第23話 怨霊の怖さ

「では、こうしようかの」


 源信は重い口をようやく開いた。ヒメウツギは鋭い視線をスマホに向けた。これからの展開を警戒するのも分からない話ではない。何しろ怪異との戦いを念頭においてきた一族の話しなのだ。九尾の狐も同じ怪異。色々と思うところはあるだろう。


「『犬』の対策は勿論我々も考える。しかし、それ以上にリリィ殿の方をどうにかしなくてはならないのじゃ。敵は現在の斎王にも手を出してきた。これはとても放置しておける問題ではない」

「斎王?」

「かつて天皇家は、人間と神の架け橋となるべく伊勢神宮へ女性を送り出しておった。それが斎王じゃ。斎王は生涯恋愛を禁じられ、伊勢の斎宮で過ごすのじゃ。別の言い方をすると、天皇家から派遣された日本で最も大きな怨霊である天照大神の見張り役じゃ。現代ではその制度は無くなったと言われておるが…伊勢神宮とは違う場所で実は連綿と続いていたようじゃな」

「え!!」


 僕は驚いてリリィを見た。

 こんな今風の格好をしている彼女がまさかその斎王のような事をしているというのだろうか?リリィは唇を噛んで目を逸らした。源信の言うことは当たらずしも遠からずなのだろう。それにしても、今、源信は何か恐ろしいことを言わなかったか?天照大神が怨霊???


「ふむ。先ほど怨霊はその恨みが大きれば大きいほど大きな怨霊になると言うたが、逆も然りでの。その怨霊が大きければ大きいほど、祀った後のご利益が大きくなるのじゃ。天照大神ほどになると、そのご利益は計り知れない。しかし、その封印が解けた時は、日本が転覆するほどの恐ろしいことが起きるはずじゃ。だから、伊勢神宮に天照大神を迎えた時、元々外宮だけであった神宮に内宮を作ったのじゃ。内宮はありとあらゆるところに結界が作られておる。あれほどの結界は日本中探してもあそこだけじゃ。太宰府や出雲大社よりも念入りに作られておる。しかも、内宮の結界が破られた時の為に、かつて本宮であった外宮にも守り神をおいておる」


 ヒメウツギは首を傾げて「ふむ。食物の神である豊受大神では守りに向かないのでは?」と源信に聞いた。

 伊勢神宮の内宮には食物の神様が祀られているようだ。僕は知識が浅いので、その豊受大神がどのような神様かも分からないが、ヒメウツギは戦闘には向いていない神様だと思っているようだ。


「ふむ。表向きはそう言っていおるが、本当に祀っている神は違う神様だと言われておる。豊受大神は女神じゃが、内宮の千木は外削ぎで鰹木も奇数となっており、男神を祀る仕様になっておる。何しろ天照大神を抑える役目の神様じゃ。色々な事が隠されたまま現在に至っているのじゃろう。元々外宮には豊受大神とは別の神様が祀られていたはずじゃ。その神様が守っているのかもしれないし、別の神様が来たのかもしれないが、かなりの神威を持った神様が祀られているのは間違いないじゃろう」


 それを聞いたヒメウツギは、首を傾げて源信に食い下がった。


「そうだとしても、まず、天照大神が怨霊神というのはどうにも腑におちない。人間の神についてそこまで詳しくはないが、数百年前もそんな話しは聞いた事がない」


 まあ、僕でもそう思うのだからヒメウツギがそう思うのも無理はない。


 源信は少し沈黙した。そして、薄くだがスマホの向こうで水を飲む音が聞こえた。

「当時の天皇であった崇神天皇は、農民が反乱などを起こして政情が不安なのは、天照大神と倭大国玉神が御所に祀ってあるからだと考えての。天照大神の宿るとされる八咫鏡を豊鍬入姫命に託して御所から出したのじゃ」

 本当か???そんなことがあるのか???雄二は混乱した。天照大神は言わずと知れた皇室の祖神だ。その神様を天皇の居所から出すものだろうか?

「その後、いくつかの神社を転々としたが、八咫鏡を嫌がってか、なかなか八咫鏡を祀る場所が定着しなかったのじゃ」

 八咫鏡を持ち込まれた神社が、それに宿る天照大神を祀るのを嫌がるなんてことがあるのだろうか?

「あまりに定着しないので、次第に豊鍬入姫命は体を壊しての、その役目は倭姫命に託された。そして、八咫鏡が最後にたどり着いた場所が伊勢神宮なのじゃ。恐らく、他の地ではこの怨霊を祀るだけの体制が整えられなかったのだろうて」


 僕はリリィを見てみた。リリィは肯定する訳でも否定する訳でもなく淡々と源信の話しを聞いている。否定しないのは、話しが間違っていないからなのだろうか?


「最後になるがの。伊勢神宮はどこからも霊が出ていかないような造りになっておる。これは天照大神を守るためと言うよりは出さない方に重きを置いているように見える」


 これで源信は一旦話しを止めた。

 ヒメウツギも目を閉じて考え込んでいる。涼海さんは何か言いたげだが、珍しく口を出さないでいる。リリィは思うところがあるのか、じっとスマホを見つめて物思いに耽っている。


「ええと…リリィは、その…なんて言うか…怨霊を守っている人なんだよね?」

 リリィは僕を見上げ、僕の目をじっと見た。この目は覚悟を決めた目だ。


「そうね。まだ私の名前は明かせないし、何をどうしているのかも言えないけど、代々霊を祀っている家であるのは本当よ。まあ、日本は祀る霊が多すぎるのよ」

 リリィは暗に恨みを持って死んだ人が多いと言っているのだろうか?

「分かった。じゃあ、そこまで詳しい事は聞かない。けど、源信さんが言うように怨霊が日本を滅茶苦茶にするなんて事はあるの?」

「その怨霊の大きさによるよ。例えば、天津神に国を譲った国津神の代表の大国主が出雲大社から出たら、それはもう相当な被害が出るよね。それと同じで、ある一定以上の大きさの怨霊は日本に大きな被害をもたらすと思って間違いないわ」

「そ、そうなの…?」


 妖の力を使える自分が言うのもなんだが、怨霊にそこまでの力があるとは思いもよらなかった。そもそも神社が怨霊を抑えるための施設だということすら知らなかったのだ。やはり、日本の歴史、当時の常識をもっと勉強しなければならない。最近、毎日そのことを痛感している。


「ふむ。大きな怨霊が地上に放たれた時の損害は、恐らく想像を絶するものになるじゃろう。そうなる前に何とかしなくてはいけないのじゃ。本来なら、神社本庁がもっとしっかりしておれば良いのじゃが、現代においてはそうもいかぬ。そこで、未来を憂いておった源翁心昭からの言伝がある。『獣狩り』について研究しておった安倍有重のことじゃ」


 源信がその話しをした瞬間、涼海さんが僕の横に来て、右手で尻尾を掴んだ。手が汗ばんでいるのが尻尾を通じて伝わってくる。この安倍有重の研究に彼女も何か関係しているのだろうか?その時代のことも日本の歴史のことも知らなすぎて、僕だけ置いていかれているように感じる。


「ちょっと待ってくれ。源翁心昭は我が主の九尾の狐さまの魂を二つに割った人物だ。そのお陰で我が主人がいると言ってもいいが、彼は曹洞宗の術を使っていたのではないのか?」とヒメウツギ。

「ふむ。源翁は曹洞宗ではあるが、初めは違う宗派にも所属していたし、貪欲に他宗派の教義を取り入れもした。今で言えばかなり柔軟な人物だったようじゃ。先ほども話したが、彼はかなりの現場主義だったようで、どの術式が怪異に効くのかを曹洞宗の呪術以外にも多数試したとある。怪異と戦うには、それだけ知見がものを言うのじゃ。彼が陰陽師…神社式の呪術も勉強していても不思議ではないし、安倍有重が研究した成果を源翁心昭が使えたとしても不思議ではない」


「そんな何でもできる奴がいるのか?」ヒメウツギが首を捻る。


「逆に言えば、そういう人物であったからこそ九尾の狐を封印できたと言える。何でもありの戦いをしたからこそ、魂の状態だった九尾の狐を封印できたのじゃ。『獣狩り』の力を借りられない状態で、単一宗派の術式でどうにかなるほど九尾の狐は甘くない」


「なるほど。今度、九尾の狐さまにも聞いてみよう」とヒメウツギは引き下がった。

 ヒメウツギは、九尾の狐から源翁心昭について聞いていないのだろうか?九尾の狐にも色々と思惑があるのかもしれない。怪異との戦い、怨霊との戦い、九尾の狐の思惑…今の僕ではどれも解決できそうにない。


「それで、安倍有重じゃな。彼は妻と共に生涯をその研究に捧げたそうだ。彼の妻は非常に優秀だったようで、かなりの成果が出たと源翁は報告しておる。安倍有重は源翁に『私達の研究の成果は間違いなく後世に役立つ。但し、人は選ばせてもらう』と言ったそうだ。その研究成果は、誰にも見つからない場所に隠されておるようなのじゃ。その場所に関して源翁の言葉が残っておるのじゃが、さっぱり用を得ない。もしかすると、陰陽道に通ずるものがこれを読めば場所が分かるかもしれなんだが、儂には分からん」


「陰陽道に通じるものですか?」


 僕は涼海さんと目があった。涼海さんの目は「陰陽道なら任せろ!!」と言っている。


「あの…ここに幽霊の陰陽師がいます。彼女はいつの時代の人間かは分かりませんが、かなり自信があるそうです」

「我が寺にずっといたあの霊か?まさか何十年も自分の近くにその知識を持つ者がいたかもしれないとは…では、その助力を借りることにするかの。それと並行して、雄二殿に呪術について学んでもらおうと思う」

「え?僕がですか?いきなり覚えられるものなのですか?」

「勿論、全てを覚えよとは言わん。しかし、怪異と戦うにも怨霊を封じるにもまずは基礎というものがあり申す。これから笠間に源相を派遣する。彼にまずは曹洞宗の呪術と密教式の呪術を習ってほしい。違いはあるが他宗派の呪術の会得にも役立つはずじゃて」

「は、はい。分かりました」


 尻尾の能力だけでは怨霊とは戦えないのだろうか?とも思うが、源信の言う通り、戦いにバリエーションを持たせるのは悪くはない。


「では、源相を派遣するので、連絡を受け次第、彼に会って話しを聞いてくれ。安倍有重の『獣狩り』の話しも源相に託す」

「はい」

「では、またの」

 そう言って源信は電話を切った。


 ヒメウツギと涼海さんが僕を見ている。その目には何か闘志のようなものが見て取れる。もうこの三人で道を切り開いて行くしかない。『犬』の策略も怨霊の復活も時間が経てば経つほど解決しにくくなるのは目に見えている。


「あ、あのさ…」

 下の方から声が聞こえる。リリィが気まずそうな顔でこちらを見ている。

「さっきの怨霊の話しだが、確かに私はある巨大な怨霊と関わっている。そして、先ほどの僧の話しの通りに怨霊が神社から抜け出ると、想像以上に甚大な被害が出る」

「じゃあ、その怨霊を出さないようにするにはどうすればいいの?」

「それは…怨霊の抜け出る道に蓋をして神社から出られなくすればいい。自分が怨霊を封じる手もあるが、自分の魂は封印され、肉体もどうなっているのか…」


 リリィは涙目になった。意志の強そうな女性だが、自分の身体がどうなっているのか分からない状況は耐えられないのだろう。


「もし可能なら、まずリリィの身体を確保した方がいいの?それとも魂?」

「恐らくは…それをほぼ同時にやらなければダメだ。敵は狡猾だ。お前たちの言う『犬』も私の敵も、私をすぐにでも殺せる状態にして利用している」


「同時か…厳しいね」という僕の言葉に涼海さんが反応した。

「ふっふっふ。何を言っているの?雄二くん。私がいるでしょ。雄二くんがバーンって敵と戦っている間に、私が魂を救い出すよ」


 目の錯覚か若干大きくなった胸を突き出して鈴海さんが言う。いやこの大きさは錯覚ではない。きっと涼海さんは実際よりもよく見せる術を身につけたのだろう。恐るべきはそれを可能にする陰陽術か。


「で、でも、別々の場所でどうやって連絡し合うの?」

 涼海さんは、何を言うかという目を僕に向ける。何か策があるのだろうか?

「うふふぅ。雄二くんの創った想具があるじゃない。あれ、遠くにいても使えるでしょ?」

「ああ、あれか。うーん、どうだろ?」


 試しに僕は一階に降り、小さな声でリリィに話しかけてみた。「リリィ。聞こえる?」すると驚いたことに非常にクリアな声でリリィが「聞こえるぞ」と返事をしてくれた。どうやら声を大きくする想具は、涼海さんの予想通り離れていても作動するようだ。もっと離れても大丈夫かは検証しなければならないが、効果が確かめられたので、雄二は二階の自室に戻った。


「涼海さんも聞こえた?」

「うん。聞こえたよ。もっと遠くで試してみる必要があるけど、これで、私と雄二くんが同時にリリィちゃんの身体と魂を同時に奪還できそうだね」

「そんな簡単にはいかないと思うけど…まあ、戦略は立てやすくなったかもね」

 涼海さんは口を膨らませて僕を睨んだ。絶対に大丈夫だと言いたいのだろう。この顔もなかなかに可愛い。

「私が戦うんだよ。大丈夫に決まってるでしょ」

 その自信はどこから来るのかと言いたいが、実際に涼海さんは強い。しかも、怪異の鬼門とも言うべき陰陽術を使える。

「頼りにしてるよ」

「うひひ。任せて!!」

 涼海さんは、満面の笑みで空中でクルクルと回転した。ヒメウツギはあえて何も言わなかったが、目が調子に乗るなと言っている。部屋中を飛び回っている涼海さんを見ながら、彼女はこのくらいの方がいい結果がでそうなので、このままやる気にさせておいた方がいいだろうと思った。


 リリィは複雑な表情で僕たちを見ている。自分の事をどこまで話すべきかまだ迷っているのだろう。彼女がそれを話してくれるように僕も頑張らなくてはならない。


 さて、今日のことをもう一度おさらいしよう。


 PCを立ち上げて、源信さんに言われた事を書いていく。仏教系の呪術とはどんなものなのか?リリィは一体どんな怨霊を守っていたのか?魂と身体の奪還作戦の成功率…今の僕の頭では処理しきれない内容ばかりだ。しかし、それでも、この仲間たちが手を貸してくれれば乗り越えられる山だと思う。


 この文書を保存し、ノートPCを机の引き出しに入れる。


 そして、心を切り替えた。明日の日常も大切にしなくてはいけない。僕はベッドに横たわった。今日はもう寝てしまい、疲れを取ろう。寝る前の儀式みたいなもので僕は尻尾を出す。

「うーん。いい匂い」と涼海さんが早速抱きついた。リリィも他に寝るところがないのか僕の枕元にちょこんと座った。最後にヒメウツギが尻尾を挟んで涼海さんと逆側に来ると身体を丸くした。全員が定位置についたので、僕は目を瞑った。実はこの瞬間が一番幸せな時間かもしれない。


 そんな事を思っているうちに、僕は夢の世界へと誘われた。

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