第4話

はっきり言って、入学式がどう始まったかなんてことはさっぱり分からない。何せ俺は先刻の事件の落ち込みから立ち直れるはずも無く、この衝撃は未来永劫素晴らしきトラウマとなって残るだろうとため息をつきつつ、少なく見積もってもこれからの一年間は孤独で暗い日々を過ごすこと必須だと嘆くことで手一杯だったのだ。一応隣の席で式に参加している式守嬢もあれきり一言も喋らず(式中なので当然といえば当然だが)俺がたまに重い視線を向けても、爽やかににっこりと返すだけである。

 もうわけ分からん。

 分かっているのは、俺の学校生活が終わったことだけだ。ああ、欝だ。ブルーだ。死んでやるぅ。

 底が見えないほどのネガティブシンキングにどっぷり浸かっていると、式場である体育館の右の方から騒音が聞こえてきた。何に似ているかと聞かれれば、競馬のスタート時に聞こえる馬が一斉に地面を蹴り走り始める音に酷似している。足音の様で、それも複数で、力強い。

 他の生徒も気付き始めたらしく、音のする方を見る生徒が増えてきている。

 何の音だろうか。

「この感じ……。イレギュラー?」

 そう呟いたのは、何を隠そう隣の少女だった。あの時見たような、真剣な眼差しだった。

『え~つまり、これから皆さんには充実した学校生活を送り、心身ともに大きな成長を……』

 校長先生のスピーチもクライマックスに指しかかろうというとき、ついに騒音は体育館の壁に接触した。

 ゴーンとも、ビシビシとも聞こえる接触音。同時に、歪むように揺れる建物。体育館が振動する光景はなかなか見られるものではない。

 その衝撃に全員の動きが止まった。

 壇上の校長も含め、教職員、生徒たちもざわざわと騒ぎ始める。特に教職員は異常事態と判断したのか、生徒を非難させるか否かの打ち合わせを始めている。

 父兄の皆様も後ろのほうでザワついている。騒ぎ出す輩が出ていないのが幸いだ。ちなみに、俺の親も含め、付属生だった生徒の父兄はほとんど参加していないので、ごく少数である。

 そうこうしているうちに、再び激突音がして、体育館が揺れる。

 実際問題何が起きているのだろう、などとは思わなかった。俺には、四ヶ月前に同じような経験がある。あの時は音の方を見た途端にその原因をも目撃してしまったわけだが、この破壊音、この突飛でも無さ、しかもあの時も居た少女が隣に居る。夢の話ではなくて、彼女が本当に実在しているなら、あの落書きめいた化け物も、壊れてしまったテレビ塔も、召喚された銀の毛玉も全部現実に起きたことと考えて差し支えない。

 これらから導き出される答えは、今まさに体育館に振動を与えている原因は、きっとあの落書き巨人のお友達よろしくその辺の何かであると思われる。ってことは、そうか。

 そこまで考えて、またまた気付く。

 とどのつまりは、ここにいる俺たち全員、ピンチくさいってこと、だよな。だって襲われているんですもの。

「ブリッツェン!……って、ああ、ブリッツはおうちでお留守番だった」

 席から立ちあがり勢い良く呼んでみたものの、しまったという顔でこちらをみる式守さん。彼女のこの表情は前回も結構見た気がする。

 なおも、壁をぶち破らんばかりの激突音は続いている。教員の何人かは、原因を探ろうと体育館を出て行った。やめておいたほうが良い。俺の予想が正しければ、心臓の弱いお年よりなら心臓麻痺もののサプライズに遭遇できるから。

 一般生徒は、壁の方を見たいやら、突然声を上げた美少女が気になるやらであっちとこっちを交互に見ている。

「うわあああ、ちょっと、大変です。警察を!いや、消防車?自衛隊か?」

 完全に錯乱したことを怒鳴りつつ入り口から走ってきたのは、先ほど外に様子を見に行った教諭だった。だから、言ったのに。いや実際言ってはいないけど。

「くっ、このままだとパニックになるわね」

 少女は言って、俺のことをそれはそれは勇ましい眼で見る。

 俺をみても何も出てこんって。

「狭山君、一緒に来て」

 彼女はボケッとしていた俺の手をつかむと、そのまま引きずるように引っ張って、体育館の入り口へと走った。意外にパワフルなことに驚く。華奢な体つきの割にはすごい力だ、って、痛い痛い、引っ張られている俺は椅子を避けきれずガンガンぶつかりながら進んでいる。強引に手を引かれて途中、尚も一回こけそうになりながらもすぐに外へと出る。軽く角を曲がってみると……いたよ。思ったとおりのヘンテコさんが。

 黒いシルエットは馬のようで足がいち、にい、さん……四対、八本もある。ええと、確か北欧の神オーディンの駆る馬は、スレイプニルという名の足が八本ある神獣だったっけ。昔やったゲームに出てきたから良く覚えている。まぁ、今はどうでも良い話だな。

「狭山君、協力してくださいね」

 式守さんはこの前同様覚悟を決めた面持ちで言った。

 協力してといわれても、残念ながら俺にはどうすることも出来ないよ。

「プリーズフォワード!」

 始まった。また今回も彼女の魔法が炸裂するようだ。見ているとやっぱり何も無い宙から魔法の杖、基、スティックが現れた。シュピーン、なんて効果音があったならなお最高だ。

「大丈夫、ここから動かないでいるだけでいいですから」

 式守さんはそう告げると、空より取り出したスティックで地面に円を書き始める。俺と彼女が十分に入れるくらい真ん丸い円を。

「よし! この半径三メートル以内にエネルギーフィールド展開」

 うむうむ。同じ展開である。俺は特にやることも無く、また抵抗する気にもならずに少女の行動を見つめていた。

 あのクリスマス・イヴと同じだ。違うのは、あの小っこい鹿モドキがいないのと、対する敵が足の多い馬であることだ。待てよ。同じということは、もしかすると……。

「ドレイン!」

 ちょっと待った!と言いたかったが、遅かった。少女のかけ声とともに、俺の体力はガクンッと吸い取られる。耐えられずにまたもや俺は膝を突いた。

「彼の者の力を糧に、汝を欲す。闇を切り裂く銀白の獣よ、我が呼びかけに応えよ!」

 杖をクルクル、表情は真顔。

「天・魔・降・臨!」

杖をつくと、円が光り、煙と一緒に何か出る。神々しく光る先には丸っこいのがいた。でも丸っこいのは本来のものとは違うのではなかったか?

「シルバーファング!」

 少女は自信に満ちた様子で、召喚されたモノを見る。そして、大きなため息をつく。いつかのデ・ジャブだ。

「ああっ、またやっちゃった……」

 ほらね、失敗だ。今回も、「シルバーファング」ではないものが出てきたらしい。

「ワオーン!」

 今回も手違いで呼ばれたヤツは、前回に劣らずやる気満々な声を上げる。

「……弾丸に変身」

 明らかに期待の無い声で命令してみる式守さん。

 機敏な動きでその要望に応え、くるりと丸まる銀のモコモコ。やっぱりさっぱりちょっと大きな毛の生えたビーチボールみたいだ。

「ハァ……」

 式守さんは可哀相なくらい深いため息を吐くと、次の瞬間には目を光らせた。

「トランス・九番アイアァァァン!」

 冗談とかモノの喩えではなく、式守さんの目は光っていた。ヤケクソだよな、今回も。

「ハイパーエクセレント・インパクトォォォォォォォ!」

 透き通った可愛らしい声を百二十パーセント張り上げて、懇親の、いや、渾身のパワーショット!

 カキーン!

 もちろん、インパクト時には案の定「ゲフゥ!」というダメージ声が聞こえた。

 この前に比べると、遥かに距離が近いので外れるわけも無く横っ腹に命中。そのまま見事に打ち抜いて、丸い穴を開けた。

『グォォォォォォォォォォォ!』

 八つ足の真っ黒馬は、愚めき声を上げると、動きを止めていつかの巨人のように蒸発していった。

「ふふっ、ミッションコンプリート」

 親指を立てて、勝利宣言。

 そして、スマホ電話をとりだして、

「あ、もしもし、隠蔽班ですか?ええ、そうです。イレギュラー反応があったところです。ええ。はい、はい。怪我人は出てません。前回の彼から今回もエネルギーを採取しましたので問題ありません。はい、では。ああ、そうだ……」

 また組織に電話か。

 俺はまだ動けない状態だよ。こんなところまでこの前と一緒さ。

「はい、ごめんなさいね。今応急処置をしますから」

 スマホ電話をしまい終えた彼女はそう言って俺の前にしゃがみ込んだ。目線が同じ高さになる。

「あ、あのさ、これって、なんなの?」

 息も絶え絶え、そう聞くと、

「説明すると長くなりますが、あなたには話すことが義務付けられましたのでお話します。でも、まずは手当てをしなくては」

 少女は両手を伸ばすと、俺の頬を左右から包み込みこともあろうか、目を閉じて顔を近づけてきた。

 これってもしかして、もしかするのか?いやいや、いくらなんでも、そんなうまい話あるわけがない。とか思っている間にも、彼女の顔はどんどん近づいてくる。うわっ、こんな可愛い子にキスされるなんて、これはクラスで孤立しただけの見返りはあるかも。鼻と鼻が触れそうになるところで、俺は目を閉じた。

 さぁ、こい。柔らかな唇よ。

 ………………。

 …………。

 ……。

 ん?

 俺の触感が反応したのは、唇ではなくおでこだった。薄く目を開けてみると、式守さんの顔がドアップだった。綺麗な肌しているな。シミ、そばかすはもちろんホクロの一つもない。そう、俺と彼女は今、おでことおでこをくっつけあっているのだ。

 冷や汗をかいていた額だが、なんだかひんやりしてきて気持ちがいい。応急手当とは、これのことだろうか。何がどうなって手当てなのかさっぱりだが、心地よいからいいや。俺はそのまま、意識を失った。

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