第20話 魂の固定
尻尾を隠して女性を包む気の幕を維持するのは至難の業だ。結局、家には20:00過ぎに帰り着いた。学校から家まで一時間はかかったことになる。
家に入ると、ヒメウツギが玄関先で腕を組んで立っていた。ペシペシと片足で床を打ちながら瞑っていた目をゆっくり見開くと、鋭い目をこちらに向けた。僕の帰りが遅いので、小言を言うために部屋から降りてきて待っていたのだ。
「雄二さま。帰りが遅くなる時は、式神で確実に連絡してくださいとあれほど…」と説教を始めようと口火を切った瞬間、涼海さんが「ヒメウツギィ〜。部屋に結界作って〜」と大きな声で口を挟んで嘆願した。
ヒメウツギは、涼海さんに機先を制され押し黙ると、目を細めて僕を見た。そして、僕の横に浮遊している女性を目に留めると、その目で僕と女性を二往復させた。
また厄介ごとを持ち込んだなという顔を隠さずに、「どの程度の結界が必要なんだ?」とヒメウツギは涼海さんに聞いた。このヒメウツギの理解力と判断の速さは特筆に値する。黒い九尾の狐が僕の元にヒメウツギを置いたのはきっとこれがあるからだろう。逆に涼海さんは、考えを言葉にするのが若干苦手だ。僕は、涼海さんのしどろもどろな説明を聞きながら、ここまで隠していた尻尾を勢いよく出すと、安定した力で気の幕をさらに厚くした。これで部屋まで走ってでもいける。
「ただいまー!!」
母親に聞こえるように言うと、僕は一気に二階へ駆け上がった。階段の壁に女性をぶつけないように抱き抱えるように女性を運ぶ。
一階から「ちょっと帰ってくるのが遅いよ!!早くお風呂に入って!!」と母の声が聞こえる。
「すぐ入る!!」
僕はそう答えて部屋に入った。
まずは風呂に入らなければならない。僕はパッと涼海さんを見た。涼海さんは親指を築き上げて大丈夫とサインを送ってくれた。ヒメウツギも腕を組んで不機嫌そうな顔をしているが、後は任せておけと頷いている。
「二人ともありがとう」
お礼を言うと、すぐさま一階のお風呂へ直行した。兎に角、母に怪しまれる行動は厳禁だ。
お風呂をいただくと、雄二は髪を拭きながらリビングへと直行する。
「あら、お風呂上がるの早いわね」
母はそう言いながら、ダイニングテーブルに今日の夕飯を並べていく。妹の分も置いているので、母と妹は僕が帰るのを待っていたようだ。どうにもならない事情があったとは言え、遅くなって申し訳ないと思う。
「雄二。翠を呼んで」
僕は階段の下で「翠〜!!ご飯〜!!」と叫ぶと、暫くしてドタドタと階段を降りてくる音が聞こえた。
リビングに現れた妹の翠は、「お兄ちゃん遅いよ!!」とご立腹だ。きっとお腹が空いていたのだろう。
「ごめんごめん。久しぶりの部活で頑張りすぎちゃった」
「そんなことより受験に集中しなよ」と母のようなことを言う。翠は母にベッタリなので、口調まで母にそっくりだ。もう怪異に二度と関わりたくない母の味方なので、普段接しているヒメウツギや涼海さんの事は話せない。
「ちゃんと勉強もやるよ。じゃ、食べよう」
「うん!!」
緑は小学生らしくピョーンとジャンプして椅子に座ると、早速箸で食事をつついた。
僕も夕飯を食べ始めた。今日は僕の全快祝いで、母が頑張って作った五目いなりすしだ。揚げに包まれたしいたけ、にんじん、枝豆などが絶妙に美味しい。笠間市民なら確実に何度も食べている郷土料理だ。
残った洗い物をさっと終え、揚がったばかりのパイタ焼きを運んで、母も食卓に座った。親戚がひたちなかの方にいるので頼めば送ってくれるのだ。
「どう?美味しい?」
「うん」
翠も口の中をいっぱいにして「おいしー」と満足そうだ。これは早く食べたかったに違いない。
僕もパイタ焼きを一口食べる。叩いたイワシと味噌が絡んでこれも美味しい。
「で、剣道はどうだったの?ちゃんとできた?」と母が聞いてくる。
「うん。まだちょっと動きが悪いけど一週間もやれば大丈夫かな」
「あまり根詰めてアキレス腱切らないでよ」
「ちゃんとストレッチしているから大丈夫だよ」と言ったが、アキレス腱は日常の生活でも切れる人は切れるので、実は気をつけようがない。
父は仕事で遅いので大体食卓にはいないが、いたら同じような事を聞いてきた事だろう。
「勉強はどうなの?」
僕は塾に行かずに教科書と参考書だけで勉強しているので心配なのだろう。鳥丸さんのように塾組が多数派なので心配になるのもわかる。
「休んでいた期間のノートは鳥丸さんから借りたから大丈夫。公立は内申勝負だから、普段のテストが良ければいける。それに、委員会の役職もやっているし」
「そう?ならいいけど…そう言えば鳥丸さんって結構できるんでしょ?」
「うん。校内でも確実に五番目以内にはいると思うよ」
「へえ。同じ高校になったりしないの?」
「さあ?水戸まで出るならあるかもね」
「あらそう、うふふ」
何か勘違いしているふうだが、鳥丸さんに迷惑かからなければいいだろう。うちの担任といい母といい想像たくましい事だ。
「鳥丸さんって誰?」どこかの女子会のように翠が参戦してきた。
「うちのクラスの女子で、頭がいいんだ」
「へえ。お兄ちゃんもやるねえ」
母と顔を合わせてニヤついている。人間とはどうでも良いことに喜びを覚えることでは皆共通するようだ。雄二は家族とこんな会話をしながら食事を終えた。
心の中で鳥丸さんありがとうと僕は言った。鳥丸さんのおかげでこの二人に不穏な空気を悟られることはなかったようだ。自分の食器を洗い、ちょっと勉強すると宣言し、僕は自分の部屋へと戻った。
部屋に入った瞬間、ここは僕の部屋か?と言う疑問が湧く。
部屋の中がとんでもないことになっていた。部屋の中は何かの黒い気で霞んでいて、電気をつけても暗いし奥の物が見えない。そして、床いっぱいに五芒星が描かれている。陰陽道のお札に描いてある円の中に星が描かれている有名なシンボルマークだ。その中央にはあの女性が寝かされている。枕が置かれていないので首が苦しそうだ。
「この中に入っても大丈夫?」
「はい。大丈夫でございます」とヒメウツギが首を縦に振った。
この結界の中にいればこの魂は保護されるのだろうか?と疑問に思いながら僕は五芒星の中へと入った。部屋に入ったと同時に出した尻尾に、少し痺れるようなピリピリっとしたものを感じる。結界はすでに作動しているようだ。結界内に入っている僕の勉強椅子のクッションを外し、女性の頭の下に置くと女性の首が持ち上がった。これで少しは楽になるだろう。本当は枕を使いたかったが、涼海さん専用枕を使うのはきっと怒られるし、僕の枕では女性に悪い気がする。
「よし。これからどうするの?」
「そのが女が起きてからこの魂の固定をします」
「固定?」
「そこが女の説明の方がわかりやすいと思います。ただ、疲れて寝ています」
「ああ、今日かなり頑張ったもんね」
僕がベッドを見ると、涼海さんが僕の枕を抱き枕にして寝ている。霊に睡眠が必要なのかいつも疑問だが、本人が必要だと言っているのだから必要なのだろう。ヒメウツギもよく寝ているからそこは人間も霊も妖も変わらないのかもしれない。実は妖も昼は寝ているのではないかというのが最近の僕の仮説だ。
僕の声が聞こえたからか、ベッドの上で横になっていた涼海さんが眠そうな目を擦りながら起き上がった。よだれを拭きながら大あくびをする。最早僕のベッドではなく涼海さんのベッドなのではないかと勘違いする。続いて涼海さんは両手で頬をバチっと叩いた。まだ目がしょぼいのでかなり疲れているのだろう。
「来るのがおふぉいよー。ふあぁ…よし!!起きた。色々力を使ったからちょっと疲れちゃったよ」
「涼海さん今日は大活躍だね」
「うふふ、いっつもよ!!」と言ってジャンプ一番で僕の尻尾に抱きついてきた。尻尾に触れた時だけ涼海さんに質量を感じる。これで日常的に涼海さんに触れられるようになると、なんだかまずい事になりそうだと思う今日この頃だ。尻尾を揺らすと、涼海さんはじゃれるように抱きついてくる。
ヒメウツギが冷たい目を向けてきたので、じゃれるのをやめて本題に入る。
「ねえ、涼海さん。魂の固定って何?」
「うん。この魂さんは元々の魂の十分の一にも満たない量の魂なの。『犬』は私たちの実力をかなり把握していて、この魂さんにそこそこの攻撃を加えたらこの魂が耐えられずに消えると踏んでいたのよ。姿を見せて消えたら、私たちが色々と疑問を持ったままになるから次の行動が更に効いてくるのよ」
なるほど。狡猾な『犬』は、僕たちを疑問だらけにして疲弊させるつもりなのだ。
「ただ、この大きさだとどのみちこの魂は自分の存在を支えきれずに消えてしまうわ。だから、この魂さんを、消えてしまわないくらいの大きさに小さくして固定するのよ。それが魂の固定よ」
「分かった。ただ、この魂さんは僕たちの味方なの?」
「まあね。そこは話を聞いてみないと分からない。人間だからといって私たちの味方とは限らないものね。ヒメウツギだって妖からみたら裏切り者みたく見えるだろうしね」
ここでヒメウツギが僕の肩に駆け上がって来た。そして耳元で言う。
「私は九尾の狐さまのために働くのが仕事。そして、妖に裏切るとかそういう感情はない」
「ヒメウツギはヒメウツギだからヒメウツギのままでいてよ」
「はあ…」
僕の言いたいことがよく分からなかかったのか、ヒメウツギは微妙な表情をしている。
さて、この女性の今の状況が分かったところで、魂の固定をしなければならない。
「彼女が敵か味方かはこの際置いておいて、魂の固定はどうやってやるの?」
肩に乗ったヒメウツギを口を尖らせて見ながら、涼海さんは答える。
「今、この五芒星で彼女の魂がこれ以上疲弊しないようにしているわ。もちろん、何かの拍子でここを出ていかないようにもしてある。で、現状私ができるのはここまでなの。陰陽師は魂を滅したりこうして封印する事には長けていてもそれ以上の事は苦手…というか必要ないから術式がそれほどないのよ。仏僧ならもう少し違うやり方を知ってるかもだけど、それでも魂を小さくしたりというのは難しいかも。でも、妖の力なら多少強引でもできると思うの。大体、人間や怪異を操って攻撃してくるのって、妖以外いないでしょ?」
「そう…かもね」
確かに、昔の物語でも、人間が人間を操って悪さをするというのはあまり見ない。その手の役目は専ら怪異の仕業というイメージだ。人間は人間を騙したり脅したりして悪いことをするものだ。
「雄二さま。九尾の狐さまの力を使えば、そこが魂の縮小は可能かと思います。雄二さまはここまで尻尾の力の解放と訓練を積み重ねて来ました。そして、想具を出すこともできました。想具の時と同じように魂の縮小を想い浮かべ、力を注いでください」
「うん。分かった」
僕は尻尾の力を身体全体に行き渡らせた。身体の中から考えられないほどの妖力が湧き上がってくるのを感じる。この九尾の狐の力の漲り方が徐々に大きくなってきているのは毎回感じる。
「おお!!雄二さま。以前に比べて非常に近強くなっています。これなら魂の縮小くらい軽くできそうですね」
ヒメウツギは嬉しそうにそんな事を言うが、力の制御というか想像を具現化するのはなかなかに大変なのだ。
まずは彼女の魂を頭の中で想像してみる。目を瞑ると、真っ暗な世界に小さな魂の気が淡い光を放っているのが見えた。これがきっと彼女の魂だ。ヒメウツギや涼海さんが言うようにものすごく小さい。人間の魂の総量がどのくらいの大きさなのかは分からないが、この大きさの魂に力強さは感じない。僕と涼海さんが大きな攻撃を当てていたら消し飛んでいた可能性は高い。
よし。魂の大きさは把握できた。これを更に小さくして固める作業だ。
僕はこの小さな魂を凝縮して壊れない塊にするよう想像した。頭の中に魂が小さくなる様子が描かれる。大丈夫かと心配になるほどの小ささになってしまうが、生きている人間の魂は、どれだけ小さくても気が充実しているので、魂自体の生命維持はできそうだ。問題はこれをどうやって固定するかだ。
魂の固定とは、何か器を作ってその中に入れるのが良いのか、魂を何らかの方法で固めてしまうのか…
僕が迷っているのを見てとった涼海さんが、僕の集中を削がないよう耳元で呟く。
「魂はね、気の塊でもあるから、小さな魂に雄二くんが気を注入するようにすればいいの。だから、魂を小さくしたら雄二くんの気の幕で覆ってあげればいいよ。まあ、その大きさなら雄二くんの気を注入すれば、あと数百年は気を注入しなくてもいいはずよ」
なるほど。そうなのかと思う。気の扱いは少しずつだが慣れて来ている。気だけで完結するなら余計な事をするよりも成功率は高いと思う。
雄二は尻尾の力を気を練るのに集中させた。涼海さんとヒメウツギの特訓のおかげで、すぐにいい気が練れた。よしこれならと思える。
準備が整ったので、想像の作業を実行に移す。涼海さんの作った五芒星の中なので、魂は外敵から守られているし、外部要因が入ってくる可能性もない。集中力を保つため、僕は目を瞑ったまま頭の中で女性の魂を小さくしていく。実際に縮んでいるのかは分からないが、おそらく思い通りになっているはずだ。女性の魂が魂として保てるギリギリの小ささに達したと感じたので、今度は固定の作業だ。先ほど生成した気をでこの魂をコーティングする。黒い九尾の狐と僕の気が混じった気は、自分で言うのもなんだが温かくも力強い気で、白い九尾の狐の気の対極にあるとさえ思えた。その気が小さくなった魂を包んだ。
女性の魂を気で覆った瞬間、突然、魂から黒い気が湧き上がって抵抗してきた。
浄化されまいと黒い気は真っ黒な犬の姿になって女性の魂に食らいついた。敵に取り込まれる前に魂を破壊するように仕込まれていたのだ。耳元で「ぎゃー黒い犬がー」という涼海さんの声が聞こえたが、僕は予め練っていた気で犬ごと包みこんだ。黒い犬は魂を食らいつくす前に、炎に焼かれるような音と共にドライアイスのように煙を上げながら消え去った。僕の気で浄化されたのだ。
五芒星の中には、もう黒い気は感じない。そして、魂はその輝きを失っていなかった。
魂を喰われずにホッとしたものの、『犬』がとんでもない呪力を持っていると実感できた。そのとんでもない呪力は、予想の遥か上を行き、五芒星の結界の中でもこうしてトラップを作動させられた。『犬』はあらゆる事態を想定し、僕たちを追い込むつもりなのだ。しかし、『犬』の想定外だった事は、僕らにヒメウツギと涼海さんがいた事だ。この二人のおかげで、僕は『犬』が思っているも早く力を獲得しつつある。
僕はこのまま黒い犬を消し去った気で、魂の固定に臨む。
小さく凝縮された魂を僕の気でコーティングしていく。初めは気を吸い込むだけだったが、ある程度気を吸い込むと、気が外側に漂い始めた。多分、魂側の気の取り込みが終わったのだ。こうなれば後は気で固めるだけだ。僕はミルフィーユのように何重にも気をコーティングした。魂は小さいながらも分厚い気で覆われた。
ふう、終わった。
僕が目を開けると、肩に乗ったヒメウツギが「お疲れ様でした」と労ってくれた。続いて涼海さんが「犬に食べられたかと思ったよー。雄二くんの気は確実に成長しているね。早く私に触れるくらいまで大きくしてね」と言う。
「二人ともありがとう」と言い、目を下に移すと五芒星の中心にあの女性が倒れているのが確認できた。
魂を小さくしたからか、女性は手のひらサイズになって床に寝ていた。
僕は女性を手に乗せると、とりあえずベッドに寝かせた。
さて、彼女が目を覚ますまで待つか。僕はベッドに腰を下ろし、その時を待つことにした。
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