二章 入学編

新たな旅の仲間、現る

 陽は幾度か廻り、来る朝。


「それでは、これから王都に向かいます。準備はよろしいですか?」


「「はい!」」


 俺とルルフィは振り返る御者にそう伝える。

 

 それを受けて、今度は御者が持っていた手綱を振るって馬に合図を送る。

 

 手綱から流れる振動に刺激され、馬達はゆっくりと歩き出した。

 

 速度だけで言えば車とかの方が圧倒的に効率がいいのだが、残念ながらこの世界の文明はそこまで高度に発達していない。

 

 俺とルルフィ、御者の人、それに荷物を載せた馬車を引いているのだ。おそらく時速五、六キロメートルがいいところだろう。

 

「これは、長い旅になりそうだな……」


 ほんの微かに動いてる雲を見つめてながら、俺はそう思った。

 

 ……まぁ、正直なことを言うと心の中ではわくわくを抑えきれない自分がいた。

 

 馬車になんて今まで乗ったことがなかったし、そもそもこんなに至近距離で馬を見たこともない。


「馬って、意外と筋肉質なんだな……!」


 古来から荷物の牽引に使われるくらいだから当然と言えば当然なのだが、こうして実物を間近で見ると改めて理解することもあるものだ。


 ブルッ、ブルルッ!


 目の前の馬達は従順に御者の手綱通りに動き、俺達を運んでいく。


 ふと外に目を遣ると、十年間過ごした景色が遠ざかっていくのが見えた。


 少しばかりの寂しさが胸の中で渦巻くのを感じる。


「英雄になったら、帰って来るからな」


 育ての景色に別れを告げていると、道から少し離れた茂みに何やら動く影を捉えた。


「何だ?」


 その影は草木をかき分け、明らかにこちらに向かってきている。目が離せず、しばらくの間様子を見ていると影は馬車の後ろまで近づいてきた。


『もしかして魔物か?』


 俺達の旅は始まったばかりなのだ。いきなり魔物に邪魔されてはたまったものではないので、念のため迎撃用に初級火属性魔術「フール」を発動しておく。


 詠唱によって、俺の右手からちょうど掌サイズの火球が生み出される。


 前に化物が出してきたものと比べると些か小さいように思えるが、下手に大技をぶっ放して周辺一帯を火の海にするわけにもいかない。


 あくまで迎撃用なのだ。魔物が現れなかった時、制御しづらい大技よりもこちらの方が色々と安全だろう。


 ガサガサッ!!!


 そうこう考えていると、茂みの中が騒がしくなってきた。


『普通の動物であれば火は避けるはず。……ってことは、やっぱり魔物か!?』


 ――ワフッ!


 目を凝らした瞬間、俺の方へ目掛けて何かが突っ込んできた。


「どわぁ!?」


 かなりの衝撃と揺れ動く不安定な足場のせいで、俺は盛大に後ろへと転んだ。


 硬い木の板に頭を打ち付け、思考が痛覚へと引っ張られる。


「いっ……つぅ」


「アル、どうしたの!?」


 天を仰ぐ視界の外からルルフィの声が聞こえてくる。


 一体、何が起こって…………ん?


 なんだろう、この感覚。


 打った頭ではない。右手の掌に謎の違和感を感じる。


 こそばゆくて、それでいてベトベトしていて、時々温かい。

  

「うわぁ……!」


 何やらルルフィが高揚したような声を出している。

 

 何かと思って体を起こしてみたら、疑問も謎も同時に解決した。


「……犬?」


 そこには俺の右手をひたすらに舐め回す犬らしき姿があった。


 困惑する俺。一方のルルフィは目を輝かせている。


「か……かわいい~!!!」


 興奮するルルフィによって抱き抱えられる犬。


 意外と利口なのか、特に暴れる様子もなく犬はされるがままの状態で腕の中に納まっている。


「ビックリしたぁ。……てか、何だってこいつは飛び込んできたんだ? 態々魔術まで構えてたのに」


 そう言えば、発動しておいたフールはどこに行った? 当然の出来事過ぎて碌に制御出来てなかったと思うんだが。


 辺りを見回しても着弾した跡はない。なら、誤爆する前にキャンセルできたのだろうか。


 一応赤ん坊の頃の失敗を活かして、緊急時の魔術キャンセルは練習しておいた。きっとその時の積み重ねが活きたのだろう。


「何か大きな音がしたけど、大丈夫かいお客さん?」


 御者の人もこちらの様子が気になったのか、頭だけをこちらへ向けてくる。


「すみません、体勢を崩して頭を打っただけなので気にしないでください」


「そうですか。この先もかなり揺れると思うので、気を付けてくださいね」


 大事がないと分かった御者の人はすぐに運転へと注意を切り替える。


「……さて、問題はこいつだが」


 何で俺にタックルを仕掛けて来たのか、この際それは置いておこう。


 こいつは明らかに野生の個体だ。首輪はついてないし、周囲に飼い主らしき姿もない。で、あれば。


「ルルフィ、そいつをこっちに」

 

 ルルフィから犬を受け取った俺は、出来るだけ優しく馬車の外へと……。


 ワンッ! ワンワン!!!


 犬は何かを察したのか、さっきまでの利口さを捨てて急に暴れ始めた。


「こらっ、大人しくしろ! 降ろせないだろ!」


 犬の必死な抵抗に苦戦していると、ルルフィが俺の手から犬を取り上げる。


 そのまま馬車の奥の方へ移動すると、犬は暴れるのを止め、再び利口モードへと移行した。


「……やっぱり。この子、アルと一緒にいたいだけなんじゃないかな?」


「え?」


 試してみろと言わんばかりに、ルルフィは再び俺に犬を持たせてくる。


 確かに、普通にしてる分には特に暴れる様子はない。でも外に出そうとすると……。


 ワンッ! ワンワン!!!


 明らかな抵抗を見せる。


「何で?」


 俺は別に動物に好かれ易いという訳ではない。


 そもそも前世の頃の母親は犬アレルギーだったし、父親は動物を飼うこと自体に否定的なタイプだった。


 無責任に命を扱うべきじゃないと、殺処分されるペットのニュースを見てよく呟いていた。


 そして父親の思想を受け継いだのか、俺もペットを飼いたいと思ったことはない。


 飼った後の負担や責任を考えると、いつも自然とやめておいた方がいいという結論に行き着くのだ。


 だから、こいつも元の自然に返すべきだと思ったのだが。


「こいつが離れてくれないことにはなぁ」


 話の中心にいる当の犬は、こうして俺の腕の中で完全にくつろいでいる。


「折角なんだし、この子も一緒に連れていこうよ」


「うーん……」


「私も一緒に飼うの手伝うから、ね?」


「……うーん…………」


 ルルフィの視線が俺の胸、いやおそらく抱いている犬を捉えて離さない。


「――分かった。連れていくよ」


 悩みに悩んだが、結局は俺の方が折れてしまった。


「やったぁ!」


 嬉しそうな表情を隠さないルルフィ。


「連れていくからにはちゃんと面倒は見る。お前もそれでいいだろ!」


 呑気にくつろぐ犬を抱き起し、顔の前まで持ち上げる。


 ワフッ!


 犬は上機嫌に鳴いた後、俺の顔面を舐めてきた。強い獣臭が鼻の奥へと突き刺さる。


「ヴォエッ!」


『こいつ……!』


 悪気があってやっているのかと思えるような悪顔を浮かべて、犬はルルフィの腕の中へと潜っていく。


 あの時キャンセルした魔術をぶつけておけばよかったと、俺は心の底からそう思った。



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