第3話 ダンススタジオ

 夏休みだから時間を気にせず寝ていたら、目が覚めた時は昼の13時だった。


 1階のリビングへ訪れると母が冷やし中華を食べていた。


「あんた、夏休みだからって、ぐうたらしすぎよ」

「いいじゃない別に。それ私の分ある?」


 私は冷やし中華を指して聞く。


「寝起きで冷やし中華食べれるの?」

「起きたのはだいぶ前だし」

「冷やし中華はあるわよ。一応、あんたの分も作っておいたから。ただ自分でよそいなさいよね」

「分かってるわよ」


 私は食器棚から皿を取り出してキッチンに向かう。そして茹でた麺を皿に入れ、細切りの卵焼きとハム、キュウリを上に載せてからタレをかける。


「佳奈は?」


 ダイニングに戻って、私は母に聞く。


「仕事よ」


 私は佳奈の部屋のある方角を見上げて、


「配信中?」

「じゃなくて事務所よ」

「へえ」


 私は麺を頬張る。レモン風味が口の中に広がる。


「ダンスレッスンだって。この暑い中、大変よね」

「さすがに外じゃないんだから。冷房のガンガン効いたダンススタジオでしょ?」

「ダンススタジオって冷房点けるかしら?」

「さあ?」


 と言い、私は次にキュウリを頬張る。


 私が学校でダンスの授業を受けた時は体育館で冷房なんてものはなかったはず。

 でも本物のプロが教えるレッスンならダンススタジオも壁一面鏡だったりするのだろう。なら冷暖房完備でもおかしくないはず。


  ◯


 昼食を食べ終えて、ソファで寛ぎながら昼のドラマ再放送を見ていた時、母のスマホから通話音が鳴った。


「もしもし? どうしたの?」


 母の声音から察するに佳奈だろうか。


「あら、そう。大変ね。ちょっと待って」


 母は立ち上がり、リビングを見渡して、


「ああ、これね。バッグもあったわ」


 と、リビングテーブルに置かれた緑のクリアファイルを手にする。そして部屋の隅にあるボストンバッグに目を向ける。


 佳奈の忘れ物だろうか。そしてその電話なのかな?


「うん。分かった。


(ん? ? そう言わなかった?)


 そして母は通話を切り、私に緑のクリアファイルを向けて、


「佳奈に持っていってあげて」

「なんで私が?」

「あんたにとって重要なファイルらしいわよ」

「ええ!?」


 私は不服の声を出すもファイルを押し付けられた。


「あとそのボストンバッグもね」


  ◯


 私が佳奈の忘れ物を届けに向かわされたのはペイベックス本社ビルではなく、レッスンスタジオ2号館だった。


 初めての訪問ゆえ、スマホの地図アプリ片手に道を歩いた。曲がり角に目印となるような建物がなかったため、ちょっと道に迷うこともあったけど、なんとか辿り着いた。


 けれど着いた時には汗を少しかいていた。


 レッスンスタジオ2号館は横に広い4階建てのビル。


 私はビルに着いて、中には入らずにまず外で佳奈に連絡を取ると中に入るようにと言われた。


「え? 嫌だよ。他のVtuberの方と会うでしょ?」

「それはないよ。今は私だけだし。それに福原さんがいくつかお話と書類にサインしてほしいから来て欲しいだって」

「本当に?」

「本当だよ。なら、ちょっと変わるね」

「あっ、待って」


 しかし、佳奈は福原さんにスマホを渡したらしい。


「どうも福原です。いつもお世話になっております」

「いえいえ、こちらこそ」

「お手数ですが中に入っていただけませんか?」

「分かりました」


(なんか佳奈に嵌められた気分だ)


 私はおずおずと自動ドアを潜り、1階の受付で手続きを済ませて、入館証を受け取り、3階のダンスレッスンスタジオに向かう。


 途中エレベーターホールで車椅子の女性とその後ろにいる女性と鉢合わせた。


 友人にしては歳は離れているし、マネージャーにも見えない。ということは後ろの女性は姉だろうか。


 ちらちら伺ったのがバレたのか車椅子の女性に一睨みされた。


 車椅子の女性達が先にエレベーターに乗り込み、後に続いて私も乗った。

 そして3階のボタンを押そうとしたけど、先に押されていた。どうやら彼女達も3階に用があるらしい。


 私は閉じるボタンを押して、エレベーターのドアがゆっくりと閉まる。


 到着の間、私はどうすべきか悩んだ。


 というのも。彼女達は奥の方にいて、私はドアの前にいる。

 なら、ドアが開いたらすぐに出るのか。それとも先に出るのか。


 この2択に私は考え悩んだ。


 そしてエレベーターはチンという到着音と共にドアがゆっくり開き始めた。


 するとドアの向かうに男性がいた。つまりそれは乗る側の人。


 私はすぐに降りて、3階の廊下を進んだ。


 ちょっと歩いてから後ろを振り向く。

 すると車椅子の女性と目が合った。

 その目には「なに先に出てんのよ」という意思が伝わった。


(え? 間違った?)


 乗る側が外にいるんだし、ドアが閉じることはないはず。


 それに先に車椅子の彼女が出ても、乗る側が入ってきて、出ようとする私と鉢合わせるかもしれない。


 そうなると向こうはドア付近にいるんだから、さっさと出とけよと思わないだろうか。


(難しいな)


 私は逃げるようにさっさと佳奈のいる部屋に向かうのだが、佳奈がいる部屋がどれか分からず、ドア窓から中を伺いながら進んでいく。


「邪魔なんだけど」


 あるドア窓から部屋の中を伺っていると後ろから声をかけられた。

 声の主は車椅子の女性。


「す、すみません」


 私は謝罪して、道を譲る。


 前を進んだ2人は更衣室の前に止まり、


「それじゃあ、お姉ちゃんは着替えた後、レッスンに向かうから」

「分かった。私は向こうのブースにいるから」

「何かあったら言ってね」

「大丈夫よ」


 そしてお姉さんは更衣室に入り、車椅子の女性は一人で車椅子を操縦し、廊下の奥へ進む。


 丁度その時、その廊下の奥から福原さんが現れ私を手招きする。

 私は車椅子の女性を抜かすのは失礼と思い、彼女の後ろをゆっくりと進む。


 そして車椅子の女性は福原さんに会釈して、角を曲がり姿を消す。

 私も廊下の奥へ辿り着き、福原さんに挨拶をする。


「こんにちは」

「おはようございます。わざわざご足労すみません」


 あれ? こういう時って「こんにちは」ではなく「おはようございます」が社会的な挨拶なのかな?

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