第29話 呪いの正体

 『犬』が放った呪いは、涼海さんが作った光の柱の結界と僕の作った気の箱の中で、四つ足の何かへと形態を変えていった。足が伸びてピンと張った。今にも呻き声が聞こえてきそうだ。


 僕も戦闘体制へ入る。

 すでに想具で創った防具は身につけたので、次は武器を想い描く番だ。あの呪いがどんな姿になるかで決めようと思い、いつでも創れるよう、頭の中をすっきりさせて目の前の呪いに集中する。

 呪いは折っていた四つ足を伸ばして立ち上がった。同時に頭部が完成した。なんと、その頭部は二つあった。

 四つ足で首が二つで思い浮かぶのは…

「うーん…あれさあ、日本的な何かじゃなくてギリシャ的な奴に見えない?」とリリィが僕に聞いてきた。

「そう見えるね。ケルベロスみたいな奴?かな」

 リリィは人差し指を振り子のように振りながら「ケルベロスは三首だからあれはオルトロス。ヘラクレスにやられちゃう奴」と解説してくれた。

 リリィの言う通りであれば、ヘラクレスが倒したように戦えば良いのだろうか?

「リリィ。ヘラクレスがどんな武器使っていたか知ってる?」

「私はそこまでギリシャ神話マニアじゃない…でも、確か…オルトロスは棍棒で殴られて殺されていたと思う」

「なるほど。ありがとう」

 僕は棍棒を想い浮かべた。すると、僕の手の中に棍棒ができた。何やら棍棒というよりも鬼の金棒のような感じになったが、デザインは二の次だ。

 リリィはできた武器を見て「何?その棒におろし金が付いたようなの」と言ってきた。

「お、おろし金…」

「リリィちゃん、それは金砕棒だよ。鬼に金棒って言うでしょ」と涼海さんがフォローしてくれた。

 ヒメウツギが僕の肩の上で補足してくれた。

「人の身長ほどある鉄製の棍棒なので相当な腕力の持ち主でないと扱えず、九尾の狐さまと朝廷の軍が戦った時は、それこそ一部の力自慢の『獣狩り』しか使用しておりませんでした。他の用途では主に砦の扉を破る時に使用されていたように思います。想具は重さを調節できます故スピードで負けるという事はないと思います」

「よし。頑張るよ」

 何故、あの呪いがギリシャ神話のような容姿になったのかは分からないが、どんな容姿になろうと打ち砕くだけだ。


 呪いは完全に変容を遂げた。


 黒い煙の集合体なのでモヤモヤとしており、そのため完全な姿は分からないが、四つ足で二首なのは間違いない。呪いは身体を大きくしながら、自らを閉じ込めている気で作った箱を内側からの圧力で壊しにかかった。かなり頑丈に作った上、涼海さんの作った光の結界があるにも関わらず、呪いは身体を膨張させ続けている。

 呪いというのは、斯程に危険なものなのかとため息が出る。

「雄二さま。奴が出てくる前に確認です」とヒメウツギが耳元で小さく呟いた。

「うん」

「先ほども言いましたが、呪いを完全に滅するには、その呪いを発動した者を叩くしか方法がありません。ですので、あの呪いが弱体化したと判断したらすぐに捕獲用の想具をお創りください」

「分かった。ところで、あれ弱るの?」

「はい。どんなものにも必ず効力というものがあります。呪いも無限に力を発揮できる訳ではありまでん。それに、今回はリリィ殿もいます。これは不幸中の幸いと言っていいと思います」

「どうして?」

「リリィ殿は神道式の術式を使います。平安期、鎌倉期の話しですが、朝廷内では呪詛による事件が多発しておりました。これに対する調査、解除をしておりましたのは主に陰陽師です。しかし、呪が大きなものになると、呪術の解除に神道式の呪術も多く使われました。神道式の『呪詛の祓』は数多くあり、その力はかなりのものと言います。呪いとの戦いにはもってこいと言えます」

「ふーん。リリィの術式は、呪いのようなものとの戦いに向いているんだね」

 ヒメウツギは深く頷いた。

「はい。リリィ殿は現代では考えられない程大きな祓の力を持っております。それが理由で『犬』と手を組んだ組織はリリィ殿を監禁したのでしょう。その組織が怨霊を使う事で何かを企んでいる事は間違いありません。しかし、『犬』はまだ怨霊を出したくないのです。リリィ殿が生きていれば、大なる怨霊の封印は解ける事はありません。ですから、リリィ殿は身体と魂を分離されて生かされているのです。『犬』は、白い九尾の狐が復活する前にこの世界をボロボロにしたくないのでしょう」

「へえ。さすがヒメウツギだ。リリィが無事な訳が分かったよ!!」

「ありがとうございます」とヒメウツギは呪いを睨みながら静かに言った。

 ヒメウツギも本番直前ではなく、もっと暇な時に話せばいいのにと思うが、話しをするにも色々タイミングがあるのだろう。

 そして、ヒメウツギの話しは続く。

「人を呪わば穴二つということわざをご存知ですか?」

「うん。聞いた事はあるよ」

「その意味は、他人に呪いをかければ結局はそれが返ってきて、呪いをかけた方もかかった方も、墓穴———つまりは黄泉の国へと行ってしまうという例えです。呪いというものの特性を端的に表しています」

「ふむふむ」

 その解釈で言えば、呪いというものは、かけた方もかけられた方もダメージを受けるものなのだ…なんと恐ろしいものなのかと思う。

「自分に返ってくるなら、呪いをかける意味あるの?」

「恨みが大きければ大きいほど、自分などどうなっても良いから相手を陥れたいと思う人間が少なからずいるという事です。丑の刻参りなどはその典型です」

「ああ…そうだね…」

 人生はなるべく人を恨まず、恨まれずに過ごしたいと素直に思う。同じ人間に呪詛されては敵わない。


 呪いのモヤモヤした身体が、かなりはっきりとした形になってきた。気の箱は、呪いの膨張でかなりしなってきた。


 ヒメウツギは周りに目配せしながら、まだ話せるとばかりに話しを続けた。

「今のことわざの通り、呪詛はかけた者もかけられた者も大きな損傷を負う特性があります。しかしながら、それは等価という訳ではありません。呪詛をかけた者は、逆に呪詛を返された場合、より大きな損傷を負うのです。『犬』は、リリィ殿に呪いをかけました。呪いをかけたという事は、『犬』は自分自身の何かを犠牲にしてリリィ殿に呪詛を放った事になります。私たちがこの呪いを叩けば、その損害は少なからず『犬』へと跳ね返ります」

「それって、どれくらいのダメージになるの?」

 ヒメウツギはニヤッと笑って「私たちがリリィ殿の救出作戦を決行するに値するくらいにはなると思います」と言った。


 その衝撃的な言葉に、僕の背中に寒気が走った。ピンチをチャンスに変える為にはこうした知識が必要だという事だ。世の中のことをもっと知らなければならないと強く思う。


 この呪いを叩けば、初めてイニシアチブを握るチャンスが巡ってくるかもしれない。リリィのためにもここは頑張らなくてはならない。

 僕はこの覇気を以て気を充実させていった。順調に気が巡っていく。ビリビリとした感覚で、身体の周りに一ミリアンペアの電流がコーティングされているようだ。

「ここからは私の憶測ですが、『犬』はリリィ殿の魂が消滅していない事を突きとめたものの、その魂がまさか私たちのところにいるとは思っていなかったのではないかと思います。リリィ殿ゆかりの品と自分の何かを犠牲にすれば、呪いは直ちにリリィ殿に飛んでいきます。呪いを使ったのは、リリィ殿の小さな魂がその呪いに耐えられるはずがないと高を括った結果です。つまりは『犬』の油断です。この呪いは『犬』にダメージを与える又とない機会になります」

 僕はヒメウツギに頷いて分かったと伝えると、大きく息を吸い込んだ。そして皆に言う。

「ようし。あいつを叩くよ!!」

「任せて!!」と涼海さんから気合の入った声が返ってきた。

 僕は『犬』に一矢を報いるため、更に気を溜めた。モチベーションが上がったこともあるが、身体の中が熱く、そして気がうまく練れていると感じる。


 その時、膨張した呪いがとうとう僕の作った気の箱を内側から破壊した。


 フゥゥゥと呪いの唸り声が聞こえる。奴が気の箱の外に出た証拠だ。


 呪いは身体を震わせ、気の箱の残骸を散らした。この間も呪いの膨張は続いており、大きさはすでにヒメウツギ並みだ。ただし、まともには動けない。なぜなら、涼海さんの創った四本の光の棒の結界が呪いの動きを鈍くしているからだ。

 気の箱から出たのにスピード感のある攻撃を出せない呪いは、結界の中でもがいている。

 ここだ。

 僕はみんなに「いくよ!!」と声をかけた。

「私の見事な呪術返し見せてあげるよ」と涼海さんが僕にウィンクしながら戦闘体制に入れば、リリィも「世の中の奴ら全員呪ってやる」と物騒なことを言って術式の構築にかかった。

 僕も皆に遅れないように、気を高めながら真言の詠唱をする。

 隣の涼海さんは、「臨兵闘者皆陣列前行」とお馴染みの九字の呪を唱えながら禹歩を始めた。その姿は様になっていて、神が乗り移ったシャーマンのように見える。しかも美しい。霊力は研ぎ澄まされ、普段の数倍の大きさになっているのを感じる。安倍晴明もこんなこんな感じでその力を発揮していたのかもしれない。見れば、先ほどまで手に持っていた呪符はいつの間にか人形(ヒトガタ)へと姿を変え、いつでも式神を放てるようにしている。


 そんな中、まずはリリイが口火を切った。


 身体が囚われた上、魂まで抜かれているリリィの怒りは凄まじかった。拳大の大きさしかない魂にも関わらず、リリィから強大な呪術の存在を感じるのだ。

 リリィは、天八降魂尊(あめのやくだりたまのみこと)、伊邪那美神(いざなみのかみ)、大斗能弁神(おおとのべのかみ)、国之狭霧神(くにのさぎりのかみ)に祈った。すると、予想通りに目の前の呪いと完全に付合する祓の術式が展開された。

 四つ足の呪いは身体を捻らせ、リリィの術式を嫌がった。

「良かった。効いた」と呟きながら、リリィは祓の術式を強化する。

 リリィには確信があった。

 この呪いは私に向けられた呪い。だから『犬』は自分の生年月日に一致する呪いをかけたに違いないのだ。逆に言えば、それを返せば完全なる呪詛返しになる。リリィは猪年の八月二十日生まれだ。だからそれに合わせた神に祈って祓いを呪いに浴びせてやったのだ。

 そして、この祓は確実に効いている。

 しかし、いかんせん今のリリィは本来の力の半分も出せない。威力の足りない分は、信頼ができ、かけがいのない仲間となった涼海さんと雄二くんに補完して貰えばいい。リリィは今まで仲間との共闘など考えたこともなかった。ずっと一人で自分の境遇を抱え込み、友人という友人を作らなかったのもあるが、自分の周りに本当に信頼できる人間がいなかったのだ。雄二くんのおかげで前向きになれたし、こうして攻撃を任せられる。

 この二人と一匹のキツネともっと一緒にいたい一心で、リリィは祓の術式に力を込める。


 リリィの呪詛返しに身体をよじらせ嫌がる呪いを見た涼海凪は、特製のお札で作り上げた人形(ヒトガタ)にすぐさま息吹を吹き込んだ。祓いを含んだ息を満遍なく人形にかけると、人形に命が注がれる。そして、自分の役割を理解した三体の人形が宙を舞った。数秒間試飛行をした三体の人形は、凪の前でピタッと止まって宙空に浮いた。


 うふふ、雄二くん、見ていて。ガガッとバーンってやるからね。


 三体の式神が薄紫色に光った。

 凪の頭の中にここまでの記憶が走馬灯のように流れた。数百年間の苦労と苦悩が嘘のように一瞬に感じる。そして、自分はこの先へと行くのだと心に強く誓った。自分の姿を雄二に見てもらえただけでも天にも昇るような気持ちだったが、今はその先のことも考えられるのが嬉しい。

 とばっちりに備えて禹歩で清めた身体に、想具で身体をコーティングしていく。この想具は、雄二の持っているゲームなるものの中で女性が着ていたもので、動きやすそうだし可愛いと思える装備衣装だ。


 凪の格好が、アニメの変身シーンのように変わっていく。


 それを横で見ていた雄二は驚いた。そして、その格好を見て二度驚いた。真言が一瞬止まってしまった程だ。いや、これを見たら誰でも集中力を失ってしまうはずだ。


 それにしても、涼海さん。何故あのゲームを参考に…


 チラッと部屋のテレビの横に置いてあるそのゲームのパッケージを見る。確かにアレと同じ衣装だ。しかし、よりによって格闘ゲームのヒロインキャラのあれほど際どい衣装を真似なくても…。

 最早、コスプレの域を超えた実践型の格ゲーヒロインの後ろ姿を見ただけでドキドキする。確かに息抜きにやっていたゲームであのキャラを使ったが、まさかそれを完全再現するとは思わなかった。正面から見たら神々しくて平伏してしまうかもしれない。

「雄二さま。集中してくだされ」

「あ、うん」

 ヒメウツギに窘められて雄二は我に返った。そして、集中し直して気を練り直す。


 ビキニの上に機械のプロテクターを付けたような衣装で動きやすくなった凪は、膝を抱えるようにジャンプをした後、背筋を伸ばして人差し指と中指で呪いを指した。すると、三体の式神が、目で追うこともできない速さで飛んで行った。式神は風の音を残して呪いに突き刺さる。

 呪いは呻き声を上げてのたうち回った。

 式神が刺さった箇所から、煙のようなものが立ち上った。 

 この人形は、式神としても使うが、祓いの祈りを乗せて不調の箇所に貼る事で患部を治すことにも使われる。呪いは患部と同じで人間にとって負の存在だ。かなりの時間をかけて開発したこのお札ならば相当の効き目があるはずだ。

 しかし、凪の予想と違った事が一つあった。

 それは、この式神でこの呪いの大半は滅する事ができると思っていたのに、呪いは膨張を止めただけで、その姿のほとんどを未だに留めているのだ。もしかすると、『犬』はこの状況まで予想して手を打っていたのかもしれない。凪は『犬』の周到さに、そこはかとない怖さを感じた。


 よしよし。涼海さんの式神はかなり効いているぞ。


 僕は追い打ちをかけて呪いを滅そうと気を飛ばす準備をしたが、ヒメウツギに止められた。

「雄二さま、攻撃はお待ちください。奴はそれほど弱っておりません。あの強烈な式神を以てしても傷が付いただけでございます…」

 改めて呪いを見ると、ヒメウツギが言うように、呪いは思ったほど弱ってはいないように見える。

 すると、呪いは式神に傷つけられた箇所から煙を出しながらも、よろよろと立ち上がった。

「な、立ち上がっただと!?」

 ヒメウツギは、頭を抱えた。双頭で四本足の怪異かと思っていたが、まさか双頭で二本足とは…

 

 ついに呪いは二本足で人間のように立ち、その双頭を僕に向けた。


「双頭で二本足の呪い…雄二さま。この呪いのモデルはオル何とかではなく、恐らくは両面宿儺です。やられました」

 ヒメウツギの声がくぐもっている。これはかなりの事に違いない。

「『犬』はこうなることも予想し、最上級の呪いを以て臨んできたようです。しかし、逆に言えばこれだけの呪い。いくら『犬』とは言え、呪詛返しされればしばらくは動くことすらままならないはずです。今はこいつを叩くことに集中してください」

「分かった。で、両面宿儺って何?」

「はひ?」

 ヒメウツギは驚いた顔を僕に向けた。どうやら、常識中の常識の人物なようだ。仕方ないという感じでヒメウツギは説明を始めた。いつもながら申し訳ない。

「両面宿儺は今の岐阜県あたりにいた英雄です。人間二人分の強さがあったと言われている豪傑で、頭が二つの異形の者として伝わっています。面白くない表現で言いますと、岐阜の地に戦争に強い二つの豪族、もしくは戦士がいたのでしょう。その者は天皇家に従わなかったので、悪人の如く言われておりますが、地元の鬼を退治するなど中々の人物であったようです。どんな手を使ったかは分かりませんが、天皇家の者に手をかけられているので、いつもの彼らの手口から言えば、両面宿儺が相当な恨みを持って亡くなった可能性は充分にあります。恨みの強さに比例して呪いも強くなります。充分に気をつけてください」

「ありがとう」


 呪いは、自分のターンだとばかりにドス黒い気を作り始めた。涼海さんの結界も効いていないようだ。


 狭い部屋の中に呪いの存在感が大きくなっていく。身体の大きさも、呪術の大きさもさっきまでとは全然違う。呪いを滅す事ができそうだった雰囲気は吹き飛んだ。

「ふしゅぅぅぅ」

 呼吸音なのか鳴き声なのかはわからないが、呪いは変な音を出して両掌を僕に向けた。呪いの黒い気がそこに溜まっている。

 これを受けたらまずい。直感的にそう思った僕は、攻撃に使う予定だった気を、全て守備に回した。

 練りに練った気のバリアで呪いを囲う。想具で作った壁をリリィの前に貼るのも忘れない。涼海さんは僕の後ろに隠れた。

 

 突如、目の前が黒く光った。


 呪いが真っ暗な稲妻のような気を掌から吐き出したのだ。そのうち数本が気の囲いに刺さる。気の囲いに傷を入れたところで、黒い稲妻はその形を黒雲のように変えた。そのまま黒雲は膨張し、内側から気のバリアを吹き飛ばそうと圧力をかけてきた。

 そうはさせじと、僕も気を増幅して負の気を封じ込めにかかる。兎に角、気の力比べに負けてはいけない。呪いは黒い気をどんどん放出してくる。その都度、囲いは風船のように大きく膨張したが、僕も力技でそれを抑え込む。

「雄二くん頑張って!!」

 この涼海さんの声に力を貰い、気を送り続けた僕はなんとか囲いを守り切った。とは言え、囲いの所々に穴が空き、かなりボロボロになってしまった。未だに呪いを閉じ込めているのだから及第点としよう。

「うふぅ。頑張った!!」

 涼海さんは僕の尻尾を抱きしめて褒めてくれたが、僕としては本当に薄氷を渡るような思いだ。しかも、これだけ気を放出すれば疲れも溜まってくる。

 はあはあ…これじゃ攻撃ところじゃないよ…この呪いに想具で創った金棒の一撃をくれてやるにはどうしたらいいのだろう…

 そんな事を考えていると、呪いの双頭が上を見上げた。


 そして、顔を上に上げたまま「うううぅぅう」と悔しそうな声を出した。


 その間に、涼海さんは抜け目なく光の柱の結界を式神で補強した。呪いの動きが少しだけ鈍くなる。これは非常にありがたい。

 双頭の呪いは気の囲いを一気に破壊するのは難しいと判断したのか、一旦黒い気を引っ込め、囲いを恨めしそうに見た。

 この囲いは涼海さんに習った祓を含んでいるので、負の気に対して防御効果が高いのだ。ただ、呪いの放った黒い気も相当なものだったので、防ぎきれなかった分は、少量ではあるが部屋に飛び散ってしまった。飛び散った黒い気は、部屋の所々を黒く染めた。おまけに、酷い匂いまで付いた。ほんの少量なのに、僕の部屋がものすごく汚くなったような気がした。

 なんだろう…この気には何ら救いのない絶望しか感じない。

 黒い気は、自分が知っている気とは真反対の、触れたもの全てを穢していく気なのだと感じる。まさに負のオーラを纏っている気と言っていい。呪いというものは、殺しても殺し足りないくらいに人を恨んで発動するものなのだと、これを通じてみれば分かる。

「雄二さま。呪いや穢れを必要以上に恐れてはなりません。あれは、我々の怒り、恐怖を飲み込んで更に大きくなっていきます。九尾の狐さまも人間を恐怖に陥れて、呪いの気を増幅させていました」とヒメウツギが教えてくれた。白い九尾の狐は、負の気を恐ろしいまでに使いこなせるのだろう。

「平常心平常心。涼海さんとリリィなら平常心で戦ってくれるよね」

「そうですね」

 チラッとリリィを見ると、リリィはいつものポーカーフェイスで呪いを見ている。どうやら心配はないようだ。

 呪いは、涼海さんの結界を邪魔そうにしながらも、囲いを外そうともがいている。この囲いを壊してでも攻撃すべきだろうか?迷うところだ。

「呪いとの戦いは独特だから、攻撃の糸口を見つけるのが難しいね」

「『犬』の呪いに勝つためには、その制約とも言うべき独特な戦いを逆手にとる知略が必要です。雄二さま。戦いは総合力です。今までの経験で培った経験を活かして勝ち筋を見つけるのです」

「うん、分かった」と頷きはしたものの、ヒメウツギが言うような事が僕にできるだろうか?いや、やらなくてはならない。リリィの為にも涼海さんの為にも呪いを封印するのだ。

 ヒントは穢れにあるように思う。

 穢れについては源信さんから聞いている。平安期から室町期の貴族は『穢れ』を殊の外忌み嫌ったと言っていた。穢れたくない一心で、都の警察権まで手ばしてしまったと言うのだ。ただ、この呪いの気を見てしまった今、昔の貴族たちが穢れを嫌うのも無理はないと思う。穢れの恐怖が穢れを増幅し、手のつけられなくなった怨霊は途轍もなく大きくなる…


 その当時の人々が考えていたように、穢れの存在が怨霊と祟りを呼ぶという考えは存外間違っていない。


 穢れは放っておけば、正常な世界を歪めてしまう厄介なものだ。

 それが証拠に、飛び散った負の気は、床からカーテンから小物にまでかかり、異様な匂いを放ってその形を歪ませた。窓ガラスが割れなかったのだけは助かったが、この変形具合はダリの世界にいるような気分になる。全てが終わったら、この部屋のレイアウトを変更しなければならない。

「雄二さま。呪いはまた気を溜め始めています。油断なきよう」

「もちろん」

 そうは言ったが、呪いが気を貯める速さは僕の倍速だった。すでに僕の溜めた気の量に迫っている。いくら涼海さんの結界があるとはいえ、その危険度は加速度的に増している。

 黒い煙の塊のようなものだった両面宿儺は、はっきりとした形になってきている。その両掌には黒い気の塊がどんどん溜まっている。最終的に本物の人間みたいになりそうで怖い。


 そんな中、リリィが言霊を唱えた。


「神火清明、神水清明、神風清明、神火清明、神水清明、神風清明、神火清明、神水清明、神風清明」

 リリィは心の中で、祓戸の大神に祈る。

 この詠唱で、気の囲いの祓えの効果が増した。そして、両面宿儺に神聖な息吹が吹き込まれた。両面宿儺はこの息吹を嫌がり、掌に溜めた黒い気を息吹に向かって投げ込んだ。しかし、リリィの息吹はその気をも包み込むと、残った息吹が両面宿禰に襲いかかった。量は少ないものの、リリィの息吹は両面宿儺の肌を溶かし、呪いの存在を否定する


 これを見て、僕は気や武力で両面宿儺の上を行こうとするのではなく、浄化を目指すのもありだと思った。


 この呪いはリリィに向けられたものなのだ。だからこそ、リリィの言霊は相当に効く。涼海さんの式神も全面に祓いを付しているので傷を付けられた。自分の気の囲いもその祓いを含んでいる。尻尾の気の技を単純に放つではなく、その気に源信さんに習った術式で祓いを乗せるのだ。

 方針は決まった。ただ、両面宿儺はリリィの言霊を嫌がりながらも、また黒い気を掌に集約し始めた。何という耐久力なのか。『犬』が創ったという事もありそうだが、呪いは呪う相手を傷つけるまでこのようにしつこく攻撃し続けるものなのだろう。だからこそ、呪いを放った者もただでは済まないのだ。


「あなたの想い通りにはならない」


 リリィは目を鋭くして神に祈る。こうして呪いの力を削いでくれているリリィには感謝しかない

 そして、雄二はこう思った。僕には仲間がいる。彼らが手助けしてくれればまだまだチャンスはある。


 僕は、呪いと対等に戦えるだけの気を練る事に集中した。これと源信さんに習った真言の複合技で勝負だ。その時までリリィと涼海さんに頑張ってもらわなくてはならない。僕が涼海さんを見ると、涼海さんも僕を見て頷いた。何も言わなくても僕の意図を察してくれたようだ。


 雄二の要請に応えて、凪は式神を創った。

 リリィちゃんが時間を稼いでくれた。そのおかげでできたこの式神。この二つ頭に目にもの見せてくれるわ。


 凪は、この『特別な』式神のために真言の詠唱を始めた。

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