第18話 思惑(3)
業さんが僕と碌君の顔を確認してから再生ボタンを押す。録音ファイルのタイトルは「ファイル1」とだけ表示されていた。しばらく無音が続いてから男の声が聞こえた。
『お、おい!なんだお前!どうして!?』
男は随分と取り乱している様子だった。その声色によって空間に緊張が走る。
『やめろ!来るな!あ、あああああああっ!』
音声に音割れが生じるほどの絶叫が耳をつんざく。僕は思わず顔を背けた。二人の表情を確認すると、揃って眉根を寄せて苦い顔をしていた。
男の断末魔の後に、何かが割れる音や倒れる音など、揉み合いになっているような慌ただしい音声が流れる。そしてその後、湿り気のあるものを潰した時のような形容しがたい音が微かに捉えられていた。その気味の悪い音に紛れて、男の呻き声が混ざっている。あまりにも衝撃的な音声に、胃からせり上がるものを感じた僕は慌てて唾を飲み込んだ。
ぷつっ、という音と共にそこで録音は終わっていた。ほんの数秒だけの音声だった。
詰まる息を大きく吐き出す。僅かに震える手を握りしめ、僕は助けを求めるように業さんを見た。
「大丈夫かい?しかしこれは……」
業さんが言葉に詰まる。数々の事件に関わってきたであろう業さんでさえ青ざめた顔をしていた。
「恐らく化け物に襲われたんだろう……。これを実際にこの研究員は机の収納スペースに隠れて聞いていたんだろうね。あんな風に気が動転してもおかしくない」
業さんは眉間に皺を寄せたまま、止血処置が終わって横になっている研究員を見やった。
「目が覚めたら詳しい状況を聞こうか。それまでは各自捜査を続けて。何かあったらまた呼ぶから」
業さんの指示で一旦持ち場に戻ることになった僕は、部屋の隅に立てかけられてあった低い脚立を手に取って先程まで居た研究室へ戻った。
戻ったはいいものの、あんな音声を聞かされた後に、まともな精神で捜査できるとは思えなかった。現に今もまだ手が震えている。事件直後の現場を見ていないので本当のところは分からないが、きっとあの音声の研究員は身体中を引き裂かれるなりされて死に絶えたのだろう。想像するだけで吐き気と寒気に襲われた。
──一体ここで何があったんだ。事件の鍵となる人型の化け物とは一体何なんだ。何一つ分からない中、漠然とした不可視の恐怖だけが荒波のように押し寄せてくる。
このままでは駄目だ。何がなんでも真実を知らなければならない。ボイスレコーダーを持っていた研究員が言っていた、「施設の人間が犯した罪」というのも気がかりだ。この恐怖から逃れるには事件を解決するしか方法はない。僕は両の拳を握りしめ、決意を固めた。
気を取り直して捜査を再開する。さっき気になっていた赤いファイルを取るために、さっそく足元に脚立を設置した。案の定余裕でファイルに手が届く。ファイルは見た感じよりもずっしりと重く、厚みがあった。
中を覗くと、ジャンル毎に整理されたスライドや写真などが大量に保存されているようだった。
ファイルが重いので机の上に置いて中身を詳しく確認することにした。
一番最初のページに記されている「
かなり長い文章が書かれてあったが、専門用語をほとんど無視したためあっさりと読み終わることができた。この項目の内容を自分なりに繋げて、頭の中で整理する。
まず、とある山奥で新種のカビを発見したとのことだった。そのカビは主に木々を媒体として、周辺の草木にまで寄生していたらしい。そのカビに寄生されていると思われる木々は、樹皮が所々黒く腐ったように変色し、また、葉の薄い草などは真っ黒になって枯れてしまうという。
樹皮が黒くなる菌だからそのまま「黒皮菌」というわけか。知識がなくても分かりやすいネーミングだ。
そして、その文章の下には、実際にその山奥で撮られたであろう写真が添付されていた。確かに文章の通り、鬱蒼と生い茂る草木が黒く変色している。見たこともない状態の木々の写真を見て、僕はただならぬ不穏さを感じた。
脳内でこの項目の序章を作成し終わると、次は「黒皮体の経過観察」という項目を確認していく。黒皮体……。なんだか雲行きが怪しくなってきたような気がする。そのままページをめくると、嫌な予感は的中した。右ページには先程と同様に長い文章が書かれていたが、問題は左ページ一面に添付されていた写真だった。
そこには、皮膚が真っ黒に腐ったラットの写真や、蛙の写真などが大量に貼り付けられていた。僕は、あまりの悲惨さに勢いよく机から飛び退いた。その衝撃で背後の棚にぶつかる。危うく棚に積まれたダンボールの山が転げ落ちてくるところだった。
この会社は一体何を作り出そうとしていたのだろうか。今はまだ真相の核たる領域に踏み入ってはいないが、確実に何か重要な要素に近づいている気がする。そして、この非人道的な実験が今回の事件の鍵を握っているに違いないと、直感でそう感じた。
僕は、乱れる呼吸をなんとか鎮めて、もう一度ファイルを覗く。実験体にされた動物の体はどれも黒く変色しており、腐敗して腹から内臓が流れ出ているものまであった。何度見ても慣れるものではなかった。
ほとんど目を閉じた状態で、これ以上衝撃的な写真がありませんように、と心の中で願いながら恐る恐る次のページをめくる。だが、そんな願いも虚しく、そこには更に信じられない光景があった。
「に……人間だ」
思わず両手で口元を押さえる。暫くそのまま静止して、考えを巡らせる。
──間違いない。この写真に写っている黒い人型の物体……。これは人間だ。他の霊長類の形ではない。とうとう人間を実験に使ったのだ。恐ろしい想像が脳内を駆け巡る。背筋が凍るように冷たい。それなのに頭から汗が流れ落ちてくる。伝えなくては。今すぐに誰かに伝えなくてはならない。そう思うものの足がすくんで踏み出せない。声を出そうにも声帯が強ばってしまって、掠れた音しか出なかった。
僕はただ必死に瞼を固く閉じて、首ごとその写真から視線を逸らした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます