第22話 『犬』と怨霊
翌日、僕は学校から帰ると二階に上がり、何をどう説明して良いのかまだ整理がついていないが、スマホで丹禅寺へと電話した。
いつも通りコール音が鳴り続く。すでに五十回は超えている。
今日は十分くらいで出てくれるだろうか?などと考えていると、ガチャっと音がして、「はい。丹禅寺」と声がした。この渋い声は源相ではなく源信だ。
「あ、あの志田雄二です。ちょっとご相談したいことがあります」
「ふむ。分かり申した。どうぞ」
雄二は『犬』のこと、リリィのことを話した。大体のことを話し終えると一瞬沈黙の後、源信が口を開いた。
「そうか。眷属がもう動き出して外部勢力と結託までしたと申すか」
源信はそう言うとまた沈黙した。ほんの僅かな静かな時間が数十分のように感じる。
「そのリリィという者と話しはできるか?」
「はい。できます」
僕はスマホをスピーカーモードにすると、「リリィさん。源信さんが話しをしたいと言っています」
リリィは顔を強張らせて「うん。分かった」と答えた。声が小さ過ぎて源信には聞こえないので僕がリリィが話したことを源信に伝える事になった。
リリィの声を無言で聞いた源信は、やがて口を開いた。
「話を聞くに、リリィ殿の方の事態を喫緊に何とかしなくてはいけないようじゃ。リリィ殿の抑え込んでいる怨霊がどの程度のものか分からぬが、恐らくは相当な怨霊だと思う。祀られている悪霊を悪用しようとする者は今も過去も多くいたのじゃが、その過程で人間の魂と肉体を分けられるほどの術式を持つ者が出てくる事はまずない。そこまでの術師がいないからじゃ。そこまでの術式を発動させるのは、恐らく今の人間には不可能じゃ。まさかとは思うが、一つだけ答えてくだされ。その者の姿は人間かも知れぬが、その中身はどう感じましたかの?」
それを聞いたリリィは、口をギュッと結んだ。
僕はリリィが話すのを待った。源信も静かに待っている。やがて、リリィが「人間だとは思うが、若干違和感があったかもしれん…」と言った。
「源信さん。リリィは人間だとは思うけど、若干違和感があったと言っています」
「なるほど…それなら合点がいくか…」
源信はそう言うと、また考え込んだ。
後ろではヒメウツギと涼海凪が渋い顔をしてこの話しを聞いている。
怪異と怨霊の話しが気になって仕方のない凪は、「ねえ、ヒメちゃん、怨霊って誰だろうね?」小さな声で涼海がヒメウツギに聞く。
「ヒメちゃんはやめろ」
「もう、いい加減いいじゃない。ねえ、ヒメさま、怨霊って誰だろうね?」
「九尾の狐さまが大陸から渡って来られた時、日本で大怨霊と呼ばれていた英霊は幾人か思い浮かぶが、その中の最上位に属す者なら流石に看過出来ぬな。九尾の狐さまの復活の前に日本が半壊するぞ」
「やっぱりそう思う?」
「お前たち人間の恨みは、我々の想像を絶するからな。自然神と融合したら何をやらかすか分からん」
「うーん。面目ない。その通りだね」
源信はまだ黙ったままだ。
スマホの画面が暗くなったので、僕は画面を指で叩いた。電話はまだ丹禅寺に繋がっている。電話の秒数が淡々と進んでいくのを見ていると、ようやく源信が話しを再開した。
「では、少し怨霊の話しをする。怨霊とは恨みを持って死んだ人間の魂がその恨みを晴らすために悪霊化したもののことじゃ。昔の日本には大きな怨霊をも祓える人間もいたと言う。その一人が、我が祖先にして、白い九尾の狐を殺生石に封じた源翁心昭じゃ」
ヒメウツギの鼻がピクッと動いた。
源翁心昭が九尾の狐を封印した時、九尾の狐の魂は白と黒の二つに分けられた。白い九尾の狐は悪の魂、黒い九尾の狐は正義の魂。ヒメウツギは黒い九尾の狐についた眷属の中の一人だ。この名前を聞くと何か思うところもあるのだろう。
「彼の残した書によれば、山のように巨大な鬼と化した怨霊を祓ったこともあると言う。ただ、源翁によれば、彼の時代ですら、怨霊を祓えるだけの術式を持った者はもうほとんど残っておらなかったそうだ。その事に危機感を持った源翁と陰陽寮の一部は、後進の育成と、怪異を抑え込む為の研究を始めたと言う。朝廷でその中心を担ったのが、安倍晴明の子孫である安倍有重とその妻の頼子じゃ」
馴染みのない名前や固有名詞がいくつか出てきた。このような裏日本史みたいな話しを聞いてもピンとはこないが、必要な話しなのだろう。集中力は切らさない。
「今言ったように、安倍有重と源翁心昭は、九尾の狐を封印した後も後進の育成という点で繋がっておった。源翁心昭は仏教———特に密教色の強い『祓い』を体系化しようとし、安倍有重は頼子とともに『獣狩り』の研究を進めたという」
僕は驚いた。思わず『え!!』と声が出たほどだ。あれほど源信が言葉を濁し、慎重を期して詳細を語らなかった『獣狩り』という言葉が出たからだ。情報量が多すぎて、頭と感情の整理がつかなくなってくる。
その源翁心昭と安倍有重の間に何があり、そして禁呪によって生み出された異形の人間である『獣狩り』がどう繋がると言うのか?
「ち、ちょっと待ってください。少し頭を整理させてください」
「ふむ。分かり申した。一気に喋り過ぎたのかもしれませんな」そう言って、源信は話すのを一旦やめた。
源信が一息入れている間に、雄二は少し考えをまとめる。
さっきまでの話しだと、源翁心昭は仏教式の『祓い』の術式の体系化を研究し、安倍有重は『獣狩り』を研究した。そして、現代においてそれを知る者は源信くらいかもしれない。それを語ってくれた源信は、僕に何を求めているのだろう?
すると、ヒメウツギが「雄二さま。『獣狩り』については、私も九尾の狐さまから聞いております」と話した。
ヒメウツギは九尾の狐の眷属だ。確かに知っていてもおかしくはない。
「どう聞いているか教えてよ」
「はい。分かりました」
ヒメウツギは、僕の前にちょこんと座り、スピーカーにも聞こえるように話し始めた。
「『獣狩り』は異形の者で、その力は一騎当千と言われています。実際に戦った九尾の狐さまは、『獣狩り』は余りに強過ぎて、彼らが全員で反乱を起こせば、朝廷はおろか日本が消えていたとおっしゃられていました。『獣狩り』は扱いが非常に難しい戦力なのです。『獣狩り』の面々が、人間に人間でも妖でもない独自の生き物だと蔑まれでもしたら、それが現実のものになりかねません。安倍晴明の子孫ともあろう者が、これほど危険極まりない『獣狩り』の何を研究していたかは定かではありませんが、その強大な力に目を付けたことは間違いありません。人間はぬるい生き物ですので、恐らくは禁呪を使わずにその力を手に入れたいと考えたのだと思います。しかし、大きな力というものは何かの代償が必要なものです。恐らくはうまくいかなかったのではないかと思います。成功していれば、何かのタイミングでその力が使われたのではないかと思いますが、ここ三、四百年の間にそんな話を聞いたことがありません」
「なるほど。それもそうだよね」
少し頭の中の整理がついた。『獣狩り』のきちんとした知識をヒメウツギが授けてくれたのが大きい。
僕の脳の飽和状態が少し緩和されたのを感知したのか、源信が口を開いた。
「ふむ。続きを話しても良いかの?」
「はい」
僕はスマホに向かって頷きながら返事をした。リリィも涼海さんもヒメウツギももう口を挟まない。
「源翁心昭は、『獣狩り』に頼るのは最終手段だと説いている。だからこそ、源翁は白い九尾の狐を封印した後、祓いの術式を多くの弟子に伝えている。その一番弟子の残した書によれば、当たり前の話しじゃが、結局のところ、怪異や悪霊を鎮めるには、机上で学ぶよりも経験を積むのが一番大事だと書かれている。どれだけ体系的なものを作ったとしても、相対する怪異によって術式の扱いが変わってくるからじゃ。源翁自身も多くの経験から得た知見がなければ、九尾の狐の封印は叶わなかったと言っておる。どんな術式も使わなければ威力は増さないし、使い方を考えなければ威力を発揮しない。その事を胸に刻んだ源翁の弟子と源翁の身内の者が、修行と実験を繰り返しながら今のこの時代までその研究結果を引き継いで来た。これはひとえに、九尾の狐の復活で日本を滅ぼされないためじゃ。雄二殿の話しを聞いて、拙僧はその成果を出すのは今をおいて他にないと判断した」
源信の声が深みを帯びて呪文のように部屋に響く。何かヒリヒリしたものを肌に感じながら、僕は源信の話に耳を傾けた。
「我々は雄二殿が丹前寺に来られた時から少しずつ準備を進めて参った。初めて黒い尻尾を見た時、その尻尾に秘められた力の大きさに驚かされ申した。尻尾からは妖の頂点に立つ者の凄み、力強さと優美さを全て内包した独特の気を感じ申した。そして何より、それが身体に付いていながら我を失わない人間がいるという事実が最大の驚きじゃった。あれだけの力を与えられて精神が破綻しない人間がいるとは、拙僧も思えなんだ」
話を聞きながら、僕は電話の向こうの源信に見られているような感じがした。千里眼など人間が持てる力ではないが、源信なら持っていそうで怖い。
「いつ復活するかわからない九尾の狐じゃったが、黒き九尾の狐が白き九尾の狐の復活を察知し、雄二殿を通じてそれを我々に伝えてくれた。あれから私は源相は何度も話しをし、雄二殿の成長に合わせた術式の伝授、怪異との戦いの指導をすることにした。雄二殿一人に背負わせるのは大きすぎる問題ではあるが、我々も関与することで、その負担をなるべく軽減したいと考えておる」
やはり、近いうちの全面対決は免れないようだ。ただ、今の生活を崩したくない自分もいる。バランスが取れるようなことではないが、なるべく今の生活を大事にしたいのだ。答えのない迷路は大抵ゴールには辿りつかない。しかし、そもそも思索というものにゴールはない。だから、僕が自分をゴールへと導くような決定をしていかなければならない。
源信は、一度咳払いをして大きく息を吸い。続きを話した。
「黒き九尾の狐の力は大きすぎる力ゆえ、我々は、事を余りに性急に事を進めてはいけないと思っておったが、まさか『犬』と呼ばれる眷属がそこまでの事をやってくるとは思っておらなんだ。リリィ殿の問題は、本来我々人間が人間同士で解決しなければならない問題じゃ。しかし、『犬』が絡んでいるとなると話しが違ってくる。片方だけの対策では世の中の摂理が傾くのは必然。怪異と妖による力が強くなれば、それだけ我々の世界が黄泉の世界の方へ傾いてしまう。死後の世界が密接だった昔と比べ、今の人間は、西洋的な言い方をすれば第六感が発達しておらん。日本的に言えば霊感かの。そうなると、怪異のこの世界への怪異の侵食はあっという間じゃ」
もう少し分かりやすく説明してほしいが、感覚的な理解が大半の世界ではそれも難しいのだろう。
「ええと、何故、怪異が絡んでくると…その…黄泉の世界?が、その…この世界に絡んでくるのですか?」
「ふむ。雄二殿は日本の神話のイザナギとイザナミの話は知っておるかの?」
「え?えーと、誰ですか?」
自分の不勉強を悔やむしかないが、そもそも学校の歴史ではそんな事は教えてくれない。古文や漢文の授業があるのだから、その辺をもう少し詳しく教えてくれてもいいじゃないかとも思う。
「ふむ、日本という地を作り、その日本に多くの神様を作った最初の二人の神様じゃ」
なるほど。アダムとイヴ的な神様だったのかと雄二は理解した。
「イザナギの妻のイザナミは多くの子供を産んだが、その中の一人のヒノカグツチは火の神様で、生まれた時から燃えておっての。イザナミはその子供に焼き殺されたのじゃ。死後、イザナミは黄泉の国におったが、夫のイザナギが会いにやってきた。その際、腐敗した死体姿の自分を見られたくなかったイザナミであったが、どうしても妻の姿を見たかったイザナミにその姿を見られてしまい、怒り心頭でイザナギを殺しにかかったのじゃ。追いかけてくるイザナミから逃げることに成功したイザナギは、黄泉比良坂という死後の世界と現世の境目に大きな岩を作ってイザナミが死の世界から出られないようにしたのじゃ。黄泉比良坂はこの日本のどこかにあると言われておる。実際に我々の世界と死者の世界を隔てているのは、大きな岩ではないかもしれないが、今のところ機能しておる。大きな怨霊にこれを破壊されてしまえば、その大怨霊だけでなく、黄泉の世界から這い出てきた小さな怨霊にまで我々の世界が破壊され申す」
確かに、九尾の狐が実際にいるのだから、怨霊のいる世界もあると考えても問題はなさそうだ。この問題の大きさがじわじわと僕にも浸透してきた。
「リリィ殿の一族が管理している怨霊が、本当に大きな怨霊であれば、その怨霊が現世に解き放たれた瞬間、日本の大部分は破壊され申す。更に問題なのは、怨霊が先ほど言った黄泉比良坂を塞ぐ岩を揺るがことじゃ。この岩が破壊されれば、黄泉の世界に閉じ込められていた小さな霊たちもこちらの世界へと放たれ申す。結果、我々の世界は怪異と悪霊が跋扈する世界となり申す。霊は当たり前のように死者の世界と生の世界を堰き止めていた岩をすり抜け、こちらの世界へとやってくる。そして生に執着して怨霊になる。怪異に加えて怨霊による事件が増えては、死者の世界への対抗手段を持たない我々に取れる対策は少ない。昔は、力のある陰陽師や仏僧がある程度それを食い止めてくれておったのじゃが、そんな力を持つ人間はもうほとんどおらなんだ。だからこそ、『犬』の絡んだリリィ殿の件も無視できぬのじゃ」
リリィは分かりやすく青くなって言葉を詰まらせた。
当事者のリリィでさえ、そんな状況だったとは思いもしなかったかもしれない。僕たちが知らないだけで、今、日本各地で『犬』やその仲間が九尾の狐の復活に向けて手を打っているはずだ。怪異の動きと怨霊の問題が密接に絡み合って、白い九尾の狐の復活へと向かっている。
「源信さん。できる限りの事はしたいです。僕はどうすれば良いでしょうか?」
電話の奥の源信も何が正解かを必死に考えているのだろう。僕の部屋は緊張感のある静けさに包まれた。
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