第45話 ライブ前

 スマホのアラームが鳴る前に私はアラーム設定を消去した。

 早起きした……ではない。

 眠れなかったのだ。


 昨夜は寝ようと目を瞑っても全然眠気が訪れない。

 寝てもすぐに目が覚めてしまう。


 私はベッドから出て、大きく伸びをする。そして深呼吸。


(今日はライブ! しっかりしよう!)


 私は部屋を出て、階段を下りて、1階のリビングに向かう。


「あれ? 早いじゃない。時間はまだでしょ?」


 リビングで朝食の準備をしている母に驚かれる。


「あっ、分かった。どうせ眠れなかったんでしょ。あんたって、いつもこういう時は眠れないよね。大学受験の時も」

「もう、朝からうるさい」


 私は逃げるように洗面所に向かい、顔を洗う。


 顔を洗った私は自分の顔を鏡で確認する。

 クマはない。

 肌も荒れてない。


 いや、見た目はどうでもいいかな?

 どうせアバターで隠すんだし。


 大切なのは声。

 喉も鼻腔共に問題はない。


 そこへ妹の佳奈が寝ぼけまなこで洗面所にやって来た。


「あんた、顔すごいわよ」

「うぅ〜」


 呻き声の返事をされた。

 私は佳奈に洗面所を譲り、リビングに戻る。

 ダイニングテーブルに朝食が並べられていた。


「今日は豪勢だね」

「そりゃあ、今日はライブなんだか。気合いを入れないとね」


 母は拳を握る。

 なぜ母が気合いを入れているのか。

 まあ、いいけど。


「白湯にしようか迷ったんだけど、コーンポタージュでいいよね? それとも後で白湯を飲む?」

「白湯? なんで?」

「歌う前に白湯を飲むっていうでしょ?」

「知らないの?」

「初耳」

「嘘でしょ?」


 母が信じられないという顔をする。


「それじゃあ、歌う前に唇をこう……bubbbbと震えさせたりとか、口の中で舌を……rarrrrと巻き舌にしたりしないの?」

「え、しない。何その2つ。初めて聞いた」


 そこへ佳奈が洗面所から戻って来たので母が、


「ねえ、歌う前に唇を震えさせたりとか巻き舌をしたりするよね?」

「う〜ん。唇はするけど巻き舌はしないんじゃない? 知らんけど」


 まだ眠気が残っているのか、佳奈はどうでもいいみたいな態度を取る。


「ええ? そうなの? ストレッチとかしないの?」

「ダンスはするよ。歌は……『あー』って発音して、喉を鳴らすかな」


 そう言って佳奈は食パンにバターを塗る。


「あんた、寝癖すごいけど大丈夫なの?」

「うん。大丈夫」

「……めっちゃ髪が跳ねてるよ」

「もう! 朝から皆うるさい」


 佳奈は心底鬱陶しいような顔をする。


「今日はライブよ」

「開場は11:30で開演は12:30。私達はスタジオ集合だから。まだ時間に余裕はあるでしょ」

「それもそうだけど」

「それに気張ってたら、出来るものも出来なくなるでしょ」


  ◯


 私と佳奈はスタジオが違うので、家を出る時間はバラバラで、スタジオから遠い私が先に家を出る。


「遅刻しては駄目だからね」

「しないよ。お姉ちゃんこそ道に迷ったりしないでね」

「しない」


 私はリビングを出て、玄関へ向かう。


 私が靴を履き、外に出ようとした時に母から、「忘れ物ない?」と聞かれる。


「ないよ」

「財布は? スマホは? ハンカチ、ティッシュは?」

「持ってる」


 一つ一つ確認して答える。


「気をつけね」

「分かった。行ってくる」


 ドアを開けて私は外に出る。

 外はほんの少しの雲が覆っている曇り空だった。


 なんか不吉だな。

 今日くらい晴天でいてよ。


 私は玄関に戻り、折り畳み傘をバッグに入れる。


「何? 忘れ物?」


 リビングに向かおうとした母が玄関に戻ってきた。


「ううん。ちょっと雨降りそうかも」

「テレビで曇りだけって言ってたけど」

「念のために折り畳み傘を持って行く。佳奈にも言っといて」

「分かった」


 私は外に出て、駅へと向かう。


  ◯


「おはようございます」


 控室に入ると夏希さんが先にられていた。

 一応、時間に余裕をと早めに来ていたのだけど、それより先に来られているとは。


「お早いですね」

「私はこれだしね」


 と夏希さんは言い、車椅子を触る。


「それに姉が向こうのスタジオに行かないといけないし」

「そう……ですね」

「今日はえらく身だしなみをちゃんとしているわね」

「母がこういう日は気合いを入れろと」


 どうせ誰にも見られないから、いいと言ったのに母は私に多少はメイクをするようにうるさかった。

 それで、今日はデートでもないのにメイクをしている。


「誰にも見られないからでは駄目よ」

「え?」

「身だしなみが心にも現れるのよ」

「そうですか?」

「そうよ。だから、こういう日はしっかり勝負しないと」

「勝負。……もしかして下も勝負ですか?」


 ジョークとして言ったのだが。


「変態!」


 夏希さんが顔を赤らめて怒った。


「す、す、すみません」


 私はすぐに謝り、椅子に座る。


「そういえば歌う前に白湯を飲んだり、唇を震わせたり、巻き舌したりするんですか?」

「するよ。普通に」


 母は正しかったか。


「緊張してるの?」

「はい。昨夜はあまり眠れなかったです」

「私も。リハ以上に緊張しているわ」


 夏希さんは自身の手を見て、開いたり握ったりする。


「だけど緊張しているからって、それを言い訳に手を抜いていいわけではないわ」

「ですね」

「私は明日空ルナ。そして貴女は赤羽メメ・オルタ」

「はい。頑張ります」


 私は強く頷く。


「ええ。頑張りましょう」


 駒沢夏希こと明日空ルナは強い意志のある笑みを返した。

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