第26話 それぞれの術式

 源相さんの話しは衝撃的だった。まだ興奮が冷めない。


 九尾の狐に与えられた尻尾の力、そして源相さんたちの引き継いできた術式。これらをどう使えばリリィさんの窮地を救い、怨霊の解放を防げるのかを考えながら僕は家へと帰った。ただ、その時の僕の顔が怖かったらしく、部屋に入った瞬間、涼海さんに「雄二くん、顔怖いから、歩きながらの考え事禁止!!」と言われてしまった。

 そんなに怖い顔をしたとは思っていないが、まあ、そこは改善しようと思う。トヨ◯方式で改善を重ねる事が大事だ。

「分かったよ」と笑顔で言うと、涼海さんに笑顔で「そう、その顔だよ!!」と偉そうに言われた。とは言え、嫌な気分にはならないのは涼海さんが隣にいるのが当たり前になってきたからだろう。

 尻尾で涼海さんの手とタッチをして下に降りる。最近、涼海さんとのちょっとした言い合いをした時の仲直りはこの方式になっている。

 食事を取り、お風呂をいただき部屋へと上がると、ヒメウツギと涼海さんは、相当に疲れていたのかそれぞれのお気に入りの場所に寝そべっていた。リリィもヒメウツギに寄りかかって目を瞑っている。

 疲れて寝るのはいいが、僕のベッドのど真ん中で大の字になっている涼海さんをどうしたものか…あそこに寝られると僕の寝るスペースがなくなってしまうのだ。まあ、涼海さんは基本透けているので、その上に寝てしまえば問題ないと言えば問題ないが、やはり女性があんなところにいると若干緊張する。

 まあ、それは後で考えればいい。今はみんなが寝ている間に調べ物をしよう。

 僕は源相さんから聞いたことををより深く理解する為、先ほど聞いた言葉や情報の詳細を早速ネットで検索してみる。

 三十分もネットサーフィンをすると、僕は首を傾げることとなった。多くのワードを調べたものの、ネットに載っている情報は分かったような分からないような説話や仏教の歴史ばかりで、どうも源相さんの話しと結びつかないし噛み合わない。

 僕は、手を止めた。

 何故、このような齟齬が起こるのか?

 それはきっと僕の情報の捉え方が間違っているのだ。僕は学校で習った小論文の書き方を思い出す。小論文は常識に対する異論で文章を展開する。それと同じで、源相の話しは一般に言われている事の異論ともいうべき話しなのだ。

 そう考えれば、源翁心昭についてもこんな考え方ができる。源翁心昭は異色の僧だったのだ。源翁は多くの寺の創建に立ち会ったが、曹洞宗に拘らず、その土地に合った宗派の寺を建てていたようだし、彼は他宗派の考えも柔軟に受け入れている。となれば、源翁心昭は、きっと常識とは違う場所に生きていた僧だったはずだ。

 常識というのはなければいけないが、時にはそれが足枷になる。イノベーションが常識に囚われないところで起きるのと同じだ。

 同じように歴史の流れも色々あって、僕が学校で習っている歴史とは違った異色の歴史もまたあるのだ。そのような歴史は普段気にすることも誰かが教えてくれることもないが、それが分かっている人たちに連綿と受け継がれていっているのだ。源相が話してくれた話しは異色の歴史の方で、結局のところネットで調べられる情報はうわべだけなのだ。


 そこで、僕は調べ方を変えることにした。


 ネットで調べるのは基本的な情報だけにし、呪術・真言・術式の感覚的な事は全て源相さんの教えに倣うことにした。これなら変に間違ったやり方になることもないだろう。

 まずは禅宗について調べてみる。

 ネットで検索すると、禅宗の成り立ちや様々な僧の逸話が出てきた。その中のいくつかを読んでみる。複雑な禅問答などは屁理屈の言い合いのような感じもしたが、プラトンの時代から現代まで、哲学は物事の原型を考えることで成り立たせてきたことを考えれば、これが哲学なのかもしれないとも思った。やはり『何故?』と思う事は重要で、様々な問題の解決はそこが出発点となるのだ。

 さらに調べていくと、禅宗は基本的に悪魔調伏などの霊的な事よりも坐禅に始まる修行の方に重きを置いているように感じた。源相はきっとその事を言っていたのだと思う。

 雄二はPCのメモにここまでのことを書き込むと、少し小休止することにした。

 リビングに行って冷蔵庫に入れてあるミルクを飲んで喉を潤す。茨城県内で作られたというこの牛乳は濃厚で美味しい。茨城はこうして食は美味しいしそれなりに観光地もあるのだが、いつも栃木、群馬と魅力度ランキングの最下位を争うのは何故なのだろうと思う。

 部屋に戻り、さて、他の宗派も一通り見てみるかな、などと思っているとリリィが机の下にやってきた。「ちょっと上に上げてください」と言うので、手のひらに乗ってもらい机の上にあげる。

「あの…源相さんの話しを理解するため仏教の色々な教義を学んでいるところ悪いけど、陰陽術や神道系の術式も覚えていて欲しいの」

「そっちも頑張るよ。涼海さんもリリィもそっち系の術式使いだものね」

「正確に言うと涼海さんの術式と私の術式は全然系統が違う。でも、遡れば根っこは同じ。そして、これを覚えて欲しいのは私と雄二くんが同時に動く時、お互いに何ができるのかを知っておかなければならないから。雄二くんの術式は特殊すぎて誰も真似できないから、私がヒメウツギから聞いた事を元にして頭でシュミレートしてるよ」

「あ、僕の術式とかヒメウツギから聞いているんだ」

 確かに僕が学校に行っている間は時間がある。その時間にヒメウツギから色々聞いていても不思議ではない。

「そういえば、リリィは学校とか大丈夫なの?」

「大丈夫なわけないでしょう。このままじゃ留年よ。まあ、まだ辛うじて命があるから学校を卒業するチャンスはあるわ」

 ため息混じりにそんな事を言う。置かれている状況が状況なだけに、僕たちを巻き込んでしまうのを良しとしないリリィは自分の事をなかなか話そうとしない。しかし、これで少なくとも学生という事は判明した。

「り、留年…」

「日本の学校は出席日数とか厳しすぎるのよ」

「それはどこの世界でも厳しいと思いますけど」

「学生だって行きたくない時は学校に行かない自由があっていいじゃない。学校で習う事はそれはそれで重要だけど、外にだって学ぶべきことはたくさんあるのよ。だから自主的外学習の機会を作るべきね」

 さすがは特殊環境で育った御仁だ。発想がかなりぶっ飛んでいる。というか、その考えからして普段から学校にそれほど行ってないのでは?という疑念も浮かんでくる。性格もツンデレなのか天然なのか非常に微妙なところだが、もう少し会話すればわかるかもしれない。

「今回の事がうまくいけばまた学校に行けるので頑張って行ってください」

 リリィは薄く笑いながら「そうね…」と言った。

「では、せっかくなのでリリィさんの術式について教えてください」

「そうね。まずは陰陽道について軽く説明するわ。これを理解しないことには神道式の術式も分からないからね」

「よろしくお願いします」

 リリィは少し眉根を寄せて腕を組んだ。

「うーん。私が何も言わないのも悪いけど、その微妙な敬語口調はやめない?」

「え?どうしてですか?」

「あなたが私を見て勝手に年上だと思っているようだけど、私はあなたと同い年だからね」

「ええ!!」

 あれだけ大人びた服を着こなし、冷静沈着に物事を判断し、僕なんかよりも遥かに知識量の多そうなリリィが同い年…

 僕は愕然とした。毎日の勉強量を数倍に増やしても追いつけそうな気がしない。

「そ、そうなんですか」

「だから、丁寧語はなし!!」

「分かりました」

「…ま、いきなり口調を変えろって言っても無理か」

 リリィは少し不満そうな顔をした。

 きっとリリィは、僕には彼女が老けて見えていると思っているのだ。しかし、断じてそうは見えない。単に大人びて見えているだけだ。

「じゃ、まずは陰陽術からいこうか」

「お願いします」

「————!!」

 僕の丁寧語が腹に据えかねたのか、リリィは僕の手を蹴ってから話し始めた。女性の心理は難しい。

「まず、陰陽術は今の中国大陸から仏教と同時期に入ってきたものなの。大陸から様々な宗教や技法が入ってきた日本では、それらが仏教や神道と複雑に融合して独自の宗教体系を作るに至るわ」

「ふむふむ」

「そこは、はい!!」

 またリリィに手を蹴られた。どうやら礼儀には厳しいようだ。公私はきちんと分けなければならない。

「陰陽術は陰陽五行説を基にした呪法よ。ちゃんとした説明は後でするけど、天文、歴数、占筮、相地を駆使して吉凶禍福を知ることで、それぞれに際して祭祀や法術で災禍を避けたり、人を呪ったりもするわ」

「え…呪いも…」

「大丈夫よ。浮気さえしなければ呪ったりなんかしない」

 うふふと不敵に笑うリリィを見ながら、僕は陰陽師とは付き合わない方がいいかもと本能的に思った。しかし、そういう人間に限って魅惑的な場合が多いから世の中は怖い。

「優れた陰陽師は、他にも式神を使った呪法も使えるし、別系統では蠱毒(こどく)を使う人もいる」

「蠱毒?」

「虫や蛇を使って敵を呪う呪法のこと。まずは毒虫や昆虫をたくさん集めてツボの中に入れるの。すると、餌がないから共食いを始めるの。最後に残った一匹を蠱って言うんだけど、それを使って相手を呪うの。呪いたい相手に蠱を噛ませたり塗り付けたり食べ物に混ぜたり家の下に埋めたりすると、その人は呪われて原因不明の病気になって死んじゃうのよ」

「死…」

 僕は絶対にリリィに嫌われないようにしようと決めた。そんな僕の顔を見てリリィは悪魔的に笑っている。間違いない。リリィはドSか悪ふざけが好きかどちらかだ。

「ま、私には違う術式の厭魅(えんみ)があるから蠱毒なんて使わないけどね」

「え、厭魅とは?」

「妖術で呪い殺すことよ!!」

 リリィは更に怖い顔をしてニヤッと笑った。厭魅で呪われては敵わないと、僕は半歩下がる。

「うふふ。可愛い。そんなに青い顔しなくても大丈夫よ。雄二くんには九尾の尻尾があるから人間の呪いにはかからないよ」

 本当だろうか?

 僕が怪訝な顔をしていると、リリィは小さな手で僕の手をポンポンっと叩いた。安心しろと言っているのだろう。僕は息を吸って必要以上にビビるのをやめ、続きを聞くことにした。

「まあ、本気になると怖い術式なのは分かりました。それでリリィさんは陰陽術でどんな事ができるのですか?」

「まずは災いの元を霊的に解析する。そして、その解析したものに怨霊や呪詛があればそれをさまざまな方法で剥がして滅する。それに災いを寄せ付けない神言っていうのもあって、それを唱えれば一時的に怨霊などを寄せ付けなくすることもできるし、呪言や禹歩———日本でいう反閇(へんばい)をして邪を祓ったりもする。あとは…紙で作った人形で人に付いた災厄を祓ったりもするかな」

「へえ。怖い術式ばかりじゃないのですね。安心しました」

 リリィは頬を膨らませて不満そうな顔をして「むしろ利益になる術式の方が多いし、特別な祈祷をする事であらゆる祈願達成を成就させることもある」と言った。

 陰陽術は、災厄の祓いから祈願成就まで色々と効能がある術式のようだ。源相さんに聞いた禅宗の術式とも全く違うのが面白い。宗派ごとに目指す場所が違うので術式が変わってくるのは分かるが、ここまで違うものだとは思ってもみなかった。だからこそ源相さんは細かく色々な宗派の術式の事を話すと言っているのだ。

「じゃあ、次は神道系ね。簡単に言うね。神道は祭文や祝詞で呪詛して呪うこともあるけど、基本的には怨霊を封じる術式に特化している」

「し、神道にも呪い…」

「そう。どんな宗派にも必ず呪術がついてくる。昔はそれだけ呪術が広く認識されていた」

「どんなものも白と黒を併せ持っている。宗教も同じ。そして、それぞれやり方も効能も違う」

 なるほど。確かに黒を制するには黒がなければならない。一方的な攻撃から身を守るにはその逆を知らなければならないのだ。

 リリィは僕にも分かるようにかなり端折って教えてくれているが、非常に勉強になる。

「もう少し細かい事を言う。神道式の占いをすると神の祟りが分かる。祟りを認めた場合は身を清めて罪科の許しを祈って祟りを鎮める。それが手に追えない巨大な怨霊であれば、怨霊を祀り上げて守護霊に変える。過去の巨大な怨霊は、こうして神社に祀って守護霊にしている。大きな神社に祀っている神ほど大きな怨霊だと言える」

「神道系の呪術を使える人は、怨霊を祓うのが得意ってことですか?」

「そうとも言えないが、その傾向はある。私の術式は、どちらかと言えばそちらの傾向が強いかな」

「え?そうなんですか?」

「そうだ」

 これを教えてくれたという事は、僕を少しは信頼してくれたという事だろう。この流れでいけば、リリィさんはどこかの神社で怨霊を封じている一族なのだ。

 リリィは話しを続ける。

「細かいことを言えば、丑の刻参りとか願掛け、汚れを取るための禊ぎなんかも神道系だ。さて、戦いの話しに移ろう。怨霊と戦う時、中に穴の空いたやじりである蟇目(ひきめ)を使った矢を射る事で怪異を祓う人間もいる。話しを聞けば、矢を放った時に蟇目から出る音が魔を払う霊力があるそうだ」

 矢で戦うのか。今日聞いた中で最も人間っぽい戦い方だと思えた。

「リリィさんも矢で攻撃したりするのですか?」

「いいや。私はしない。そうだな…私のやり方はだな…まず、神道系の呪術で戦闘するには、祓いが重要だ。祝詞の祓詞(はらえことば)で身を清めて神の守りを篤くし、言霊や護符で怪異を祓う。怨霊との戦闘は主にこの方法だ。ただ、まともにやると祓詞も言霊も長いので、戦いに特化した文言にしている」

「神道でも戦い方は色々なのですね」

「ああ。そこは陰陽術と同じだ」

「祓詞とはどんなものなのですか?」

「ふむ。今唱えてもいいことはあまりない。文言も長いしな。今度披露する」

「分かりました」

「ま、今日はこのくらいにしておこう。陰陽術と神道系の術式の大まかなことはわかっただろう」

「はい。ありがとうございました」

 リリィは一礼すると、「ここからはタメ口な」と言った。

「分かりました」

 僕がそう言った瞬間、僕はリリィに手を蹴られた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る