第17話 ジョギング開始……え!?

 今は私は走っている。


 ここは湖を一周できるジョギングコースがあり、今、私と駒沢鈴音さんはそこを走っているのだ。


 太陽の光が私を熱する。

 ただでさえ、暑いのに走ることで余計に体が熱を持ち、汗がどばどばと体から吹き出している。


「大丈夫ですか? 休憩します?」


 並走して付き合ってくれている鈴音さんが心配そうに私に聞く。


「……だ、大丈夫ですぅ」


 走るというより早歩きに近い私にわざわざ付き合わせてしまって申し訳ない気持ちがいっぱいだ。


 なぜこうなったのかというと、それは時を十数分前に遡る。


  ◯


「うーん。千鶴さん、もう一回やってみよう」

「はい」


 鼻で吸い、口で吐き、「あ〜〜〜」と私は言われた通りに腹式呼吸で声を発する。


「……そのまま何度も続けて」


 何度も発声する私に先生は近づき、しゃがみます。そして私のお腹に手を当て押しました。

 力を込めたり、緩めたりとお腹を刺激します。


「もういいですよ」


 しかし、私が発声をやめても先生はお腹から手を離しません。しまいにはお腹の脂肪をムニっと摘みました。


 そして先生は目を瞑り、考えます。


「うーん。これは基礎体力が必要ですかね」

「え!?」


 先生は立ち上がって、ちらっと夏希さんを見てから、私に視線を向け、


「あなたは走り込みが必要ですね」

「は、走り込み? え?」


 走り込みって……走るんだよね?

 え? なんで?

 意味わかんないだけど。


「体力作りも兼ねて、そこの湖周辺を一周してきてください」

「走るってまじですか? なんで?」

「それは発声のためです。基礎体力は必要です」

「発声と体力って何の関係が?」


 声を出すのに力を使いますか? 使いませんよね? しかも走り込みって。脚を鍛えるってことじゃん。


 先生は私のお腹を突っつき、


「このたるんだお腹でちゃんとした腹式呼吸が出来ると? それに走り込みは呼吸筋と肺活量が上がるのです」


 私は自身のお腹を見下ろす。そして摘む。

 別に太ってないし、人並みの腹筋があるんだから問題ないような気もするんだけど。


「アーティストってね、腹筋バッキバキなのよ」

「そうなんですか?」


 私はちらりと椅子に座る夏希さんを見る。目が「何? 言いたことあんの?」と文句を放っている。


 なぜそんな目を。私は助けを求めただけなのに。


「有名なアーティストを想像して、皆、がっしりしてるでしょ?」


 しかし、私がすぐに頭に浮かんだアーティストは皆、ぽっちゃりしていた。そしてそこからソプラノ歌手も頭に浮かぶのだが、全員太っていた。


 むしろ太ってる方が良いのでは?


「鈴音さん、彼女のジョギングに付き合ってもらえる」


 なんか私の意見無視で話を進められている。


「え? あの、普通に発声の……」

「分かりました。千鶴さん、案内するよ」


 鈴音さんがサムズアップして答える。


 いやいやいやいや。


  ◯


 そして今に至る。


「なんか遅くてすみません。ジョギングなのに。私、ほぼ歩いて」


 少し立ち止まって休憩。水を飲んだ後、私は並走してくれている鈴音さんに謝る。


「いいんですよ。それにジョギングとランニングの違いって知ってますか?」

「え? えーと、あれ? どう違うんでしたっけ?」


 ジョギングもランニングも同じ走る行為だ。


「ジョギングは早足や駆け足程度の運動で、ランニングは文字通り走ることです」

「なるほど」

「だからちゃんとジョギングになってますよ」

「でも、これって本当に歌というか発声の練習になるんでしょうか?」


 その質問には鈴音さんは苦笑するだけで答えてはくれなかった。


「さ、休憩はおしまいです」


 ジョギングが再開される。


「あとどれくらいですか?」

「まだ三分の一も進んでませんよ」

「湖一周って、いったい何キロあるんですか?」

「約8キロです」

「ええ!?」


  ◯


 あの後、小休憩を3回挟んで湖を一周した。

 ジョギングに費やした時間は1時間半。


「も、もう今日は帰りたい」

「駄目ですよ千鶴さん」


 私達は歩きながらレッスンスタジオへと戻っている最中。さすがにもう走りたくはない。


「しんどい。いや、後は発声練習だけですよね?」

「ん〜、この後は腹筋と体幹のトレーニングがあると思いますよ」

「……」


 まじかよ。


 そういえば5期生の皆がなんか訳ありそうに言ってたのはこのことだったのかな?


 くそう。


 ボイトレだから練習はしんどくないと考えた私が甘かったよ。


「まあまあ、運動部のような筋トレはないので大丈夫ですよ」


 しかし、8キロのジョギングがあった以上、楽観視してはいけない。


「あの、本当にこれって、歌とか発声の練習なんですよね?」

「私はプロの先生ではないので知りません」

「……そうですか」

「で、でも、ダンスのレッスンにはいいですよ。痩せますし、体力もつきます」

「一応歌担当なんです」


 ダンスは佳奈に任すことにしている。


「これからダンスをするかもしれませんよ」

「その前に歌です。私、音痴ですから」

「音痴なんですか?」

「ついこの間まで音程にビブラート、こぶし、そしてしゃくりも知らなかった人間ですよ。カラオケだって点数は低いですし」


 言っていてどんどん自信が失ってくる。私、本当にライブに出演出来るのか?


「歌声は良いって聞いてますよ」

「そうですか?」


 確かに歌声については文句は言われていない。あまり褒められてもいないような気もするが。


「さ、レッスンスタジオに戻りましょう」

「はーい」


 とりあへず頑張ろう。


「……あと、すみませんね」


 急に鈴音さんが小声で謝った。それは本当に小さく、意識しないと何を言われたのか分からないくらいの。そしてその声には少し、悲しみが含まれていた。


「ん? なんですか?」


 けれど鈴音さんは答えずにレッスンスタジオへと足を進める。


  ◯


「戻りました」


 鈴音さんが声を出して、部屋に入る。

 その後に私も続いて入る。


(鈴音さんって、結構良い声してるよね)


 部屋では夏希さんが歌のサビを歌っていた。


「そう。それじゃあ、筋トレね。鈴音さんお願いね」


 先生が笑顔で答える。


のプランでよろしいのですか?」

「ええ。同じように。でも、千鶴さんはほぼ素人だから優しくね。無理はしないように」

「わかりました」


 同じように? どういうこと?


「それじゃあ、こっちにきて」


 と、私は先生と夏希さんから離れた場所に移動された。


「プランクから始めましょうか」

「プランク?」

「知らない?」

「知りません」

「肘をつけた腕立て伏せの形みたいなものなんだけど……そうだね。私の真似をしてみて」


 鈴音さんがうつ伏せになり、肘から指先までを床に着ける。


 そして体を床から離す。肘から指先、そしてつま先だけが床に着いた状態。確かにそれは肘をつけた腕立て伏せの形だ。肘をつけていないから動くこともなくポージングをしているだけだ。


「これがプランク。まずは30秒耐えてみよう。さ、やってみて」

「はい」


 そのポーズだけで30秒耐えるだけなんて楽勝じゃん。


 ──けど、


「プルプルしてるよ。まだ10秒も経ってないよ」

「無理ー!」


 私は30秒前に膝つけてしまった。


「もう!」


 鈴音さんが困ったように怒る。


「すみません。まさか、こんなにきついとは思ってませんでした。ヨガみたいなものと侮っていました」

「これは腹筋とインナーマッスルを鍛えるトレーニングなの。だから大切なトレーニングよ」

「腹筋ですか? 腹筋といえば膝曲げて仰向けから起き上がるやつでは?」

「あれはダメよ」


 と鈴音さんは首を横に振る。


「どうしてです?」

「あれはお尻と足裏の摩擦力で起き上がっているものだから」

「足裏の摩擦?」

「そうよ。試しに足を浮かせてやってみたらわかるわ」

「では」


 試しに仰向けになり、膝を曲げ、足を浮かせる。


「起き上がってみて」

「はい……あっ、ちょっ、バランスが……あれ?」


 まったく起き上がれないし、バランスもグラグラ。


「でしょ。ジャックナイフという筋トレもあるけどあれは上半身を起き上がらせるというより少し曲げる程度のものなの」

「へえ。鈴音さんはトレーニングに詳しいんですね。もしかして体を動かすのが好きとか?」

「いいえ。私はダンスや動作担当だから、それでトレーニングを」

「なるほど」

「さ、もう一回プランクをしますよ」

「……はい」


 ねえ? 発声練習はどこにいったの?

 夏希さんが歌の練習しているのに私は筋トレ?


 本当にこれで発声がよくなるの?

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