第3話
季節は四月。なのにまだまだ絶望的に肌寒く、春とも呼べない寒風が吹き荒れているのは、ひとえにこの地域が北に位置しているからであり、その分気温が著しく馬鹿になっているからである。
とは言え、数日間続いた快晴によって残っていた雪はほとんどなくなり、ぱっと見はすでに雪国かどうか判断しにくくなってきている。
寒かろうが、花がつぼみだろうが、俺のやる気がなかろうが、お構いなしに今日は入学式が決行される。
思えば中学三年生の三学期は笑えるほどに何もエピソードがなかった。別に特別なイベントがあるわけじゃないし、受験組はそれどころじゃないわけだし、俺たちは犯罪さえしなければ遊びほうけていても無条件で高校生なれるのだから、適当に遊び倒しているだけですぐに卒業式の日になってしまった。中等部の校長の話を聞いて、卒業生と在校生の一連のやり取り、理事長の話。別に理事長とは、数週間後にまた会うのだから、いいじゃないか、とも思うが本校に上がらない生徒はここでお別れなので仕方がないと思い留まる。
別に感動することもなく、証書を受け取り、なんとなく卒業式っぽい写真を数枚撮って、無事中学生終了。
そんなこんなで、本日に至る。
さらば、平凡でファンタスティックのかけらもない中学生活よ。そして、平凡でファンタスティックのかけらもない高校生活よコンニチハ。
つまらん。ホント、中学が高校になるだけだ。おまけに今回の生活の終末には、大学受験とかいう厄介なものまである。その分中学よりよろしくないではないか。
なんて、嘆いたところで何も変わらない愚痴を溢しつつ、俺は新しい校舎に向かう。今までの中等部のあった敷地を通り越して、三百メートルほど進むと見た目にも結構立派な校門が見える。そのまま歩いていくと、なかなか大きな校舎が三つと体育館らしき建物が密集している場所がある。
ここである。俺は特に気合を入れるでもなく、その門をくぐり、クラス割の張り出されている玄関を目指す。
掲示板の前にはすで人だかりができていて、よく見ると知った顔がたくさんあった。案の定だ。
自分のクラスを確認するだけなのに、なぜ人だかりができるのだろう。さっさと自分の名前を見つけて、教室へ行けばいいのに。溜まる意味がわからん。
俺は数人の頭越しに名前を見つけることにする。
う~んと、あった。四組か。
目的を果たした俺はそそくさと靴を履き替え、教室を詮索。何しろ慣れない構造の校舎だ。気をつけないと迷うことになりかねない……あっ、あった。
俺の懸念もどこ吹く風、あっさり見つかってしまう我が教室。相変わらず俺の人生は何事もないな。ふふっ、少し迷いたかったような気もするよ。
目の前のこのドアを開けてみても、どうせ知った顔だらけなのだろう。エスカレーター式で上がる生徒が七割、外部生が三割という比率から考えてみても、それは容易に想像がつく。
ガラガラ。
「よ、敏樹。お前もこのクラスか」
入るなり俺の名前を呼んだのは、中等部のとき三年間とも一緒だった友人の相良将一だ。
「おう、お前もか。他は……」
そう言って、当たりを見渡してみる。ほう、知っている奴はもちろん多いが、意外に外部生も多かった。
予想よりも知らない奴らがいたことに若干浮かれる俺だが、その中に少しばかり不可解なものを確認してしまった。
否、普通にいたら不可解でもなんでもないのだが、俺にとっては十分に首を傾げたくなる人物がそこにいたのだ。もう四ヶ月も前の話であるが、いくら記憶力の悪い俺でも早々容易くは忘れられない顔だ。しかし、それを本能的に拒絶した俺は音速で見なかったことにする。
視界から都合のよろしくないものをかき消したところで、自分の席はどこであろうかと、黒板を眺めてみた。おそらく出席番号順であると予測されるその席順の十五番と書かれた下に、『狭山敏樹』の名を見つける。
廊下側から二列目の、後ろから二番目って……ハァ……。
座るべき席を見て、嫌な予感がしてその隣を見て、俺は今月最大のため息をついた。そこには、先ほどスルーした人物が座っていたからだ。
両サイドだけ綺麗に編まれた濃い栗色の長い髪。パッチリおめめに小さなお口。輪郭は芸術的で、なんとも全体的に柔らかい雰囲気を纏う不思議な美少女。いつかに見た白昼夢の少女ではないか。
そう思ったところで、俺は頭を軽く左右に振った。
くそっ、またか?また朝っぱらから幻覚か?そうでなければ、もうすでにどこかの段階で俺は眠ってしまっていて、あのクリスマスイヴの日に見た訳の分からん夢の続編を見ているに違いない。
やばい、誰か早めに起こしてくれないか。入学式が始まるまえにさ。
そんな風に、独りピンチ状態に陥っていると、俺の視線に気がついたのか、例の少女がこちらを見た。
うむ。やはり申し分なく可愛い。それは認めよう。まぁ、俺の妄想が作り出したのだから、可愛くて当たり前か。願望願望。
「あ、隣の席の方ですか?」
硬直している俺に向かって、少女の透き通った声がかけられた。
ええ、そうですとも。魔法少女さん。
「わたし、式守紗(しきもりさ)友里(ゆり)です。よろしくお願いしますね」
丁寧な物腰でにっこり。完璧な自己紹介を遂行されてしまった。いかんいかん、これは夢だ。幻だ。こんなばかばかしい空想に浸かっている場合ではない。俺は自分の頬をつねった。
痛い。
ちょっと焦って、今度は自分の頬を平手打ち。
ひりひり痛い。
かなり焦って、更にはグーで殴ってみる。
ズーンと痛い。
ええい、こうなったら某なんちゃら神拳奥義、百列拳だ!
「あ、ちょっと、何してるんですか、やめてください」
両手を握り締めて構えた俺を、困った表情で止めに入る少女。式守紗友里だっけか。
「止めてくれるな。俺は今、幻覚を見ている。もしくは夢を見ているんだ。だから起きなくてはいけない。正気に戻らなくてはいけないぃ!」
気を取り直して拳に力を入れる。
「ちょ、ちょっと待ってください。ここは現実です」
俺の腕を引っ張って説得する式守さんは、その後耳元で小さくささやいた。
『混乱されているのは分かります。あとで説明するので今はとりあえず落ち着いてください』
そこで、俺はやっと正気に戻って少女を見た。彼女は素早く一指し指を立てて『シー』と内緒のポーズをして見せる。
何だって? ということは、あの日の奇怪な出来事は夢じゃないのか?
珍しく俺の頭が良い回転を見せたところで、俺は一つ気がついた。それは夢だと思っていた事件が現実である可能性が出たことでも、目の前の少女がやっぱり疑いようも無く可愛いかったことでもなく、俺を見るクラスメイトの眼差しであった。
奇妙なものを見る目。可哀相と哀れむ目。その他諸々。
確かに、入学式前のクラスにおいて、美少女を前に自分を殴り、意味不明なことを呟けば、誰だって一歩引く。一歩どころか、百歩でも二百歩でも引きたくなる。
俺は周囲を見回して苦笑いをした。
終わった。俺の高校生活は終わってしまったよ。変な奴とか変わった奴とかのレベルじゃない。やばい奴、もしくは病気だと思われたに違いない。
父さん、未来が真っ暗になりました。
俺は肩をがっくりと落とし、黙りこくって彼女、式守紗友里の隣に座る。
あたりからは非難の目とヒソヒソと話す声が聞こえる。ああ、なんてことだ。俺の平凡でありきたりな人生は、一気に悪い方向へ転げ落ちてしまった。非現実を望んだりもしたが、悪くなってくれとは言っていない。ちゃんと断っておいたじゃないか、悪くなるなら今のままで、ってさ。
なのに……。
十六年で一番の絶望に浸っていると、教室のドアが勢いよく開いた。もちろん入ってきたのは担任の先生(多分)だった。どうやら入学式が始まるらしい。
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