第25話 術式
三週後に迫る中学生活最後の大会に向け、放課後は剣道に打ち込む。
団体戦のメンバーも個人戦に特化している者も悔いが残らないよう地稽古にも活気がある。稽古が終わると、源相との待ち合わせまであと三十分という所だった。
「じゃあな!」
「また明日!!」
校門で剣道部の部員も三々五々家へと帰って行く。今日は鳥丸さんの姿も見えないのでトラブルはなさそうだ。ここは幸先が良いと言って良いだろう。
家に帰ってしまうと、もう一度外に行く理由を考えるのが面倒くさい。ここは直接笠間稲荷へと行くべきだ。
校門の前にはすでにヒメウツギ、涼海さん、リリィが揃っていた。リリィはヒメウツギの背中に乗っていて、まるで狐使いのように見える。みんなに手で挨拶し、帰り方向が一緒の友達と別れたところで話しかける。
「ちょっと早いけど笠間稲荷に行こうか」
僕たちは、笠間稲荷神社の参道へと向かった。
観光客はすでにいなくなっている。笠間稲荷神社は静かに闇に包まれている。
「何だか随分と久しぶりに来たように感じます」とヒメウツギがしみじみ言う。
確かにヒメウツギが僕の家に来てから笠間稲荷に行っている感じはない。しかし、あそこには黒い九尾の狐とその眷属の狐たちがいるのだから頻繁に行っても良さそうなものだ。
「うちからすぐなんだから、僕が学校の間に行って来ればいいのに」
「私にも色々と制約がありまして」
ヒメウツギはゴニョゴニョと言葉を濁す。まあ、あまり聞いてほしくなさそうなので、これ以上は聞かない事にする。ところが涼海さんにそんな遠慮はなかった。
「ええ!!ヒメちゃん実家に帰ってないの?だめだよー、ちゃんと帰らなきゃ!!」
「ここは実家ではない!!」
「じゃあ、どこが実家なの?」
「それは…どこでもいいだろ」
ここで涼海さんが一旦言葉を止めた。見れば悲しそうな顔をしている。どうした事だろうと思っていると、涼海さんは涙ながらに語る。
「まさか…ヒメちゃんにそんな悲しい過去が…うう…」
「勝手な想像で悲劇のヒロインみたいにしないでくれ。ここで中国の地名を言っても誰も分からないだろう」
「ほえ?中国?」
「当時の唐だ」
「ああ、なるほど。という事はヒメちゃん外国人だったの!!」
「いや、今更か」
確かに僕もヒメウツギは純日本産の狐だと思っていた。九尾の狐が元々は中国にいたのだからその眷属も元々中国にいても不思議ではない。そういう意味では、ヒメウツギもきっと今までに様々な時代の変遷を見てきているのだろう。ヒメウツギの言葉をそのまま小説にしたらかなり面白いものが書けそうだ。
笠間稲荷神社に近づくと薄くフィルターがかかっているのを感じた。
昔からこの神社には何か独特の波長を感じていたが、九尾の狐の力を得た今、それが気のせいでなかった事に気づく。ここには網の目のように様々な結界が張ってあるのだ。それも怪異や怨霊にだけ効くように巧妙に作られている。リリィもそれに気づいたようで、境内の方に目を見張っている。
「なかなかいい結界だな」
リリィはヒメウツギの背中で感心しながら頷いている。
すると、向かうにキョロキョロと周りを見ながら歩いている坊主を発見した。神社にあれだけあからさまな坊主は多くないので、あれが原相だろう。
「源相さーん!!」
僕が呼びかけると、坊主は驚いたようにこちらを見た。そして、ペコリと一礼してこちらへと来た。
源相さんは私服だったのでスキンヘッドのお兄さんという感じだが、坊主らしく雰囲気は凛としている。まだ二十代だろう。デザイナーズTシャツに穴あきジーンズという中々攻めた格好をしている。
「お会いするのは初めてですね。私は源相と申します。以後お見知りおきを」
「こ、こちらこそよろしくお願いします」
僕が頭を下げると、皆もペコリと一礼した。ウチの霊たちは皆礼儀がいい。
「ほう。私にすらこれほどまでにはっきりと見えるとは…ここには何かそう言う力があるのかもしれませんね。では、こちらへ。皆で話すのに丁度良いところがありました」
源相は笠間稲荷神社の敷地から出て大鳥居の方へと向かった。そして、門前通りを右に曲がってすぐのカフェに入った。ここは金曜と土曜だけ22:00までやっている。参道近くの店は基本的に17:00前後で閉まってしまうので、夜まで過ごしたい笠間市民には非常にありがたい存在だ。僕たちはなるべく人のいないところにと、外のテラス席に座った。
何気なくこのカフェに来たが、源相さんは涼海さんやヒメウツギを見てあの結界の中に入るのをやめたのだろう。
コーヒーとスイーツが来ると、ヒメウツギと涼海さんが揃って「おお!!」と歓声を上げた。これは確かに美味しそうだ。笠間にはない水戸っぽいアーバンな香りがする。リリィは全く表情を変えないので、この手の食事には慣れているように見える。
僕たちが一通りスイーツをたいらげると、源相さんは人がいない事を確認して静かに「では、本題に入りましょう」と切り出した。皆の真剣味が一気に上がる。
「よろしくお願いします」僕は手拭いで口の周りを拭くとお辞儀をした。ここからは学校の授業と同じように、重要な事項を聞き漏らさないようにしなければならない。
「ああ、その前にまず、私にこの方々の紹介を願えますか?」と源相はヒメウツギたちに手を向けた。
「ああ、そうですね。白い狐がヒメウツギ。九尾の狐の眷属で、術式にも詳しくて僕の尻尾の強化を助けてくれます。こちらが涼海凪さん。丹禅寺にいた幽霊さんです。最後に、『犬』に身体を抑えられながらも、怨霊を抑えてくれているリリィさんです」
「おお。あの霊が彼女なのですか?まあ、願いが叶って良かったというところでしょうかね。ヒメウツギさんもリリィさんもよろしくお願いします」
源相は改めて皆に礼をした。三人もペコリと礼をする。
「まず、私は曹洞宗という宗派の人間です。当然、源翁心昭も同宗派で、彼の残した術式は曹洞宗の術式が主だったものです。しかし、源翁心昭は非常に現実的な人間で、自宗派に拘らず他宗派の術式も細かく取り入れて悪魔、怨霊の調伏に利用していました。これを節操がないと言ってはいけません。それぞれの宗派がそれぞれの秘儀を持っており、それぞれに効き目が違うからです。効くには効きますが、ひたすら護摩をしなければならないものもありますし、用意するものがとにかく多く中々術式を始められない秘術もあります。源翁心昭は、それらを使いやすいようにブレンドし、独自の術式の形態を作り上げました。源翁は、これらを後世に残さなければ、数百年後に肉体を取り戻した九尾の狐に人類は滅ぼされると分かっていたのです。ですから、彼は生涯をかけて九尾の狐の復活に備えました。我々、子孫はその教えを受け継ぎ、源翁の術式に加え、代毎に様々な術式を追加してきました」
目の端で何かが動いた。チラッと見ると、リリィがヒメウツギの頭に登らんばかりに身を乗り出している。リリィの絶望的な状況が転換するかもしれないのだからそうもなる。
「では、まず我が曹洞宗の呪術について軽く話します。曹洞宗は臨済宗と共に禅宗です。禅宗は霊験よりも坐禅に重きを置いています。ですので、祈祷や呪術を表立って行わない宗派なのです。しかし、全くやらないと言えばそうではなく、古くは密教的な祈祷や陰陽道の暦法を取り入れましたし、今でも祈祷を行う寺院はあります。中には悪霊の調伏を坐禅で行った剛の者すらいます。さて、悪魔祓いと言いますか、本格的な祈祷をする時は、大般若経の転読をします。転読とは経の主要な部分を拾って読むことです。大般若経を読むと、苦悩の根源である煩悩を焼き尽くし、罪業を消滅させ、災いを取り除いて福を招くとされます。この経を聞き、所持し、普及させれば全ての悪魔は降伏すると言われています。ただ、この大般若経は六百巻もあり、怪異との戦いでは全く使えません。ですので、源翁心昭は転読を更に短くし、般若聞持不忘陀羅尼を唱えながらあらゆる術式を展開し、怪異を祓う方法を編み出しました」
「すみません、般若聞持不忘陀羅尼とはどんなものでしょうか?」
仏教の知識がないのに、禅宗の曹洞宗とかなんとか濃い話しを言われても全く理解できない。一旦話しを止めて考える時間がほしい。
「陀羅尼とは、真言とも言い、仏様にお唱えする祈りの言葉です。かつてインドで使われていた言葉の梵語の呪文ですね。ナモバギャバテイ・ハラジャハラミタエイ・タニャタ・シツレエイ・シツレエイ・シツレエイサイ・シツレエイサイ・ソワカと唱えます」
「ナモバギャ…なんでしたっけ?」
源相は薄く笑みを作って「今は覚えなくて結構ですよ。それに。志田さんは尻尾があるのでまた違う方法でも呪術が使えると思います。これは前談だと思って聞いていください。むしろ丹禅寺にいた涼海さんに覚えてもらった方が良いかと思います」と言った。
いきなり話しを振られた涼海さんは驚いて自分の顔を指差した。源相はそうですとゆっくりと頷いた。
「次に、先ほど密教的な祈祷を取り入れていると申しましたが、実は密教では作法を簡略化させるのは外道とされているのです。しかし、密教の影響を強く受けている修験道は違います。山での活動が主な修験道では、真言なども汎用的で、その時の状況に応じて柔軟に対応して構わないのです。山の中で遭遇した怪異を目の前にして作法に拘っていては死んでしまいますので、これは当然の事と思います。修験と言えば、山伏の元祖として有名な役小角(えんのおずぬ)です。役小角は、厳しい修行で孔雀明王を本尊とする孔雀教法を修め、怪異を使役し、呪術を使いこなしたと言われています。山に入る際に用いられ、怪異の調伏にも使われる九字法は、非常に有名です」
「くじほーですか?すみません知らないです」
申し訳なさそうに言う僕に、源相は優しく解説してくれる。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前と唱えながら、刀印を結んで九字を切ります」
源相はそれぞれの手印を作って見せてくれた。うーむ。テレビで見たことがあるようなないような…
「それぞれ効用が違いますので、必要な一字だけ手印を作って呪術を発動させることもできます。修験の怪異調伏はこのように実用的です。仏教に限らず宗教を広めるには形式が必要な側面もありますので、祈祷など長い時間をかけた儀式が主だったものになりがちですが、このような調伏法があるのも承知しておいてください」
「わかりました」
なるほど。宗派によっても術式のやり方に相当の違いがあるようだ。僕がそんな事を考えていると、リリィが話しかけてきた。
「源相さんに聞いて欲しいことがあるのだが…」
「ええと、はい。わかりました」
いきなり僕が誰かと話し出したので、どうしたんだ?という顔をしている源相に「あの、リリィさんが聞きたいことがあるそうです。ええと…リリィさんの話しは想具で作った電話のようなもので聞いてます。それをお伝えします」と伝えた。
「想具?」源相は何の話しかという顔をして首を傾げた。
どうやら源相は想具を知らないようだ。ヒメウツギや涼海さんが過ごしていた時代は想具を使える人間もいたが、今は完全に廃れてしまっているのだろう。というよりもこれを創れるほど霊力の高い人間がいなくなっているのが現実なのだと思う。すでに絶えたものを教えてくれた涼海さんには感謝しかない。
「想具はその名の通り、イメージしたものを霊具として具現化する技術です。これを作るのにかなり苦労しましたが、これでリリィと会話できるようになりましたし、今後も戦いに有利になるようなものを作っていく考えです」
「なんと、それは凄い。術式と想具の併用で怪異との戦いに幅が広がりそうですね。では、リリィさん。聞きたいことがあればどうぞ」
リリィはコクっと頷くと、話し出した。
「私は神道を修めています。源翁道士はそれに関連した術式も書いておられますか?」
僕は源相にそのまま伝えた。源相は頷くと話し始めた。
「先ほどから曹洞宗や密教といった話しをしていますが、陰陽道も仏教と同じ時代に日本に入ってきました。神道の術式は独特ですが、陰陽道の影響も色こく受けています。千五百年ほど前の日本の社会的動静で、呪術要素が強く日本独自の神を信仰する原初の神道と仏教が混ざり合う神仏習合がありました。その時に陰陽道も混じり合い、密教や修験道はその影響が特に強い日本の神道と共に陰陽道とも強く結びついていきます。源翁心昭はそれを最大限利用して怪異の調伏を行った人物なのです。ですからもちろん陰陽道や神道についての記述もございます」
リリィは真剣な表情で何度も頷いた。
話し聞きながら、僕も思わず頷いてしまう。そんな昔に陰陽道と仏教と神道が混ざり合っていたとは思いもしなかった。社会的な動静とは何であったのかは分からないが、神道と仏教が結びつく契機になるような事があったのだろう。そう言えば社会科で神宮寺なるものを習ったが、その背景は分からない。この辺りが分かってくると源相の話しももっと理解が深まるはずだ。
「神道や陰陽道の術式についてはまた後程話します。では、曹洞宗、天台宗(密教)、修験道、神道などの呪術を源翁心昭がどのように扱っていたのかの説明に入ります」
皆が頷いた。僕が他の三人と同じだけ理解しているのかと言われれば、多分良くて半分くらいだろう。呪文についても、梵語を使ったものや九字法、に加え、日本語の呪文もあるに違いない。
「呪文については、使われている言語がいくつかあります。梵語の呪文についてはもう覚えてもらう以外ありません。特殊な漢字の呪文も同じです。何度も唱えればそのうち身体に染み付いてきます。さて、涼海殿とリリィさんは術式が同根だと思いますが、どうでしょうか?」
涼海さんとリリィは顔を見合わせ、術式のやり方の話しを始めた。時代は違うが基本が同じなら二人でできることもあるだろう。
「やり方がかなり違うけど、単純に陰陽道という根っこは同じね」と涼海さん。
「では、木・火・土・金・水の五気を使った呪法や、蠱毒、悪魔憑きの呪法、式神の及いなどは一通り問題ありませんか?」
「うん。蠱毒はちょっと違うけど他の基礎はあるよ」
涼海さんは胸を張り、リリィも頷いている。
「分かりました。では話しを続けます。源翁心昭は、怪異と戦う時はその怪異について理解し、その都度使う術式を決め、同じ調伏の仕方は一つとしてなかったと語っています。それは宗派に拘らずあらゆる呪術を学んだからできることだと源翁も言っています。皆様に今までお話しした呪術のやり方を一から学んでいただくのは時間的に無理ですので、今回の作戦に見合った術式をいくつか提供して覚えていただくということでどうでしょうか?」
「私にも何か教えてくれるのか?」
ヒメウツギがそう源相に聞くと、源相は頷きながら「もちろんです。人間にも妖にも扱える術式は存在します。それは源翁が戦ってきた怪異が使ったという術式を紐解けば自ずと分かります」と返した。
「さて、ご両親が心配する時間になってしまいましたね。続きは明日にしましょう。まだ説明していない宗派の術式もあります。私もできるだけ使いやすい資料を作って参ります」
僕は時計を見た。確かにもう帰らないとまずい。
「今日はありがとうございました」
「いえいえ。これからですよ」と言って源相は支払いに行ってしまった。
源翁心昭は、彼の生きていた時代から僕たちの時代の状況を見越していた。きっと凄い人だったのだろう。それをここまで繋いでくれた源相さんたちの努力も並大抵ではなかったはずだ。
僕もできることをやっていこうと思う。まずは今日聞いたことを帰ってから頭に叩き込んで、できれば時代背景も勉強しよう。歴史の授業で『歴史は繰り返す』というローマの歴史家のクルティウス・ルーフスの言葉を習った。全くその通りだと思う。源翁心昭はその時の危機を乗り切った。僕もなんとか乗り切らなくてはならない。
家に帰り、食事と風呂を済ませると、早速源相の話しの復習をする。学校の勉強も少しはしなければならないので中々骨が折れる。しかし、弱音を吐いてはいけない。リリィはもっと苦しいだろうし、涼海さんも僕の見えないところで何かの練習をしている。
こうして、僕らは徐々に体勢を整えていった。
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