一章 転生編

見慣れない天井と慣れない身体

 朦朧とした意識の中、目を開けるとエルヴィラの姿もあの奇妙な真っ白い空間もなく、代わりに見えるのは黒く煤けた木造の天井だった。


 地元のオンボロ小学校を思い出す景色だが、俺が小学生の時に見た天井には蛍光灯やらなんやらがくっついてた。けど、今見えているのは何もないただの天井だ。


 今時ここまで殺風景な天井も珍しいと思い、他に何かないかと首を振る。


 首を振る、首を…………。

 

 ん?

 

 おかしい、首が動かない。


 未だにさっきの世界に囚われているのかと思ったが、目は動くし声だって聞こえる。ならおそらくは違うだろう。

 

 ん? 声?

 

「××××××――×××××××!」


「〇〇――〇〇〇〇……」

 

 どこからか男女の声が聞こえる。が、何を言ってるかさっぱり分からない。


 まぁ日本語と少しばかりの英語しか理解できない自分としては、日本から少しでも離れただけでお手上げなのだが。

 

「〇〇、〇〇〇〇。〇〇〇〇――〇〇〇〇〇〇?」


「××、××――××××!」

 

 何らかの話のやり取りをしたと思ったら赤髪の男性が急に俺の視界に入って来た。


 体つきはしっかりしていてガッチリとしているが、スラっとした優美さも持ち合わせている。


 そんなアスリート風の男性は鍛えられた両腕で俺の後頭部とお尻に手を入れ、赤子の様に軽々と持ち上げてきた。いくら俺の身体が軽い方だとしても、こうも楽々としている様子を見ると流石の筋肉だと感服せざるを得ない。

 

「××! ×××××××!」


 揺れ動く視界に映る景色を必死に追っていると、正面に女性の顔が現れる。


 エメラルドグリーンの髪がとても幻想的で、まるで御伽噺に出てくる妖精のような風貌だ。


 それに、彼女の顔を見ているとどこか親しみのようなものを感じる。ずっと、側にいたような親近感を。

 

「〇〇――〇〇〇〇、〇〇〇〇〇〇〇」

 

 目の前の女性がこちらに何か語りかけている。意味は通じていないが話しかけられた以上、何か返事をするべきだろう。


 彼らの様子からして友好的なのは明らかだし、変に空気を悪くしたくはない。


 喉を開いてお腹の底から元気よく挨拶するべし。部活の顧問から何百回と聞かされた言葉を思い出して、久しぶりとも思える発声を行う。


「――あー、あぅ」


「「〇〇(××)!」」

 

 何とも情けない声が自分の喉から飛び出た。が、それを待ってましたと目の前の男女は喜び合っている。


 意味の分からない光景と状況に、俺はただ「あぁ?」と口からこぼすしかなかった。

 

    * * *


 あれから半年。自分が赤ん坊に変貌していると気づくまでにそう時間はかからなかった。最初こそ取り乱したものの、今はこの生活に順応しつつある。


 だが、この身体はあまりにも不便だ。不便すぎる。


 赤ん坊だから当然手足はまともに動かせないし、意思疎通も「泣く」を通じてようやく汲み取ってもらえるレベルだ。


 まさか高校生にもなって人前で赤ちゃんプレイを強要される日が来ようとは、前世の自分は夢にも思わなかっただろう。正直かなり恥ずかしい。


 まぁそれはそれとして、時間が経つにつれて段々と出来ることが増えていくのは純粋に楽しい。RPGで自前のキャラクターが成長して、身体の機能が次々に解放されていくのと似たような充実感だ。

 

『けど、赤ん坊にするなら最初からそう言えよな……』


 不親切な神様へ思うところがあるものの、こうして無事に得た新たな生を実感しつつ、今日も俺はハイハイをするのである。


 赤ん坊になったことで前世における約九十九パーセントの能力を失った俺が出来ることといえば、ひたすら見る・聞くことだけだった。おかげで自分含めた周囲の状況や彼らが喋っている言語について、何となくだが分かってきた。


 まず今の俺はこの家で生まれた赤ん坊で、名前を「アルカディ」というらしい。とても厨二心を擽られるネーミングだが、これを自分の名前として呼ばれるのはまだ慣れない。 

 

「行ってくるよ、アウレラ」


「行ってらっしゃい、あなた」


 見上げた先では年若き男女が熱烈なハグを行っている。


 この二人が今の俺の両親。父親の名前はハイリス 、母親の方はアウレラという。


「ほら、アルも一緒にお父さんを見送りましょう」


 アウレラに抱っこされ、二人で仕事に向かう父親を見送る。


 基本的にはハイリスが外に出て仕事をし、アウレラが家で俺を育てるといった分担で生活をしているようだ。実際、彼が貨幣らしきものが入った袋を持って帰ってくるのを何度か見ている。


 だが俺にはハイリスが何の仕事をして日銭を稼いでくるのか、皆目見当がついていない。


 なぜなら、仕事で家を立つ彼の腰回りにはいつも重々しい一本の剣が備えられているからだ。


 これを見て俺は確信した。ここは日本ではない。というか、現代とは思えない。


 外を見てもほとんどが畑で、所々に家屋があるだけの殺風景な景色。服装も化学繊維を使っているようなものはなく、麻や生糸で作られたものばかりだ。到底科学の発展した現代人類の暮らしとは思えない。


 それに心做しか家が古臭い。他の家もそうだが一般家庭だった俺の家と比較しても数段見劣りするレベルの代物だ。電気もガスもないとなっては、お世辞でも快適とは言い難い。


「じゃあお母さんもお仕事してるから、アルもおとなしくしててね」

 

 そう言うとアウレラは俺をベッドに寝かせ、いつも使っている作業机に向かおうとする。


 やめてくれ、正直ベッドの上が一番キツいんだ。


 することはないし柵で囲まれているから歩き回ることもできない。普通の赤ん坊ならそれでもいいのだろうが、俺にとっては監獄も同然だ。


「あー! あー!」


「……やっぱり、ベッドは嫌なの?」


 今できる最大限の抵抗(駄々こね)を見せ、どうにか俺の意思を伝達する。


「……分かったわ」


 俺の思いが伝わったらしく、アウレラは俺を抱きかかえたまま仕事机へと向かい、傍に置いてある椅子を一つ持ってきてそこに座らせた。


 なんとか投獄だけは避けることは出来て一安心する俺の側で、アウレラは黙々と作業を始めている。


 見たところ何か文字を紙に書き記している様だが、何を書いてあるかまでは分からない。


 書いて、丸めて、紐で縛る。これを一セットにして何回も何回も同じことを繰り返している。まるで内職みたいだ。


 慣れた手つきで次々と巻物の山を作っていくアウレラを、俺はおとなしく観察していた。


 二十分程経った頃、ようやく規定量の作業を終えたのかアウレラは筆を机に置いた。


 これで仕事は終了なのかと思っていると、アウレラは椅子から立ち上がって作り上げた巻物の一つを手に取った。

 

 「――ヒーラ」

 

 その一言で、アウレラの手と握られた巻物が淡い緑色に光り出す。その光は触れた者全てを優しく包み込んでくれそうな温かさを帯びていて、思わず手が伸びる。


 ずるっ。

 

 前世との距離感の違いか、子どもながらの好奇心か。


 手を伸ばしすぎた結果、光に触れる前に俺の身体は椅子から落っこちた。それも頭から。


 生後半年の赤ん坊にとってそれは高さ三百メートルからの自由落下と同義である。


「アル!」

 

 咄嗟に手を伸ばすが、こんな短い腕では碌に受け身も取れないことは分かりきっている。


 徐々に迫る木製の床。巨大化する木目に吸い込まれそうになりながら、火事場の馬鹿力で思考を加速させる。


 母親アウレラに助けてもらう、のは無理だ。間に合いそうにない。


 なら体勢を変えて頭だけでも守ろうと思ったが、乳児の場合体重の約三十パーセントは頭の重さによるものだ。バランスを崩して頭から落ちている以上、そこから体勢を整えるのは不可能に近い。


『駄目だ、落ちる……』 


 現実的な打開策が思いつかないまま、俺の身体は重量に則って地面へと向かう。


『こうなったらでも何でもいい。誰かこの勢いを殺してくれ――!』



 

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