第9話

もう通いなれたはずの研究所には、いつもとは全く違う、異様な緊張感が漂っていた。

 ここにいるのは、国が高額で雇っているより選(すぐ)りの研究員と、それを統括、指揮する幹部連中である。統括者はまだしも、金を気にすることなく思う存分研究のできる技術者たちは、皆頭の螺子が一、二本抜けてしまっているような変わり者が多い。その所為か、俺たちの暮らす日常とは違う、独特な空気に終始支配されているのだが、それにしても、今日の空気は違いすぎる。いつもよりも遥かに、ぴりぴりしているのだ。

「アンジェリカ、戻りました」

 研究所の最深部、このプロジェクトの総責任者の個室の前で、紗友里は言う。

「入りたまえ」

 聞いたことのある渋めの男性の声がする。その言葉を合図に、紗友里と俺は室内に入る。ここに入るのは初日以来で、総責任者である彼に会うのも初日以来だった。

「緊急事態と聞きましたが」

 質素ながらも重圧のあるデスクと、その奥にあるイスに腰を下ろしている中年の男性に向って紗友里は口を開く。

「ああ。重大な発表がある」

 部屋は薄暗く、彼の顔は影になっていて見にくい。俺の記憶が確かならば、この総責任者である一軍長官は、若干白髪の混じった角刈りと、鬚が心象的な厳しい表情の男性だ。名前は確か、村雨滄海むらさめそうかい……って、凄い名前だったはずだ。

「まぁ、多少は長くなる。かけてくれてかまわん」

 言われるまま、俺たちは客人用のソファに腰かける。

「まずは、真実から話そうか」

 紗友里と俺は黙って頷く。

「我々が戦ってきたイレギュラー、および不特定単数だが、あれらは実は、人工的に作られたものだ」

 ゆっくりと抑揚の無い声が響く。

「人工的に? どういうことですか?」

 紗友里が聞く。

「私達『タナトス』の化学力で作った擬態と言うことだ」

 俺たちは次の言葉を待った。『タナトス』っていうんだっけ、この組織。

「今までのイレギュラー発生で、建物の破損はいくつもあった。しかし、人間の犠牲者はどうだ?一人も出ていない。これがどういうことだか、解るかね?」

 それを聞いて、紗友里が眉をひそめる。

「君たちは実践において、致命的な負傷をしたことがあるかね?」

 そこまで言われてやっと、紗友里の顔がハッと何かを思いついたように上がった。

「今までのは、全て訓練だったと言うことですか?」

 紗友里はいくらか厳しい眼差しでそう言った。

 どういうことだろうか。今までのが、訓練?

「ああ、そのとおりだ」

「では、今日こうして呼ばれ、真実を明かされたということは、実戦が始まるという事ですね」

 長官が頷くのが見えた。

「先刻、本物の『ゲート』の開く時間が正確に算出された。場所はこの日本の、この町だ。恐らく、間髪いれずに戦争が起きるだろう。あちら側の意思は侵略だ」

 長官は尚も淡々と語る。

「意思、とは? イレギュラーに意思が存在するのですか?」

「あの影たち、主に不特定単数と称される巨大な怪物は、自発的な意思を持たない。だが、やつらに行動の指示を出している者たちがいる。そやつらは、自らの意思をもち、考え、行動する。我々と同じようなものだ」

「和解、という選択肢は無いのですか?」

「彼らは我々の操る言葉を完璧に理解していながら、それを拒否した。それに……天魔の長が言うには、彼らはもっとも貪欲で、残酷な連中らしい」

 天魔の長?あの召喚獣たちのお偉いさんか?いるんだな、そんなの。なんて、言ってる場合じゃない。なんだって?今までが訓練で、これから本当の戦争が始まるって?おいおいおいおい、ふざけるなよ。これ以上俺にビックリドッキリヘンテコデンジャラスな体験をさせようっていうのか?勘弁してくれ。もう、現実離れした設定や世界観は、おなかいっぱいです。だからやめましょう。ドッキリだって言いましょうよ、ホント。

 だが、もちろんというか、やっぱりと言うか、この話はいたって深刻なものであって、おふざけの要素は何も無いわけで、ということは、本当に戦争が起きると言うことだ。待ってよ、神様。俺、ただの高校生ですぞ。無理だって、話の規模がデカイって。重すぎるって。

「天魔の長、聖獣にして偉大な予言者、あのイグ二クス様ですか?」

「うむ。我々に高科法術を教え、世界の危機を教えてくださった偉大な聖獣。イグ二クス様は、何よりも平和を望む心優しき異形の獣。彼の言葉に間違いは無い」

 天魔の長って凄いやつらしい。話しの感じからいくと、人語を操り、かなり知能も高いと推測できるが、あの銀毛の狐や同じく銀毛のモコモコの同類なのだとしたら、見た目はなかなか心地のよいものかもしれない。

「しかし、本物だろうが擬態だろうが、対処法は同じだ。今までどおりの戦い方で大丈夫だ。ゲートが開くのは、一週間後。一級、壱士六名、弐士九名、参士十名、以下補助士十五名、総勢四十名をゲート付近に配置し、イレギュラーを迎え撃つ。迎撃隊とゲートの破壊隊に別れ、攻撃を行う。詳しくはまた後日話す。ああ、ちなみに、狭山君。君は補助士としてカウントされているが、当日も彼女と行動するように」

 思い切り俺も強制参戦だ。

 俺は抵抗できるはずもなく、頷くしかない。

「これは天魔と人類対イレギュラーの戦争なのだ」

 最後に長官はそう言って、俺たちを見送った。

 

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