第7話 歌唱力
「あら? スタッフが誰一人いませんね」
福原さんが部屋を覗いて言う。
音響のスタジオには誰もいなかった。
「でも鍵がかかってませんでしたし、おかしいですね。二人は中で待っていてください」
と言って福原さんはどこかへ行った。
そして私と佳奈はレコーディングスタジオで待つことになった。
「ここってレコーディングスタジオだよね?」
部屋に入った私は佳奈に聞いた。
エンジニアテーブルにはツマミやボタンの多い機材や向こうの部屋に声を届けるマイク、パソコン、そしてスクリーンが3つ。
眼前の壁はガラスで
その隣部屋はテレビとかで見たことのある収録部屋。
「うん。そうだよ」
と言って佳奈は長いソファに座る。
私も隣に座り、
「なんか別世界って感じね」
カラオケルームとは違う、本格的な音楽の世界。
「うん。でも、レコーディングをするってことは私もプロ入りなんだなって感慨深くなるよ」
「佳奈も緊張する?」
「そりゃあ、するよ。今でもレコーディングには身がきゅっと引き締まって、固くなっちゃうよ」
「……レコーディング? あれ? テストをするんだよね?」
「たぶん向こうのブースで何曲か歌わせて歌唱力を判定するんじゃない?」
へえ。マイクのある部屋がブースというのか。もちろん、あそこで歌うんだろうな。
「カラオケあまり行かないから正直自信ないな」
「え? 違……」
そこでノックが鳴り、私達が返事をする前にドアが開いた。
まず目に入ったのは車椅子の駒沢夏希さんだった。そしてその後ろに福原さんがいる。
2人が中に入ってきて、それからもう1人女性が入ってきた。
(すっご! ピンクだ)
その女性の髪はピンク色のボブカットだった。
(この人もアーティスト?)
「お待たせしてすみません」
福原さんが私達2人に向けて言う。
「いえ、それよりスタッフさんは見つからなかったんですか?」
「ん? ……ああ! この人がエンジニアの竹原さんです」
「どうも竹原です。こんな髪をしているけどエンジニアです」
「えっと、初めまして宮下千鶴です」
私は謝罪を込めて頭を下げる。
◯
レコーディングブースに入った私はヘッドフォンを装着してマイクの前に立つ。
『それじゃあ、始めてみようか?』
隣の部屋から竹原さんが私に尋ねてくる。
ベッドフォンをずらす必要はないのに、反射的に浮かしてしまう。
「はい」
『曲は何がいい? できればうちの社が出しているやつね。ていうかそれで頼むよ』
「分かりました」
私はヘッドフォンをきちんと装着する。
ペイベックス社アーティストの歌と言えばやはり、
「それでは東野カナの『会えなくて』で」
『オッケー』
竹原さんが機器を操作すると曲が流れ始めた。
(あれ? 画面はどこ?)
ここで私は歌詞が流れるスクリーンがないことに気づいた。
「え? あの画面は? 歌詞は?」
『え? 画面? 何言ってんの? カラオケではないんだよ』
「ま、ま、待って、待って下さい。歌詞がないと歌えません」
『ええ!?』
東野カナの『会えなくて』は好きな曲だし、何度も聴いた。カラオケでもよく歌う。けれど歌詞を憶えているかというとそれはまた別の話である。
「すみません」
『あーこれ、どうしよう』
竹原さんが後ろに振り返り、福原さんや佳奈に「どうすんのこれ?」みたいなことを言っているが見える。
「あ! スマホで歌詞検索して、それを見ながらでよろしいでしょうか?」
『オッケー。そうしよう』
私はすぐにスマホで東野カナの『会えなくて』の歌詞を検索。
「準備オッケーです」
『なら歌おうか』
そしてまたメロディが流れる。
『……始まってるよ』
「え!?」
次は歌い出しをミスってしまった。
◯
私が選曲した3曲と竹原さんが注文してきた2曲を合わせた計5曲を私は歌った。
「評価だけどオブラートが良い? それともストレート?」
竹原さんが私に聞く。
「ストレートで構いません」
結果を聞く前からしょんぼりしている私はストレートを選んだ。今更、優しく評価されても、むしろ情けなくて痛い。ここはズバッと切ってもらいたい。
「下手。正直、商業クラスにはほど遠い。もしオーディションで来たら、他のオーディション参加者から『こっちは真面目にやってんだ。遊びや記念でくるな!』とやじられるね」
「はい。申し訳ありません」
福原さんも佳奈からもフォローがない。
「カラオケシステムがあれば、もう少しはマシだったんですけど」
私のほとんどのミスはタイミングだ。それさえ出来れば、もう少しマシだったはず。
80点はいけると思う。
……プロからしたら80点は低いだろうけど。
「カラオケの話をされてもねえ」
竹原さんが肩を
「?」
「カラオケで100点取れば良いってわけではないよ」
「どうしてです?」
歌が上手ければ良いはず。100点なんて相当すごいことだけど。
「100点を目指すなら、それこそ練習すれば誰だって取れる。でもね、私達はそんなものを求めているわけではないの」
竹原さんは100点をそんなものと言い捨てた。
「大事なのは心に訴えてくるものよ。要は響くってことね」
「そうなんですか」
「そう。求めているのは上手く歌えるではないの。歌声なのよ」
「ちなみに私は?」
「あると思う?」
「……ないですね。はい」
そんな私を見て、竹原さんは口元に笑みを浮かべる。
「それで今からボイトレとか練習すれば、どれくらいでアイドルとして商業的になれそう?」
ここで福原さんが会話に入ってきた。
「今からボイトレしても上手くなるには1年ね。商業的というと難しいわね」
「それはアーティストとしてでしょ? アイドルとしては?」
その問いに竹原さんはうんざり気味に息を吐く。
「前世代みたいなちょっと歌が下手くらいが可愛いなんてのは時代遅れよ」
「なんでよ?」
「私はプロフェッショナルにいきたいの」
「もう!」
福原さんが珍しく頬を膨らましてそっぽを向く。
やり取りからして、この2人って仲良いのかな?
「君はどうなの?」
「え?」
私に話が振られて驚いた。
「上手くなりたい?」
「そりゃあ、上手くはなりたいと思いますが」
下手か上手いかで選ぶなら上手い方だろう。
「今度合宿あるよね?」
竹原さんか福原さんに話を振る。
「ええ。ありますよ。富士で外泊イベントという名の合宿が5期生に」
「そこに千鶴さんを参加させてみては?」
「え、嫌です」
私は拒否の言葉を発した。
「どうして?」
「他の人に会うのは……ちょっと。ですから合宿はNGで」
私は手でバッテンを作る。
「そういえば、その期間にペイベックス富士ロック・サマーフェスがあるわよ。すぐ近くなのよ」
私が行きたいのは諏訪フェスであり、富士ロックではない。
……が、興味はある。
「合宿に参加してくれたら、フェスにも行けるようにするけど」
福原さんが流し目で尋ねる。
「うぐっ、で、でも合宿なんでしょ?」
「ダンスと歌のね。でも千鶴さんの場合は歌に専念した方がいいんじゃない?」
と竹原さんが言う。
「そうね。歌かダンスなら歌に専念すべきね。ダンスは佳奈さんに任せればいいし」
「え? 私の負担大きくなりません」
そこで佳奈が不満そうな声を出す。
今まで他人事のように聞いていた罰だ。もしこれから歌うことになったら、佳奈にめちゃくちゃ踊らせてやろうと心に決めた。でも──。
「私は参加するとは言ってません」
そう。
例え、歌だけであっても、ライブ出演は恥ずかしい。
「富士フェスよ。それにライブイベントで歌ってくれたら、こちらの諏訪フェスのチケットもあげるわよ」
「な!」
フェスチケットが2枚。
10年間当たらなかった諏訪フェスチケット。
「どう?」
(くっ!)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます