第34話 明治神宮の御杖代

 リリィは、ことのあらましを話しながら誘拐された時のことを思い出そうとしていた。


 相当頭にくるし、そもそもそこまでよく覚えていないのだが、何か気になることの一つくらいはあったような気がする。

 間違いないのは、表参道から原宿駅横の橋の上にたどり着いたところで、何かの術式を使える連中に囲まれたことだ。奴らは大胆にも、原宿駅横の橋の上にお札を貼り、結界を強めて私の術式を弱めてきた。

用意周到に計画されたた上に不意打ちで、かなりの人数で押されれば、いくら私でも対抗は難しい。それを思い出しただけで無性に腹が立ってきた。ああ、目の前の幼気な少年に当たってストレスを解消したい。いや、凪からいるからそれはダメだ。


 ええと、何だ、そう。奴らは結界で民間人を近づけないようにもしていた。

 

 奴らは黒尽くめの格好で変な仮面をつけていて目立つのだが、私を誘拐するのに要した一分ほどの間、あれだけ多くの人が行き交っているにも関わらず、誰も彼らを気にかけなかった。これは結界が相当に効いていた証だ。

 車の中で話しをしていた声のほとんどが男性だったが、一人だけ女性がいたのは記憶している。声の感じからするともしかすると子供だったかもしれない。

 カーテンで窓を塞いで風景を遮断した車に乗せられ、銃を突きつけられながら走ったのは覚えている。表参道で拉致されてからかなりの時間車に揺られていたので、私の身体が拉致されている場所は恐らくは都心ではないと思う。

 もう一つ、何か忘れている気がする。


 そこがえらくモヤモヤするが、まずは雄二くんに説明するのが先だ。


「私を誘拐した組織の名前は私も知らない。しかし、私は奴らの一人が『ひおい鶴』の付いたお守りを腰に付けていたのを見逃さなかった。そこから、たまに聞こえる奴らの会話を聞き、自分の置かれた状況と奴らの目的を割り出した」

「ええと、『ひおい鶴』とは?」


 九尾の狐に選ばれた人物なのだから、もう少し日本について知っていてほしいと思うが、一般の中学生にそこまで求めるのは酷だろう。と言っても私だってそう年は離れていない。まあ、環境の差は仕方がないところだ。


「『ひおい鶴』は、石見国一宮である物部神社の御神紋だ。素人がわざわざそんなものをぶら下げている訳がない。それに『犬』が私の魂を抜き出す時、『石見の夢に神降ろしの依代として使われる少女よ』と呼びかけられたので、私の話は概ね間違っていないはずだ」

 

 それしかないヒントでここまで分析ができるとは、リリィ恐るべし。


 すると、それを聞いた凪が話しを始めた。

「ふーん。物部氏ねえ…折角政治の中心にいたのに蘇我一族との戦争に負けて追いやられた上、日本に仏教がたくさん入ってきたからね。それの復讐もあるんじゃない」


 凪がいつの時代に生きていたのかは分からないが実に色々な事を知っている。


「乙巳の変の話しだよね?」

「そのちょっと前だね。物部氏は神道推しだったけど、蘇我氏は仏教推しだったの。結果、あの時のトレンドは仏教になったのよ」

 とってつけたような現代風表現だが、何が起こったのかはよく分かった。

「なるほど。海人族の話しでもそうだったけど、物部氏は頂点に立てそうで立てなかった一族なんだね」

「そうだねー。勝つのは大変なんだよ。蘇我氏も一度は頂点に立ったけど、藤原氏と天皇家に反逆起こされてやられたよねー」

 ん?今しれっととんでもない事を言わなかったか?今の天皇家が、当時大王だった蘇我氏から政権を奪ったような言い方だったが…まあ、気にしない気にしない。

 見ればリリィも凍りついた顔で凪を見ている。


 僕とリリィは顔を合わせて、これは聞かなかったことにしようと目で合図しあった。


「こほん。蘇我氏所有の天皇記(すめらみことのふみ)や国記(くにつふみ)が焼失したことから本当のところは分からないが、蘇我氏との戦いに敗れて物部氏が没落したのは歴史的な事実。もしかすると本当の史実は蘇我氏が大王で、その前は物部氏が大王だった可能性もある。あるが、それはもう分からない以上、触れても仕方がない」

 そうリリィは締め括って話を終わらせにかかった。


 しかし、凪がまた口を開く。「あ、それはね」


「うわ、凪ちゃん!!ストップストップ。それ以上は言わないで」

 リリィは慌てて凪の口を両手で塞いで話しを止めた。

「もごもご…何れ?」

「世の中には知らない方がいいことがたくさんあるのだ。それに、物部氏の正当性を補完するような話しなら、これからの戦いに支障がでかねない。そんな話しを、私たちは絶対に聞かない方がいい」


 おーなるほどという顔をした凪は、細かく何度も頷いた。これを見たリリィは凪の口から手を解いた。


「それもそうだね。言葉にすると呪にも関わるし、もう終わったことだもんね」と言いながら、凪は口にチャックをするジェスチャーをした。そんな昭和な表現をどこで覚えたのだろうか?


 リリィは脱線した話しを元に戻す。

「ええと、話しが逸れた。後は…そうだ、斎王についてもう少し深く話す。君は元伊勢という言葉を聞いた事は?」


 僕の呼び方は『君』に統一されたようだ。これは仲良くなったと受け止めて良いのだろうか?


「いや、ないです」

「まあ、そうだろうな。伊勢神宮が今の形になった前段の話だ。そこには、倭姫命(やまとひめのみこと)と豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)と渟名城入姫命(ぬなきいりびめのみこと)の三人の姫が出てくる」


 う…一人も分からない…


「まあ、実際に斎王という制度ができる遥か前の姫たちで、彼女らが今の伊勢神宮と大和神社(おおやまとじんじゃ)を成立させるきっかけとなった三人だ。ところで、君は、伊勢神宮に天照大神の御神体の八咫鏡があるのを知っているか?」

「いや、知らないです」

「ふむ。まあいい。八咫鏡は元々皇居の中にあった。しかし、崇神天皇の御代に国内情勢が不安になったのは、居所に天照大神と倭大國魂神を同時に祀ったのが原因とされてしまったのだ。

 崇神天皇は直ちにそれぞれの御神体を皇居から出した。天照大神を託された豊鍬入姫命は、八咫鏡を笠縫邑(かさぬいのむら)に祀った。同じように倭大國魂神の御神体も渟名城入姫命に市磯邑(いちしのむら)に祀らせたがこれは失敗したと記録に残っている。倭大國魂神も相当な神なので、いかに渟名城入姫命と言えどうまく御せなかったのだろう。倭大國魂神は、後に三輪山の大物主を祀ることで解決を見た。さて、斎王の話しなので、倭姫命の話しに戻そう」


 ああ、この話か。そう言えば以前に源信さんがこの話をしていたなと思いつつ、僕は「はい」と答えた。


「豊鍬入姫命倭姫命は必死に八咫鏡を祀ろうとした。三十三年間もの間、笠縫邑に天照大神を祀ったのだが、結局うまくいかず、仕方なく丹波国へと移動した。そこでもうまくいかず大和国、紀伊国、吉備国と周り、最後に大和国に戻ったが、完全に祀るには至らずその後を倭姫命に託した。

 倭姫命も伊賀、近江、美濃、尾張など様々な場所で八咫鏡を祀ったとされるが、天照大神という最強の怨霊神を恐れ、場所場所で恒久的に祀る事を断られてしまった。これは仕方ないだろう。ただ、天照大神もここは私を祀る場所ではないと倭姫命に言ったようだがな。当然、天照大神の御神体を祀る場所の選定は難航した。倭姫命はそれでも諦めなかった。これをきちんと祀らなければ、日本が当時最強とされた怨霊にメチャクチャにされてしまうからだ。倭姫命がこうして回った地域、特に神社仏閣は、元伊勢と呼ばれている」

「なるほど。それで元伊勢なのか。伊勢に鎮座する前に色々な場所に行ったんだね」


 リリィは含み笑いをした。何でも信じこむ僕が面白かったのかもしれない。


「まあ、二人の姫が全て本当に回ったのかは分からないが、元伊勢が天照大神を祀るに相応しい静謐な場所の候補であったのは間違いない。結局、天照大神を祀る場所の選定には、二人合わせて九十年もの歳月がかかった。そして、最終的に選定された地が伊勢の地だ」

「き、九十年…」


 天照大神の神威の凄みを見た気がする。

 

 リリィの話しは分かったが、やはり天皇家の氏神が怨霊で、皇居を出された上、各地を転々としていたとは未だに信じられない。しかし、わざわざ皇居にあった御神体の八咫鏡をわざわざ外へ出して伊勢に置いたという事は、その可能性はあるとも思う。


 僕の考えている事を見透かしてか、リリィはやはり含み笑いをした。最早、隠し事などできそうもない。


「天照大神については、多くの研究家が様々な見解を出している。元々は国津神だったとか男神だったとする研究者までいる。まあ、元々がどんな神だったとしても、神威があって皇室が皇祖神とした神であるのは間違いなく、強大な祟り神であるのも間違いない。であれば、二度と出てこられないように丁寧に祀らなければならない。何度も言うが、神社とは強大な怨霊を丁寧に祀ることで鎮めている場所なのだ。ただ、荒ぶる神の神威が大きいほど我々人間の恩恵も大きい。だから伊勢は特別な場所なのだ」

「うん。分かった」


 そう。神社の中にはそういった役割を担っている場所もあるとリリィに教えてもらった。そのリリィは、明治神宮という強大な怨霊を祀っている神社に関わっているのだ。きっと明治神宮も人々に大きな恩恵を与えているはずだ。


「少しは納得したか?」

「そうだね。でも、そう考えると日本って怨霊多すぎない?」

「当たり前だ。世の中に恨みを持って死んでいった力のある人間がどれだけいると思っているんだ。一般の人だって悪霊になるし、凪のように幽体の状態で現世にとどまれる者もいるんだ」


 そう言われてしまうとまあそうなのだろうが、この世は、恨みを持ったまま死んでいく人間だらけなのだろうか?街を歩いていても悪霊には会わないのが不思議だ。


 すると、すかさず凪が解説してくれた。

「ううん。雄二くん、それは違うよ。悪霊や怨霊になるには相当な恨みを抱いている上、霊になる素養が必要なのよ。だから、歩いていて会うほど悪霊や怨霊はいないよ。でも、素養のある人間もそれなりにいるから沢山の神社があるのよ」と教えてくれた。

「あ、そ、そうなの」

 まだ何も話していないのに、凪にまで心を読まれるとは…実は顔に字面が出るように設定されてしまったのかもしれない。


 いや、待てよ。———まさかとは思うが、本当にそうかもしれない。これは、一回試してみる必要がある。


 さっきのリリィの怒った顔、めちゃくちゃ可愛いかったなあ。あれが女神みたいな顔って言うんだろうなあ。と心の中で呟いた瞬間、僕はリリィを見た。

 リリィの顔が若干赤くなった気がする。そして、隣の凪の頬が膨れた気もする。これは絶対に何かある。ヒメウツギを見るとサッと視線を逸らされた。僕はあとでヒメウツギを事情聴取することにした。


「か、かわい…ゴホン。ええと、なんだ、ええと…だな、そ、そう、倭姫命だ。元伊勢を巡行して伊勢に辿りついた倭姫命は、夢の中で天照大神のここにいたいという言葉を受け取り、今の伊勢神宮のある場所に天照大神の御神体を祀った。そして、天照大神の魂は、内宮と外宮に施された結界にガッチリと守られることとなった。その後も倭姫命は御杖代(みつえしろ)として仕事を全うし、斎宮(いつきのみや)で神仕えをした」

「み、御杖代とは?」

「ああ、すまない。最初に言えばよかった。人間の代表であり、神(天照大神)の言葉を伝える者だ。簡単に言えば、神であり人でもある特殊な人間だ。豊鍬入姫命と倭姫命は、天皇家の血筋の者だから、八咫鏡から神託を受ける神の代弁者として素質充分だ。彼女は人間の代表として神の言葉を聞き、人間に神の言葉を伝える役目を担ったのだ」

「へえ、神様が降りてきて話しをするんだ」


 僕は倭姫命が、神を憑依させてその言葉を話す姿を想像した。


「まあ、ある意味でそうなのだが、呪術師のようにトランス状態になって神の言葉を話すのではなく、倭姫命は夢などで神の言葉を聞いてその言葉を話す。おそらく君の思い描くような感じではない」

「そもそも神…というか、怨霊を降ろして大丈夫なの?」

「夢なら憑依されて精神を完全に乗っ取られることもないから大丈夫だ。それに怨霊神と言っても、祀られた状態の御霊の時は機嫌のいい時だってあるし、なんなら普段話しもできる。現世に出てくると人間の悪意を吸い取って怨霊化するのだ。とは言え、大きな御霊は細心の注意を払うし、きちんと整った環境でなければ神降ろしはしない」

「え?普段は大人しいの?神社にいる怨霊は、どうにもならないくらい物凄い怨霊なんじゃないの?」

「いや、神社の中は俗世から切り離されている世界———つまり特殊な結界の中にいるので厳密に言うと怨霊ではない。そこから一歩でも出ると巨大な怨霊になるからまずいのだ」

「なるほど」


 リリィの言う通りであれば、荒ぶる怨霊神も、丁寧に祀って静謐で神聖な場を作れば、普通に話しもできるということか。神社は怨霊神を閉じ込めておく場所という側面もあるが、神に落ち着いてもらう場所でもあるのだ。しかし、神の力が大きいとその規模も大きくなり、太宰府天満宮や出雲大社のような大きさになってしまう。と言う事は…明治神宮の大きさと規模から想像できる御霊の力は…


 リリィの目が光る。


「そう。分かってきたようだね。神社の規模と祀られている神の強さは比例している。明治神宮の規模の結界で祀られている神が東京に解き放たれればどうなるか想像できるかな?」

「さっきの話しのように火の海になると」

「そうだ。その危険は刻一刻と近づいている。だから、まずは私の身体を取り戻さなければならない」

 リリィは一呼吸おいて一瞬遠くを見た。自分の身体を憂いたのかもしれない。そして、僕に視線を戻して話を続けた。「人間が直接神を降ろすのは危険な行為なのは理解してくれたか?」

「どのくらい危険なのかは分からないけど、御杖代の倭姫命がやらないくらいだから相当に危険なのは分かったよ」

「うん。まずはそれくらいの認識でいい」

「では、やむを得ず神降ろしをやってしまった場合を考えてみてくれ」


 僕は目を瞑って考えた。リリィと凪の視線がグサグサと突き刺さるのを感じるが、これを気にしては考えがまとまらない。


 ここまでの話しを総合すると、明治天皇の怨霊は大国主や天照大神と同等の力を持つ。その天照大神を伊勢神宮に祀った倭姫命ですら、八咫鏡が祀られた状態の時にしか神降ろしをしなかった。それも夢の中だけだ。リリィの曽祖母は、緊急事態だったので明治天皇の荒御魂をきちんと祀られた状態でない時に自分に降ろした。普通に考えれば、降ろした本人が暴れ出してもおかしくはないし、本人が保たないことも考えられる。


 リリィはじっと僕を見た。どこまで理解できたかを見たかったのだろう。


「ふむ。これだけの情報でそこまで考えが行き着くとはさすがだな。そう。巫女自らに神を降ろしても一時凌ぎにしかならないのだ。しかし、曽祖母は神降ろしをする際、その場にいた神職の者に達にこう言ったそうだ。『私をこのまま封印してくれ』と。要するに、曽祖母自身が一時的な御身体になり、定時天皇の荒魂を自らに封じると言ったのだ」

「え!!でも、そんなことしたら…」

「そう。そこで命尽きることになる。しかし、曽祖母はこのまま東京が破壊される事を良しとせず、自らに神を降ろし、そのまま封印された。後日、戦争が収まり、明治神宮が再建されて祭祀ができるようになった時、曽祖母の封印は解かれ、明治天皇の荒御魂は御神体に返された。その御神体は、今現在、人の目に触れない場所に厳重に祀られている」

「そんなことが…」


 自らを犠牲にして東京を守ったリリィの曽祖母はすごい人だ。歴史に語られることもなく、その功績を知る人は、東京大空襲の時にその場にいた人間だけだ。それを知っているのに、リリィは明治神宮で斎王の役割をしている。これも凄いことだ。


「今回の件は、自分たちが日本の盟主だと言わんとする組織が、明治天皇の怨霊を明治神宮から解放し、東京を壊滅寸前まで追い込んだあと、誘拐した私の身体にその荒御魂を封印し、その功績を人々に知らしめ、日本の盟主になるという計画だ。それを九尾の狐の眷属である『犬』に幇助してもらっている」


「よく分かったよ」


 ようやく全貌が見えた。僕が考えていたよりももっと大きな事態になっていると思う。

 僕のやる事はいくつかある。まずは、リリィの身体を救出し、明治天皇の怨霊を東京に出すことを未然に防ぐ。それが終わったら、呪い返しで動けなくなっている『犬』を探し出して、僕らに起こる危機を摘み取る。

 これは大変だ。

 受験勉強も心配だが、それ以上に自分の命があるか心配になる。


「うふふ。大丈夫だよ。何があっても私が守るから」

 凪はいつものように、明るく笑っている。

「私もできる限りの事はする」

 リリィも仏頂面で言う。


 この状況は、僕たちの他に打開はできない。僕とヒメウツギ凪とリリィで頑張るしかない。

 僕は、闘志を漲らせ、このどうしょうもない組織からリリィを奪回すると心に誓った。

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