第8話 1/fのゆらぎ【駒沢鈴音】

 ダンスレッスンを終えて、シャワーを浴びて帰ろうとしたところでマネージャーに捕まり、収録の動作変更についての話があった。


 それが終わった頃にはいつもより時間が経っていた。


 私は急いでレコーディングスタジオに顔を出した。


 夏希は怒っていないだろうか。


 けれどレコーディングはまだ終わっていなかった。

 てっきりとうに終わっただろうと考えていたから驚いた。


 曲が終わったところで、私はエンジニアの竹原さんに尋ねる。


「まだ収録に時間がかかっているんですね」


(ミステイクが多かったのかな?)


「今日はオルタちゃんのテストがあってね」


 竹原さんが背を向けつつ答える。そしてトークバックボタンを押して、レコーディングブースにいる妹に、「ちょっと休憩しようか」と聞く。


『はい』


 そういえば、彼女達はダンステストの後で歌のテストと言っていた。


「それで……ですか」


 でも、あれからテストをしたと言っても、結構時間は経っている。夏希のレコーディングに影響があったのだろうか?


「感化されたからかな。本人が納得しないんだよねー」


 と竹原さんは面白そうに言った。


「感化?」


(あの夏希が!?)


「そう。で、張り切っちゃってる」

「千鶴さんは歌が上手かったんですか?」

「いいや。ド下手だよ。タイミングはズレるし、音程もちゃんとしてないし、ビブラートもない」

「ド下手ですね」


 タイミングも音程も駄目なら相当な音痴であろう。


「うん。ド下手。歌唱力なしだね」


 酷評するが竹原さんはとごか面白そうだった。


 それはつまり──。


「伸びしろがあるんですか?」

「あるかもしれないね。ただ、人ってのは頑張ればいつかカラオケで100点は取れるよ」

「え?」


 どういうことだろうか。竹原さんはカラオケで100点取れる程度では喜んだりはしないはず。


「……っと、夏希さん、そろそろいいかな?」

『はい。問題ありません』


 竹原さんは機器を扱い、


「そうそう。これがオルタちゃんが歌ったリスト」


 スクリーンにメロディー履歴を指し示す。

 私は近寄り、リストを見る。


 東野カナ『会えなく』、aityamu『エイリアンクルー』、oda『ざけんな』、米田総裁『青林檎』、五浦宇宙いつうらそら『スーパーカー』


 前の三人は女性であとの二人は男性アーティストだ。


 東野カナとaityamuは二十代女性に支持されているアーティストでカラオケでもよく歌われる。オルタこと千鶴さんは大学生らしいのでそれに当て嵌まるだろう。

 odaは数年前に配信で驚異的なPVを出した覆面アーティスト。特に『ざけんな』のサビは有名で歌以外でも使われる。


 この三人は二十代女性が選曲しても別におかしくはない。


 だが──。


「米田と五浦は私が歌ってと頼んだやつ」


 私の疑問を竹原さんが心を読んだように答える。


「そうですか」


 私はソファーに座り、考える。


 米田の『青林檎』は高低差が激しい歌。低めで歌ってたのが急にハイトーンボイスに変わらないといけない難しい曲。


 対して五浦の『スーパーカー』は男でも女でも普通になんなく歌える。けれどそれは五浦本人が中性的な歌声の持ち主であるがゆえ。それ以外が歌うとただの曲になる。


 ただ、もしこれらが100点で歌えるようになるなら、それなりの歌唱力を身につけるということになる。それはそれですごいことでもある。

 でも竹原さんはそういうものを求めてはいない。なら、これらのことから結ばれることは──。


「声が良い」


 つい独り言のように導き出した答えを私は呟いた。


 そしてそれを竹原さんは拾って、


「そう。良かったよ」

「どれくらいですか? 1/fの揺らぎを持ってるとか?」

「ちゃんと計測してないから、それは分からないね。でも、あれはメロディを支配する感じだね」

「……メロディを支配」


 私は鸚鵡おうむ返しをした。


「まさに歌声のためのメロディだね」


 もしそうならそれはすごいことである。大抵はメロディにを乗せる。

 だからこそ、カラオケで100点を取れる。


「でもド下手なんですよね?」

「今はね」


 その竹原さんの声音は成長が楽しみだと告げていた。

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