さっきから何してるんだ?」
何か良い退屈しのぎを知っているのかと思って声を掛けてみると、ルルフィの顔は微かにだが歪んでいた。
「試験のことを考えてたんだ。私なんかが試験を通過出来るのかな……って」
ルルフィはいつもの明るさを陰らせ、腕の中にいる犬をひたすらに撫でている。
「何弱気になってるんだよ。ルルフィは今まで必死に努力して、ちゃんと力をつけてきたじゃねぇか」
「最初は持てなかったその盾も、今は十分持てるようになったし」
俺は頭に浮かんだ思考や感情を急ピッチで言語化してルルフィにぶつける。
「別に特別なことはしなくていいんだ。今出せる実力をそのまま出せばいい」
「最後に頼れるのは運でも奇跡でもない。日々の積み重ねと努力だけなんだからさ」
上から目線で何を言っているんだと思いもするが、今のルルフィには何かしらの「心の支え」が必要だ。
結局のところ、自分の実力や努力に疑問を抱いている状態でベストなパフォーマンスなんて出せる訳がない。
自分の実力も十分に発揮出来ずに落ちるなんて、それこそ最悪の結末だ。もし仮に落ちたとしても、全力を出して落ちた方がいいに決まってる。
だからどんな口八丁でもいい。何か、ルルフィの心の支えになるような言葉を。
「それに、折角二人で今まで頑張って来たんだ。学院に行くとしても、俺はルルフィと一緒がいい――」
「――えっ!?」
「ん?」
その瞬間、ルルフィの目の色が変わった。
「わ、分かった! 私、頑張る!」
ルルフィは先ほどとは打って変わり、明らかにやる気を漲らせている。
「あ、あぁ」
やる気になってくれたのなら良かった、のだが。
『俺、何か今とんでもない発言をしてしまったような気が……』
* * *
「――俺はルルフィと一緒がいい」
そう聞こえた瞬間、私はつい声を漏らしてしまった。
まさか、アルからそんな言葉が聞けるなんて。
「わ、分かった! 私、頑張る!」
友達としてなのか、それとも別の意図があったのかは分からない。
だけど、私の心は正直だ。
なにせ、彼の言葉一つでこんなにも激しく鼓動しているのだから。
* * *
その後は外の景色に再び目を向けたり、犬を撫で回したり、持ち物整理をするなどしてどうにかその日の退屈を消化した。
持ち物整理と言っても最低限の食糧と袋、それに神様から常に持っていろと言われている銅像くらいしかないから、ほとんど意味なんてないのだが。
何はともあれ、旅の一日目はこうして終わりを告げた。
そして二日目。
馬車の中で寝泊まりをしたせいか寝心地は悪かったし、何より体のあちこちが痛かった。
ということで、リフレッシュも兼ねて朝はルルフィといつもの勝負をすることにした。
結果は俺の勝ち。火力のゴリ押しでルルフィの体勢を崩せたのが勝因だった。
いつもなら搦手を用いて有利を作るところだが、今日はその必要はなかった。
そうして体をほぐした後は簡単な腹拵えをし、ひたすら馬車に揺られて王都を目指した。
時折休憩を挟みながらの移動なので、一気に前進とはいかない。
だが外の景色が僅かだが変化していく様は、確かな旅の経過を俺達に知らせてくれた。
俺もこの状況に慣れ始めたのか、二日目の終わりは思っていたよりも早く訪れた。
外が茜色に染まる頃、この旅始まって以来初となる町が俺たちの前に姿を現した。
俺らが住んでいた地域とはまるで異なる空気に当てられ、久々の人気の多さに目が回る。
「お客さん、今日はここで泊まっていきましょう」
馬車と馬を預け、御者に案内されたのはそこらより一回り大きな一軒の家だった。
人の出入りが激しく、中では多くの話し声が入り交じっている。
「ここは私の友人が主をしている宿屋でしてね。中々に居心地がいいので、よく使わせてもらってるんですよ」
へぇと相槌を返しつつ、俺とルルフィは御者の後ろをついて奥へと進んでいく。
奥にはカウンターが一つ置かれていて、中で宿主らしき男性が忙しなく客の対応に追われている。
「おぉ、お前か。よく来たな」
こちらに気づいたのか、宿主は御者に笑顔を向ける。
「また来させてもらったよ。部屋はまだ空いてるか?」
宿主は手に持っていた紙束をペラペラと捲る。
「あと二部屋だな」
「なら二部屋とも貸してくれ。一日でいい」
「あいよ」
宿主は慣れた手つきで一番上の紙に筆を走らせる。
「そういや、後ろの二人は連れか?」
「あぁ、うちのお客さんでね。王都まで送ってる最中さ」
「へぇ〜。まだ若いのに、親元離れて独り立ちとは立派じゃねぇか。大方、学院への入学試験でも受けに行くんだろ?」
まだ何も言っていないのに、宿主によって俺達の目的は見事に的中させられた。
「なんだ? 図星だったか?」
顔に出ていたのか、宿主はにやりと笑みを浮かべる。
「なら、宿代はまけておいてやるよ。うちの風呂も好きに入っていいから、精々頑張れよ」
「おっ。良かったねぇ、お客さん」
思いもしなかった粋な計らいを受け、俺の中では驚きと喜びが半々になっていた。
この先どのタイミングでお金が必要になるか分からない以上、節約出来るに越したことはない。宿代が一日分浮くだけでも非常に有難い。
一方で、宿代の話と同じくらい気になる単語が俺の耳には聞こえてきた。
「この宿、お風呂があるんですか!?」
そう、お風呂。日本人にとっては切っても切れない程、暮らしに密着している癒しだ。
まさかこの世界でも「風呂」という単語をこうして聞くことが出来るとは。
「おっ! なんだ兄ちゃん、風呂好きなのか?」
宿主は意外そうな表情を浮かべて俺のリアクションに食いついてくる。
「えっと……前に入ったことがあって、とても気持ち良かったので今でも覚えてます」
この世界の人々は基本的に入浴というものをしない。大体は水浴びで済ませるし、水属性の魔術を使える人はそれを応用して清潔を確保するようだ。
「そうか、俺も風呂が好きでね。わざわざここに宿を構えてるのも温泉が湧いてるからなのさ」
「そうなんですか……」
俺も風呂好き故、この世界に来て一度、どうにか風呂に入れないものかと色々試行錯誤した時期があった。
両親に知られる訳にはいかなかったので、場所は当然森の中の訓練場で行っていた。
浴槽を作り、そこに温水を注ぎ、下に火をつけて温度を保つ。
最後は一応形にはなったものの、再現するのにこれがかなりの手間と魔力を消費するのだ。
これを毎日やるのは正直厳しいということで、半ば風呂に入ることは諦めていた。
「風呂は基本的にギルドに併設されている場合がほとんどですからねぇ。こうして個人で風呂を所有しているのは、こいつみたいな物好きくらいですよ」
「うるせぇよ。ほれっ、部屋の鍵だ」
そうして御者と俺、それぞれに一つずつ鍵が手渡された。
「まだまだ王都まで距離があるからな。旅の疲れはしっかり癒していけ」
「はいはい。それじゃお客さん、行きましょうか」
「あっ! ちょっと待ってください!」
一つ、聞いておきたいことがあった。
「こいつも、一緒に風呂に入れていいですか?」
俺はルルフィの足元でトタトタと歩き回っている犬を捕まえ、宿主に見せる。
前世の世界では温泉にペットを連れていくのはタブーだったが、駄目元でお願いしてみる。
こいつも色んな所を歩き回って汚れているはずだ。一度、徹底的に洗ってやらねば気が済まない。
「……そうだな。この後は風呂に入る予定の客もいないし、まぁいいだろう。その代わり、ちゃんと洗ってから風呂に入れるんだぞ」
「分かりました! ありがとうございます!」
くっくっく。見てろよ犬ころめ、今にその身体を真っ新綺麗にしてやるからな。
そうして笑みを溢している俺の顔を、犬はその小さな瞳で眺めていた。
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