第6話 契約

「さっきから何ちらちら見てんだ」

 本部へと向かう車内で、先に口を開いたのは半田だった。

「え、いや!何でもないですよ!何でもないです……」

「何かある時の言い方だろ」

 はあ、と深いため息をついてから運転席の土間を睨んだ。

「に、睨まないでください」

 半田は、土間のおどおどした態度が気に食わなかったのか、更に顔をしかめて大きめに舌打ちをした。

「……お前、一年前に起きた日ノ山一家殺害事件、詳しく知ってるか」

 やがて観念したのか、一年前の事件について話し始めた。

「あ、はい、大体ですけど知ってます。担当の隊員が次々に辞めていった事件ですよね。祐希君のご家族が惨い殺され方をした……」

 土間は、そこまで言うと言葉を詰まらせた。

「あの事件、最初は捜査局の担当だったんだが、急に局長命令で防邏軍が担当になってな。事件が起きる数時間前に捜査局に匿名の通報があったらしいんだ。弟が虐待されてるってな。住所を教えるから助けに来てくれと。それで次の日、捜査局が虐待の有無を確認しに行くことになってたんだ」

「まさか、祐希君のことですか?」

「そうだ。おい、前見て運転しろ」

「あ、はい!すみません」

 驚いて勢いよく半田の方を見た反動で、土間の運転が一瞬荒れる。

「まあ通報は匿名だったが、が虐待されてる、と言っていたことから通報したのは姉の日ノ山千尋だろうな」

「お姉さんは虐待の被害にあっていなかったんでしょうか?」

「祐希君程ではないが、姉も虐待されていた。よくあるパターンとして、まず家族の中で一人だけをターゲットにする。そしてそれ以外の人間で虐待の事実を隠すんだ。万が一ターゲットを助けようとする者や、虐待を口外するような者がいれば、その人間にも同じように罰を与える。恐怖による洗脳だな」

「つまりお姉さんは……助けたくても助けられない状況だったってことですか?」

 土間は、左手の人差し指を顔の前で立てて名探偵の助手のように半田の話に合いの手を入れた。

「まあそうだな。暴力が日常化した状況で大人二人に歯向かうなんて、相当の勇気がいるだろうしな。匿名の通報も、見つからないように隠れてかけたんだろうな」

「……そんなの、許せないですよ」

 土間は怒りで肩を震わせ、突然握り拳を作ったかと思えば、ダン!とクラクションを叩いた。

「おい!何してんだお前は。情緒不安定すぎるだろ。このまま病院に寄ったほうがいいんじゃないか」

 珍しく驚いた表情を見せた半田だったが、すぐにいつも通りの仏頂面に戻り、土間に雑言を浴びせた。

「だって許せないですよ!」

 半田が発した嫌味も全く聞こえていないのか、土間は怒りをあらわにしたままアクセルを強めに踏んだ。

「落ち着け。……許すもなにも、もう全員殺されてんだろ。死者を恨んだって何の意味もねえよ」

 土間は、半田の憂いを帯びた物言いに少しだけ冷静さを取り戻し、それからある疑問を抱いた。

「そういえば……犯人ってまだ捕まってませんよね?」

 先程よりも声色は落ち着いているものの、納得していなさそうな表情はそのままだ。

「ああ。目星はついていたんだがな。消息が途絶えてから一年が経っちまった」

 半田は、よれよれのジャケットの内ポケットから煙草の箱を取り出しながら、眉間に深い皺を寄せた。

「事件の第一発見者は日ノ山祐希。取り調べは俺が担当した。その時に教えてもらったんだよ。犯人の顔と名前と、諸々全てな」

「へえ、そうだったんですね……って、ええ?!」

「だからさっきから何だよお前は。うるせえなあ」

 もともと下がっている口角を更に下げ、運転席で騒ぐ土間に不機嫌そうな眼差しを向けた。

「何だじゃないですよ!えっ、僕そんなこと一言も聞いてませんけど!犯人分かってるんですか?!」

「一年前から分かってる」

 一人でパニックになっている土間の質問をひらりと躱し、慣れた手つきで煙草に火をつけると、フロントガラスに向けて、ふう、と煙をぶつけた。

「え、ちょっと待ってください。もしかして知らなかったの僕だけですか?」

 急に不安になったのか、土間は無理やり作った引き攣り気味の笑みで尋ねた。

「いいや、このことは俺しか知らない」

 そうだ、知らないのはお前だけだ。のセリフを待っていた土間は、呆気に取られた顔をして半田の顔を見たままフリーズした。

「おい、何回も言わせるな。前を見て運転しろ」

 土間の視線を鬱陶しそうに避け、フロントドアガラスの向こうへと目をやった。防邏軍本部へ向かう道はオフィス街なので、ほとんどビルしか建っていない。

「契約みたいなもんだよ」

 そう小さく呟き、おもむろに助手席の窓を開けると、車内に充満した煙草の煙を外へと逃がした。

「あ、ちょっと!副流煙、外に流したら駄目じゃないですか!」

「お前ほんと真面目だな。軍より捜査局の方が性に合うんじゃねえか」

 半田は、土間の意識が一年前の事件の話から一瞬だけ逸れたような気がして、ここぞとばかりに別の話題へ変更しようとした。

「そういえばお前何でわざわざ軍なんかに入ったんだよ。絶対向いてないだろ」

 土間の怒りを買う為に、わざわざ余計な一言を付け加える。

「そんなこと言わないでくださいよお、僕だってね……ってそんなこと今は関係ないですよね?てか、今話逸らそうとしましたよね?」

 むう、とわざとらしく頬を膨らませて、面倒くさい彼女のような顔で半田を上目遣いで見つめた。

「気持ちわりいからその顔今すぐやめろ」

 普段より冴えている土間の勘のせいで、上手いこと話を逸らそうとした半田の作戦は失敗に終わった。

「で、契約って何です?ここまで来て話さないのは意地悪ですよ」

 半田は、この期に及んで話さずにいるほうが大人気ないような気がして渋々口を開いた。

「単純なことだ。あなたにだけ犯人を教えるので、誰よりも早くそいつを捕まえてくれと言われた。そして、教えた情報は誰にも漏らさぬようにと」

「え、でも本部に報告もしないで勝手に単独調査するのって、軍の規律違反ですよね?」

「ああそうだな」

 今まで一人で背負っていた肩の荷がおりて吹っ切れたのか、どこか清々しささえ感じる物言いだった。

「そうだなって……半田さんからそんなこと聞かされたら僕も同罪じゃないですか!というか契約なら僕にも言っちゃ駄目なんじゃないですか?」

 強制的に半田の共犯者にされた土間は、というなんとも不穏な単語が脳裏をよぎって頭を抱えた。せっかく軍に入ったというのにこんなとばっちりで処分を食らうなんてありえない。

「で、お前は俺を告発するのか?ん?」

 煙草の煙を口中でふわふわと漂わせ、人の心を見透かすような、光の差さぬ黒い瞳で土間の目を凝視した。

「え、え、いや、その、へへへ」

 土間は、蛇に睨まれた蛙のように体を硬直させ、どうしようもなく情けない笑いをこぼした。

「まあ告発したところで、知ってしまった以上お前も同罪だがな」

 半田はというと、助手席のシートにゆったりと腰掛けて余裕の表情で煙草をふかしている。

「……言いませんよ、誰にも」

「言いませんじゃなくて、だろ」

 土間は、図星すぎる半田の言葉にわざとらしくがくっと肩を落とした。

「まあ、そもそも僕は半田さんを売ったりなんか絶対にしませんよ。恩人ですから」

「……」

 半田は、土間の言葉を無視して残りの煙草を一気に吸い、車内の灰皿で火種を消すと、伸びたうねうねの前髪を両手でわさっと掻き上げた。

「あれ、半田さん聞いてます?」

 土間は、やけにニヤニヤしながら半田の顔を覗き込んだ。

「え、今もしかして照れて——」

「おい、今の角を右折だ。本部過ぎちまったじゃねえか」

「ああすみません!うわあ!ごめんなさい!」

 土間は急いでハンドルを切って、一つ次の角を右折した。

「はあ……しょうもねえこと言ってよそ見してるからだろ」

「ご、ごごご、ごごめんなさい」

 さっきまでのニヤニヤ顔がなんとも哀れで悲壮な表情へと一変した。

「まあいい。ついでにそこのコンビニ寄ってくれ。なくなっちまった」

 半田は、煙草の箱を指でコツコツと鳴らしながらコンビニを顎で指した。朝から大量に消費したせいで、とっくに箱の中は空だった。

「じゃ、頼んだ。ワンカートンな」

「は、はい。なんか僕パシリ——」

「ん?」

 土間は、半田が放ったたったの一文字に、言おうとしたことをグッと喉の奥へしまい込み、なんでもありません、と即答してダッシュでコンビニへ向かった。

 二分程で半田のもとへ戻ってくると、煙草ワンカートンと、ご機嫌を取ろうと思って買ったブラックの缶コーヒーを助手席の窓から手渡した。

「……これじゃねえ」

「えっ?」

「これ、オリジナルのココナッツミルクフレーバーのやつだろ。俺ココナッツ無理なんだよ。いつも吸ってるのはグレーのパッケージのカカオフレーバーだ」

 瞬きもしない死んだ魚のような目で見つめられた土間は、一気に青ざめて大量の冷や汗をかいた。

「すっ、すっ、すみません!今替えてもらってきます!」

「……もうこれでいい」

「え、でも」

「これでいい。帰るぞ」

 土間は、珍しく自分の失態を見過ごしてくれた半田に驚きながらも、すみませんすみませんと言って運転席に乗り込んだ。

「あとな、俺はブラックが飲めない」

「ええっ?!いつも飲んでるのブラックじゃなかったんですか?!」

「ミルクも砂糖もたっぷりのカフェオレだが」

 半田の佇まいから勝手にブラックコーヒーが好きだと思い込んでいた土間は、あまりのギャップに放心した。

「何だ、おかしいか」

「いえ!おかしくないです!」

 真顔で尋ねられた土間は、即座に否定した。

「カフェオレ、買ってきますね」

「もういいって言ってんだろ。早く戻るぞ」

「いや、でも流石に申し訳ないんで……」

 それでも買いに行こうとする土間を見た半田は、急いでプルタブを引っ張り上げ、そのまま一気に飲み干した。

「うん、たまにはブラックも……良いな……」

 コーヒーの苦味に眉を八の字にして、誰もが嘘だと分かるセリフを吐いた。普段から生気のない表情をしているが、今回に限っては顔色がもはやグレーに見えた。

「よし、本部にっ……戻るぞ」

「はい。あの、なんか、すみません」

 土間は、今にもむせ返りそうな話し方をする半田をちらちらと視界の端で捉え、罪悪感を湛えた表情のまま、防邏軍本部へ戻るためにコンビニの駐車場から車を出した。

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