第35話 連絡

 あれから一週間が経った。


 僕たちは源相さんを交えて様々な策を練った。議論は紛糾したがそれだけみんな真剣だと言うことだ。それに並行して仏教の術式と僕の持つ気の練習、受験勉強も重なり、昭和のサラリーマンのように草臥れた。今朝は凪も鳥丸さんにも言われたが、目にくまができているようだ。気をつけなければいけない。


 そんな中、学校が終わって部屋で勉強していると、部屋の隅で丸まっていたヒメウツギがスッと立った。

 すぐに、アーアーアーとカラスの声が聞こえた。


 ヒメウツギは躊躇なく僕の部屋の窓を開けると、カラスが一羽窓の縁に止まった。夏の暖い風が部屋に入ってくる。

「わー。可愛いカラス。ん?足に何かついてるよ」

 凪がカラスを指差す。確かにカラスの足には白いものが付いている。

 ヒメウツギは、手際よくカラスの足に括り付けられた白いものを外した。どうやら折り畳まれた紙のようだ。ヒメウツギは、紙を広げて読み始めた。どうやらこのカラスは手紙を運んできたようだ。


 僕は鬼太郎の世界を見られたような気がして、若干気分が上がった。


 手紙を読み終わったヒメウツギは、その手紙をどこかへとしまった。じっと見ていたが、手紙がどこにしまわれたのかは分からなかった。あのモフモフのどこかに異次元へのドアがあるのかもしれない。

 ヒメウツギはカラスに「ふむ。良い報告だ。ありがとう」と言うと、今度はどこからか出した細長い紙をカラスの足にくくり付けた。そして、徐にカラスを撫でた。

 カラスは嬉しそうに頭をヒメウツギに擦り付けた後、どこかへと飛んでいってしまった。

 凪は嬉しそうにカラスに手を振っていたが、ヒメウツギはさっさと窓を閉めてしまい、ムッとした顔をした。

 ヒメウツギは僕の前に報告をしに来た。凪はちょっと剥れながらヒメウツギの話しを聞くために僕の隣に来て座った。僕のPCで真剣にアニメを見ているリリィもこちらを見たが、時折目が画面に行くので、アニメの続きが気になるのだろう。


「雄二さま。連絡が来ました」


「え?誰から?」

「狐の眷属には多くの仲間がいます。先日会ったオオハルシャギクもその一人です。全国の稲荷神社や狐の祀られている御堂にいる眷属から様々な情報が上がってまいります。今回は北谷稲荷神社のハナショウブより報告が上がりました」

「どこの神社?」

 リリィがジトッとした目を僕に向けて「代々木体育館の横にあるでしょ。伏見稲荷神社と同じように宇迦之御霊大神(うかのみたまのおおかみ)が主祭神で大宮比賣大神(おおみやひめのおおかみ)と大田大神(おおたのおおかみ)も祀られている」と言った。

「うか?…ええと…」

「分かりやすく言えば、食用植物の神様と天宇受賣命(あめのうずめ)と猿田毘古神(さるたひこ)が祀られている」

「その、うかの何とかは、豊受大御神とは違うの?」

「確かに役割は似ているが、その二神は違う神様。稲荷神社の神さまは食用植物の神さまで、伊勢の内宮に祀られている神さまは食べ物全般の神さまだ」

「なるほど。神様の違いは分かったけど、代々木体育館ってどこにあるの?」

 それを聞いた瞬間、リリィの顔が青くなった。

「え…原宿駅の横にあるでしょ。知らないの?」

「行ったことないし、知らないよ」

 僕が隣にいる凪を見ると、凪も当たり前のように知らないと頷いている。


 リリィは固まって絶句していた。


 関東に住んでいながら原宿に行ったことのない人間がいるとは思わなかったのかもしれない。これが東京者の悪いところだ。東京にあるものの全てを地方民が知っている訳がないのだ。

「本当に知らないのか?代々木公園の隣にある大きな体育館で、スポーツにもライブにも使われている場所だぞ」

 そんな事を言われても知らないものは知らない。なので、「ふーん、場所は分かったよ」と言っておいた。実は代々木公園の場所もよくわかっていない。僕よりも分かっていないであろう凪も僕の隣で分かったような顔をしている。


 ヒメウツギも北谷神社の大凡の場所は分かるが、代々木体育館は知らない。そして、正直そんな事はどうでもいいので話しを進める。


「こほん。日本の神様の話はまた今度にしてくれ。で、北谷稲荷神社の狐から明治神宮で動きがあったと報告が入った。境内の結界が強くなったとの報告だ。もしかすると、敵が動き出したのかもしれない。それと、北谷神社の狛狐は顔が壊されているので、できれば直して欲しいとも言っている」


 リリィは一重の目を鋭くした。そして、自分に言い聞かせるように頷いた。とうとうその時が来たと自覚したのだろう。

「狛狐の顔の修復は私の身体が戻ったら言っておく。明治神宮の結界が強くなったという事は、御神体をめぐって何らかの動きがあったのかもしれない。その北谷神社の狐は他に何か言っているのか?」

「明治神宮の外側にも見えないようにお札が貼られ、中の結界を補助していると言う話しだ。そして、その周りには監視の人間がいるそうだ。つまり、内と外に結界を作って、戦闘員か補助員を配置しているようだ」

 リリィは目を瞑って頷いた。

「なるほど。神社本庁が動いたのかもしれんな」

「神社本庁?」

「ああ。あそこはトップのゴタゴタが酷くてな。明治神宮も頭に来て一回離脱したが、色々あって今はまた復帰している。神社本庁は組織には色々と問題はあるが、このような問題に対応できる人間が若干いることも確かだ」

「え?リリィみたいな神道式の術式を使える人がいるの?」


 リリィみたいな人間はもうほとんど日本にいないと思っていたので、神道式の術式が使える人間がいたことが意外だった。


「まあ…使えると言えばそうかもしれないが、お札で結界を強化する事に長けた人間が何人かいると言った方がいいかもしれない」

「でも、そうなると敵も侵入が難しくなるんでしょ?」

「怪異に関しては確かに効果がある。しかし、今回の敵は人間だ。もちろん人間に効くお札もあるが、敵は原宿駅前にあれだけの結界を作った奴らだ。お札の強化を相殺できるだけの力を持っている。やるなら本殿に機動隊を配置するくらいしないと意味がないだろう」

「そ、そうなの」


 リリィは遠い目をして思った。


 ヒメウツギの報告を鑑みるに、対策を講じたのはいいが、これは明治神宮側の防御の方向性が間違っているパターンだ。恐らくは揃いも揃って現状を理解していないのだ。私が拉致された経緯、『犬』の存在、そして九尾の狐の復活。その脅威を正確に理解できている人間がいないのだ。仕方ない部分はある。怪異に対抗する能力を持った人間がほとんど死滅してしまっているからだ。源信や源相のような人材を本気になって増やさないといけない。


 そして、リリィは腹を決めた。


「もう時間がなさそうだ。こうなったら奥の手を使う」

「リリィには奥の手があるの?」

「ああ。あるにはある。今の私は物理的に行動できない。私を捕まえた組織もそれを利用して、明治神宮に何か書簡のようなもの、普通にメールかもしれないが———を送って自分たちの有利な方向へ向くように画策しているはずだ。現状を理解できていない明治神宮は大混乱だろう。しかし、私の魂は君と意思疎通できる。これは大きい。私しか分からない情報を身内に提供すれば、何かを変えられる可能性はある」

「なるほど。そう言われればそうだね。僕がリリィの言葉を代弁すればいいんだもんね」

「まあ、敵の内通者がいた場合、私の健在が敵にバレるのであまりやりたくはないが、ヒメウツギの報告からすると事は急を要する」

「うん。あと、僕らも明治神宮に行かなくちゃいけない。できれば二日後の土曜日なら学校にも親にも怪しまれずに行動できるんだけど」

「それは、あっちの状況次第だな。怨霊が外に出てしまってはもう取り返しがつかない」

「確かに」

 善は急げだ。雄二は部屋の隅に置いてあるお出かけ用のカバンに必要なものを詰め込んだ。これで最悪いつでも出られる。

「何をするかと思えば出かける用意か…まあ、心がけは良い。では、今から言う番号に電話をしてくれ。加藤梨沙という私の二つ上の巫女が出る———はずだ」

「その加藤さんは、知らない番号からかかってきた電話に本当に出るの?」

「それは分からん」

「じゃあ、まずはその番号にメッセージを送るよ。内容次第でこっちと連絡をとってくれるんじゃないかな」

「ふむ。そう———なのか?」

「じゃあ、リリィの本名教えて」


 すると、リリィが固まって僕を見据えた。そして、顔が一瞬にして真っ青になった。


「どうしたの?」

「いや、そのだな…名前はちょっと」

「でも、そうすると加藤さんだっけ?にメッセージ送れないよ」

「で、では名前を使わなくてもいい文章を私が考える」

「もうここまできたら仲間なんだから名前くらい教えてよ」


「く…仕方ない。もはやここまでか…」

 リリィは四つ這いになって声を絞り出した。全身が震え、チアノーゼでも起こしたかのように顔が青い。たかだか名前を言うだけでそこまでなるものだろうか?


 リリィの涙が床に落ちたのを見た僕は、「リリィ、そこまで嫌なら、もう名前はいいからメッセージの文章考えてよ」と言った。

「本当か?」

 リリィは顔を上げてパッと笑顔になった。

 この笑顔が眩しすぎる。

 これではこれ以上聞けない。まあ、そのうち教えてくれると信じたい。

 安心した様子のリリィは、袖で涙を拭きながら体育座りになって文章を考え始めた。


 すすすっと寄ってきた凪が僕の耳元で「名前が悪魔の呪文みたいになってるのかな?」と聞いてきた。

「うーん、もしかしたらバルス的なやつかもしれないよ」と凪に小声で返す。

「な…世界最強の滅びの呪文を名前に冠するとは…」凪は身体をのけぞらせて絶句した。隣でそれを聞いていたヒメウツギも口を開けて固まってしまった。


 怨霊や怪異をも恐れないこの二人をここまで怯えさせるバルスとは、なんて恐ろしい呪文なのだろう。


 すると、リリィが顔を上げてこちらを見た。考えてみれば、どんなに小さな声で話していても僕らの会話は想具でリリィの耳に入ってしまうのだ。

「おい、私の名前を勝手にバルスに変換するな。それに、勾玉は持っているが飛行石は持っていないぞ」

 僕だけリリィに睨まれた。

 なぜ僕だけと思って横を見ると、ヒメウツギと凪は明後日の方を見ることで僕を生贄にし、リリィに睨まれるのを回避していた。僕だけ怒られる形にするとは、この二人卑怯なり。

 僕は凪の手に自分の手を重ねて「バルス!!」と言った。

「ぎゃー!!雄二さま!!それだけはいけませんぞ!!」と言いながらヒメウツギは毛を逆立てて僕の勉強机に飛び乗った。

「そうよ!!この家が崩壊するよ!!うわー!!」と凪も天井を見る。

「大丈夫!!飛行石を持ってないから!!」


「お前らうるせー!!」


 ついにリリィが切れた。

 体育座りを崩して僕らを威圧するその様は、さながら昭和のヤンキーだ。

「待ってくれリリィ。みんなバルスが怖くて仕方ないんだよ」と僕は必死に言い訳したが、「だったら冗談でも使うなよ」と正論を吐かれ、「あんな滅びの言葉よりも、現実に即した呪文を覚えろ」とドスの効いた声で言われた。

 僕は全面降伏して、「はい…」と大人しく引き下がったが、ヒメウツギが「そうは言っても、リリィ殿、世の中にあれほど恐ろしい呪文はありませぬぞ」と続けてしまった。


 リリィのこめかみに青筋が浮き出た。あ、これまずいやつだと僕は内心思う。


「そうだよ。リリィちゃん。あの呪文は天空に住んでいた王族にしか教えられてないのよ。とっても怖いのよ」

 心底バルスに恐怖しているヒメウツギと凪は、必死になってバルスの怖さをリリィに話した。リリィは、この二人が初めてバルスを見たとき、あまりの恐怖に一晩眠れなかった事を知らないのだ。

 そんな二人に、リリィはトドメを刺した。

「分かった。確かにバルスはこの世で一番怖い呪文だ。それ以上使うと本当に天から機械兵が降ってきて暴れるぞ」

 二人は涙目で借りてきた猫のように動かなくなった。機械兵がレーザー光線を撒き散らす映像を思い出したのだろう。確かにあれは恐怖だ。例えフラップターに乗っていたとしても避けられる可能性は低い。

「お前ら三人とも、ちょっと向こうで反省してろ」と部屋の隅を指差した。

 リリィに言われた通り、僕たちは部屋の隅で下を向いた。それぞれがバルスへの思いを新たにし、あの呪文を遊び半分で語ってはいけないと、皆で心に刻んだ。


「よし、できた」


 しばらくすると、リリィが僕らの横へと、トコトコ歩いて来た。

 部屋の隅で反省会をしていた僕たち三人がリリィを見ると、バルスのことなど完全に忘れたリリィが自信満々の顔をして立っていた。

「みんな何でそんな暗い顔してるんだ?」

「いや、反省会をしていたから」

「何の?」

「バルスの」

「ふーん、まあ、そんなことより文章が完成したぞ」

 このリリィの切り替えの速さはすごい。凪もヒメウツギも唖然としている。バルスの傷は深いが立ち直らなければならない。ここからが本題なのだ。

「どんな文章?」

「ああ。それは私の古き時代———つまり幼少期の境内で初めて加藤に会った時のことから始まる」

「あのね、リリィ、メッセージは多くても500字くらいにしておいて。それ以上は送れないよ」

「え!!そんな…」

 リリィはそのことにあからさまに驚いている。

「友達にLIn◯送る感じでいいよ」

「お、送る友達はいないからよくわからん」

「えっ…あ、そ、そうなの…あ、でも親には送るよね」

「そもそも君の持っているスマホというものを持たされていないので、やったことがないのだ」


 これは驚愕の事実だ。


 どうやらリリィは考えられないくらい特殊な環境で育ったようだ。今時皇室の面々だってSNSをやっているのに、それすらも許されないとは、どんな親でどんな家庭環境なのだろうか?

「じゃあ、何で加藤さんの電話番号を知っているの?」

「いや、なんだ、そのうちに何か連絡することもあろうかと、何となく覚えていたのだ。何となくだぞ。いいか。何となくだぞ」


 こういう焦った人間味のある顔を人前でするようになれば、リリィにもすぐに友達ができると思う。


「分かった。じゃ、こうしよう。リリィは加藤さんを何て呼んでいるの?」

「わ、私か?いや、その…友達でもないのに、なんだ、その、ちょっと呼び方がだな…若干なれなれしかった…かな?いや、でも…」

 ツンデレをこじらせるとこうなるのだろうか?

 まあ、リリィはちょっと特殊な性格なのだ。この前、僕がリリィを可愛いと思ったと伝えた時のあの反応は、本当にどうしていいのかわからなかったのだろう。

「大丈夫、加藤さんはリリィの事を友達だと思っているよ」

「そ、そうか?そうなのか?いや、そうなのかもしれないが…うーん、そうなのか?」

 リリィは眉間に皺を寄せ、目を瞑って熟考に入った。


 これを見る限り、リリィは身体を取り戻したら、社会性を獲得する訓練をした方がいいかもしれない。


 これ以上突っ込んだ事を聞いてもリリィが混乱するだけなので、僕は少し待つことにした。当のリリィは顔を両手で隠し、仕切りに何かをぶつぶつ呟いている。


 すると、「ねえ、奉行所に話してもダメなの?」と凪が耳元で聞いてきた。

「奉行所?ああ、警察か。リリィは駄目だって言っていたけど、誘拐の話しなら取り合ってくれるかもしれないね」

 すると、目ざとくもそれを聞いていたリリィが、ぶつぶつ言うのをやめ、目力を込めてこちらを見た。

「何度も言うが、警察は実際に事件が起きないと動いてくれない。そして、私の親は、私が誘拐されたと判断したらまず私を救うのではなく、神社の守りを固めて最悪の事態にならないように動く。そこに親子だからと私情は絶対に挟まない。それが完了したのち、まだ救えるのであれば動くだろうが、警察の中に敵が潜んでいてもおかしくないので、こちらの手の内を明かさないために結局通報はしないだろう。まあ、学校には何らかの理由を付けて休むと言っていると思うがな」

「え?警察の中に敵??」

「ああ。当たり前だが。警察のキャリア組の中にも様々な背景を持つものがいる。入庁時にその人物の背景は調べられるだろうが、基本的にはどんな宗教を信仰していても警察に入ることはできる。その人物が重要視しているのが『家』ともなれば、更に疑われることなく入れる。そんな誰がいるかも分からない大勢の警察を、御神体のある境内に入れるのは危険だ。私たちを守ると言って入った警察に寝首を掻かれることになる」


 僕は驚いてしまった。


 実際社会に出ると、ことによっては警察でさえも信用できないのか…

 まあ、だからこそ全てを鵜呑みにしないで、物事を考えて対処する訓練を積むために教育というものがあるのだ。知識を蓄え、自分の立ち位置を知り、世の中の理を知るために勉強するのだ。状況を判断するにはまだまだ知識の少ない僕の周りには、多くの知見を持った仲間がいる。その仲間たちがサポートしてくれているからこそ戦えている。


 リリィに向かって、凪は当然の疑問を聞いた。

「じゃあ、どうやって御神体を守るの?」

「そこで、神社本庁だ。

 あそこは日本の歴史に詳しい。だからこういう事を起こしそうな奴らが分かる。怨霊を使って悪さをしようなんて人間は、日本人の中でも相当に特殊な奴だからだ。ほとんどが古代から連綿と続く名家なので、神社本庁ならある程度調べがつく。ただ、怪異や呪術にはある程度は対処できるが、警察のように物理的に人間を捕らえることができない。戦力としてどこまで頼りになるのかは未知数だ。そして、ここが重要なのだが、怨霊だ何だという事を警察に話しても一つも信じてはくれない」

「怪異はまあ分かるけど…誘拐も立派な犯罪だよ」

「誘拐がどれだけ重い犯罪であっても、この戦いの肝になる本殿の中に信用のおけない人物を入れるわけにはいかない」


 リリィはそう言っているが、子供を愛しく思わない親はいない。彼女の両親もきっとリリィのために何かしらしているはずだ。少なくとも僕はそう思う。


「警察に頼れないのは分かったよ。でも、そんな中で加藤さんに何をしてもらうの?」

「ふむ。まずは私の状況が明治神宮に伝わるという事自体が重要だ。そうすれば、明治神宮も取るべき方針が定まる。加藤の言う事なら関係者は皆信じるはずだ」

「分かった。加藤さんには僕が文章を考えて送ろうか?」

「いや、すまなかった。文章は私が責任を持って考える。もう少しだけ待ってくれるか?」

「うん」


 再び目を瞑って文章を考え始めたリリィを見ているうちに、何だか尻尾が熱くなってきた。自分の中の気が高まって尻尾に作用しているのだろう。目前に迫った戦いに高揚しているのかもしれない。黒くて大きなこの尻尾はもう自分の一部となっていて、感情によって感覚が変わっていくのが分かる。自分の心が熱い時はこうして熱く感じる。

 剣道は別として、本来は戦いなど好きではないし、九尾の狐の力などない方がいいと思っているが、困っている人を助けられるならこの力もあっていいと最近は思えるようになってきた。


 そんな熱々の尻尾に凪が寄りかかってきた。


 ここのところ尻尾が温かくなると、それを察知した凪が寄りかかってくる。凪には尻尾の温度センサーが付いているのだろうか?まあ、こうして凪が寄りかかってくるのももう日常だ。僕は凪の頭を乗せやすくして少し包んであげる。

 重要な話しをしていると言うのに、凪の目がトロンとしてきた。これは半分寝ている。

 まあ、凪には本番で頑張って貰えばいいだろう。

 僕は凪の身体を尻尾で少し揺らしながら、これからのことを考えた。すでに凪はクカーっと寝息を立てている。もはや猫と同じレベルで寝られるようだ。


 さて、この時間を使って少し戦略的なことを考えよう。


 何はなくとも、まずリリィの身体の奪還だ。リリィの魂が身体に戻って力を取り戻せばこちらの戦力はこれ以上ないくらい上がるし、明治天皇の怨霊が東京に放たれる悲劇を回避できる確率も格段に上がる。ただ、敵のアジトに踏み込むのだから戦闘は避けられない。九尾の狐の眷属の『犬』がリリィを誘拐した組織に手を貸していることから、人間だけでなく怪異と戦うことになるかもしれない。黒い尻尾の力を使えば、人間とも怪異とも戦えるが、さて何が待ち受けるのか…相手の人数が予想以上に多いのもまずい。複数の相手に効く術式とその戦い方を学ばなくてはならない。


 源信さんに教えてもらった術式の中には、複数の怪異との戦い方に対応したものもあった。あれをもっと自分のものにする必要がある。


 僕が脳内で源信さんに習った全体攻撃用の術式を展開し始めると、リリィの目がパッと開いた。存外早く終わったようだ。

「よし。もう大丈夫だ。伝えたい事はまとまったと思う」

 僕は頭の中の術式のイメージを消して、スマホを構えた。

「うん。じゃ、教えて」

 リリィはコクっと頷いて「よし、いくぞ」と、オルテガとキングヒドラの戦いを見た後の勇者のような顔をずいっと近づけてきた。これはかなり本気だ。

「リサリサちゃんさん先輩。私は誘拐され、どこか分からない場所に監禁されている」

「リサリサちゃんさん先輩でいいの?」

「ああ。逆にそれで分かると思う」

「分かった」

 僕は、スマホに文章を打った。

「捕えられている魂の一部が外部にあり、仲間を通して連絡が取れるようになった。敵の狙いは明治天皇の怨霊を東京に放つことにある。私たちはそちらと別に行動するが、こちらを気にすることなく本殿を守って欲しい」

「リリィの名前は?」

「か、かかか書かなくてもそれなら分かる」

 名前に関してはどうしても言いたくないようだ。仕方ないので、代筆で僕の名前を書いておく。

「じゃあ、送るけど、この加藤さんは本当に信用できるの?」

「ああ、大丈夫だ。私の家と同様、明治神宮創建時から運営に関わっている家柄の三代目だ。彼女も東京大空襲の時の惨事を知っている数少ない者だ」

「分かった」


 僕はリリィの考えた文章を、加藤さんへと送った。


「よし。これでリリィの生存を明治神宮側へと知らせることができた。あとは明治神宮側に任せよう。僕たちも週末に乗り込むよ。もう少し仲間が多ければいいけど、いるメンバーでやらないとね」

 すると、ヒメウツギが僕の前へとやってきた。

「それですが、一人連れていきたい者がいます」

「え?だれ?狐の眷属?」

「いえ、違います。雄二様は、蝉丸を覚えていますか?」

「蝉丸?————ええと…ああっ!!思い出した!!あの熊!!」

「はい。まだ近場で修行しているはずです。攻撃が当たらないのはまだ克服していないかもしれませんが、あの頑丈さは絶対に役に立ちます。我が主ですら滅せなかった霊です。明治天皇の怨霊でも彼を滅することは恐らく不可能。まあ、言ってみれば史上最強の壁かと」

「そ、そんなに頑丈なんだ…」

「出発に間に合うように笠間稲荷の私の部下に蝉丸を呼んで来させます」

「うん。お願い」

 蝉丸の事は完全に忘れていたけど、ヒメウツギはあれで割と情に厚い。ここぞで呼ばれれば蝉丸も気合を入れて頑張ってくれるはずだ。


 すると、僕のスマホにメッセージが飛び込んできた。相手は、先ほど送った加藤さんだ。

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