第10話

その次の日、紗友里の元気はあからさまに失われていた。

 何を話しかけてもぼぅっとしていて、暇さえあれば深いため息をすいていたのだ。いつも楽観的な少女がここまで暗いと調子が狂うってもんだ。それに、ため息は俺の専売特許だ。

 とりあえずこの日もそれとなく一緒に行動していた俺たちだが、あまりに暗い紗友里に対し、俺はついに核心的な内容の声をかけることにした。

「なぁ、紗友里。そんなにショックだったのか?この前の話」

 俺が言うと、紗友里はピタリと足を止めて、俺のほうを見た。いつもどおりの下校途中の坂道だった。

「いいえ。ショックではありません。ただ……少し、怖いのです」

 返って来たのは、ちょっと意外な言葉だった。

「わたしは、この訓練を受け初めて、もう三年になります。自慢ではありませんが、三年で一級弐士まで上り詰めて、今まで実戦、っていっても、実は訓練だったわけですけれども、それにおいて任務達成率百パーセントというわたしの経歴は、もっとも優秀な部類です。もうちょっと召喚術をマスターすれば、壱士になるのも時間の問題です。わたしは、これまで戦いにもイレギュラーにも恐怖を感じたことはありません。訓練の経験ととっさの判断力、あとは習ったことに応用を加えて行えば、どんな状況にも対応して完璧に任務を遂行することが出来る。わたしはそう信じてやってきましたし、その結果、わたしは今この地位にいるのです。ですので、これが間違いだとは微塵も思いません。でも、ここに来て、真実を知らされて、わたしは不覚にも恐怖を感じてしまいました。これが、この後の戦闘において、どんな要素になるのか予測がつかないのです。恐怖は、判断を鈍らせます。わたしはそれが更に怖い」

 彼女はそう言って、不安そうに目を細める

「それに、わたしは軍人ではありません。ですから、戦争と言う言葉に少なからず戸惑いを覚えます。今までは、そのような認識はなかったから……」

 紗友里は俯いた。

「で、でも、今までと何もかわらないんだろ?なら、いつもどおりにやればいいじゃないか。そりゃあ、紗友里の不安も全部じゃないけど、わかるつもりだし、怖いって思う気持ちも理解できる。でも、今までだってやってこられたんだから、きっと大丈夫だよ。それに、俺も一応、一緒にいるわけだし。あんまり直接戦闘の役には立たないけど、エネルギー源としては、協力できるから」

 俺は言った。だってこの状況じゃ、そう言うしかないじゃないか。

 正直なところ、戦争になんて巻き込まれたくない。でも、こんな華奢な女の子(実際歳が幾つかは不明だが)が戦場の前線張って戦っているのだ。それに俺は幸か不幸か巻き込まれちまったのだから、一人だけ一般市民という言葉を使って逃げるなんて出来るわけが無い。だって、男だもん、俺。いい加減な気持ちで正義を語り、善人面しているくせに、最後の最後、自分の身が危うくなったら一目散に逃げ出すような、汚いやつにはなりたくなかった。それは俺の本当の気持ちだった。

「本当、ですか?」

 彼女は顔を下に向けたまま、小さく言った。

「本当に、そう思ってくれますか?」

「ああ。俺がついている、とまでは大きいこと言えないけど、せっかくそばにいるんだから、なんかの力にはなりたいよ」

 俺は言う。

「ありがとう、ございます」

 彼女はやっと顔を上げて、笑顔を見せた。

 う~ん、紗友里嬢はやっぱり可愛い。

 なんて、思っているときだった。

 俺たち二人の行く先で、同じ高校の制服を着た男子が路地の壁にもたれかかるようにしてこちらを見ていた。

「ん?」

 なんとなく、嫌な予感がした。

「誰ですか」

 俺より一歩前に出て言ったのは、紗友里だった。

「いやぁ、はじめまして。僕はレミスといいます。あなた達を待っていました。少しお話がしたくてね」

 少年だった。同じ制服を着ているのでおっさんとかいう可能性はないと思っていたが、案の定、一つの学校を探したら絶対一人はいる、と言う感じの俺以上に平凡な男子生徒だ。背は俺より幾らか高い。

「この感じ……まさか、イレギュラー?でも、こんなことって……」

 奇妙な表情で少年を見つめる紗友里。イレギュラー?いやいや、こいつは人間だろう。あの正体不明なベタ塗りの巨大な人型とはわけが違う。まともに顔もあるし、なにより完全に立体的だ。ってか、普通の男学生だよ。多少名前は変でもね。

「そう身構えないでください。ここでことを起こすつもりは無いですよ。僕に戦闘機能は備わっていませんしね。ただ、少しご挨拶を、と思いまして」

 平凡な少年は、平凡に笑う。

「挨拶……?いいえ、そんなことより、あなたは何者なのですか?」

 紗友里は尚も真剣な眼差しで言う。

 すると少年は、軽く息を吐いた。

「お察しの通り、〝イレギュラー″ですよ。あなたたちの言葉で言うとね。正確には並列第十五世界の住人です。さっきも言いましたが、僕は非戦闘員でして。専門は視察と交渉です。もっとも今回は、交渉はせず、直接的な侵略を、とのことですが」

 おどけたような口調で彼は話す。

 その様子がなんかむかついた。

「な、なぜそんなことをするんだ?」

 俺は口をはさんだ。内心どきどきしているせいか、軽くどもってしまう。

「侵略のことですか? ふふっ、そうですね。自世界の利益のためですね。戦争が始まる理由なんて、そんなものです。欲が、争いを生むのです。それよりあなた、ちょっと変わった波長を感じますね。特異体質ですか? それとも……」

「ただの人間だ」

 そう、一般人さ。

「まぁ、いいです。では、また六日後にお会いしましょう。最期に会えるかどうかは、解らないですが」

 レミスと名乗る少年は楽しそうに笑うと、振り返り、手を前に伸ばした。すると、驚いたことに景色がはがれた(・・・・)。空気が歪んで、ドアのようにこじ開けられたのだ。

「待って!」

 紗友里が叫んだのは、彼が歪みの向こうに消えた後だった。

「紗友里……」

「人間の形をしていた……。あの人たちは、知識を持っている。文明を持っている。わたしたちがするのは、本当に戦争なのですね」

 紗友里は、悲痛な顔で呟いた。

 そう、彼らは文明を持っている。曰く別世界の生き物だから、あの人間の格好が本来の姿である保障は何処にもないが、仮にそうだとしたら、俺なら酷く戦い難い。パッと見は人殺しに思える。今までのように黒い影をぶち抜くのとはあまりにも違いすぎる。紗友里の苦悩が解る気がした。

 紗友里はその後、一度も口を開かなかった。

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